むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

現場

2009年04月26日 17時07分18秒 | Weblog
携帯電話が鳴ったのは、ちょうど道後温泉を出たところだった。

前日夜から未明にかけて、愛媛の支局に選挙取材の手伝いに。
翌朝、大阪に戻る前、ちょっとだけ「寄り道」していた。



「福知山線が脱線している」
最初は半信半疑。
大阪本社の後輩記者から電話を受け、飛行機とタクシーで現地近くの支局へ。
やがて大惨事だとわかってくる。
事故の2~3年前には、自分も日常的によく使っていた路線だった。

JR西日本の責任が問われたのは当然として、事故の背景にある分刻みの利便性を追求する社会のあり方って、この4年でどれだけ変わったんだろう……。


  ×    ×


昨日でJR福知山線脱線事故から4年。
大阪発行の25日夕刊では、今年も若手の記者が遺族や関係者にへばりついて、いろんな記事を発信している。


脱線事故が起きたのは、自分が記者として「転機」を感じたころでもあった。
「現場」から離されかける感覚……。
脱線事故の時も、しばらくの間は、全国から集まった若手記者に取材の指示や原稿の取りまとめ役に徹するよう言われた。
昼間はデスク、キャップの間にはさまれ、現場記者とのやり取りで追われ、夜中は翌日の取材予定を考える。
事故現場には近づけず、机に座っているだけなのに、1週間後にはヘロヘロになった。



新聞記者の大半は、意外と早く現場からいなくなってしまう。
事故から4年を伝える紙面を見て、あらためてかみしめた。

今もまだ、現場に近いところで「粘って」いられることが“幸運”だと。

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