むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

吸引力

2010年01月17日 22時17分48秒 | Weblog
ようやく上れた!
世界一のブルジュ・ハリファの展望デッキ。
地上から442メートルの124階。
一部は屋外テラスになっていて、頭上の空が気のせいか近い感じ。

広大な土地が広がるこの国で、これほど高いものを作る必要は全くない。
それでも、周辺ではまだビルを作ったり、懲りずに開発を続けている。
不思議な空間だ。




昨年11月の金融ショックの報道後、ドバイはゴーストタウンになったかのようなイメージを持っていたが、全くそんなことはなかった。

動き続けていないと死んでしまう。そんな感じ。
バブルは弾けたものの、まだまだ世界中から人と金を吸い寄せている。




インド人、パキスタン人、バングラデシュ人、ケニア人、中国人、香港人……。
世界中から集まった外国人に3日間、とにかく話しかけまくった。
時にうっとうがられながらも、心を動かされることが何度かあった。
やっぱり現場だなあ……。

5時46分

2010年01月17日 02時45分06秒 | Weblog
あと3時間で、15年が経つ。

今年もあちこちの現場に数百人の記者がその瞬間に立ち会うんだろう。
僕も阪神大震災の取材にかかわった数年間だけは毎年外に立った。
いつも凍えるような寒さ、そして静けさ……。



取材から外れてからは毎年その時間を共有しようと思いながら、起きられたのはほんの何度かだけ。
自分と関係なければ忘れるのは早い。

東京の新聞は、大阪と違って、10年を過ぎたころから実に淡々としている。
今年は15年の節目だから少しは大きな扱いに戻るだろうか。




今年も若い記者が、震災の遺族にじっくり耳を傾け、心を打つ記事を書いている。

新聞記者の世界では大昔から、警察や官僚、政治家などからきちんとネタが取れる記者が「優秀」とされ、絶対的な関門とされてきた。
しかし、本当にそうだろうか。今でも疑問に思う。

時に都合のいい情報を流す権力者の取材よりも、震災遺族から話を聞くのがどれだけつらく、難しい作業か……。
本当に読者に伝わる話を書くためには、被災地をくまなく歩き、何人も話を聞かなければ、相手にたどりつかない。
たどりついても、相手はしゃべりたくないし、話しても何も得をしない。
そこからどうやって信頼関係を得て、人の悲しみを字にしていくのか。


それは、自分のため? 仕事上の手柄のため? 取材相手のため? 読者のため?
答えの見つからない問いを常につきつけられる。




元新聞記者の作家、山崎豊子さんが著書「作家の使命」で書いていた。(ただし、立ち読み)
「新聞社には、酒に寄って大言壮語する人がいかに多いか。本当に知的な人はほんの一部だけだった」

否定できない。大きな事件や有名人、権力者を取材した「名記者」ほど、自分を大きく見せ、大言壮語する傾向は強い。



名もなき普通の人の悲しみを取材するのがどれだけ大変か……。
5時46分はそんな大事な原点を考えさせられる。