※まだ書き途中です。順次書き進めます(現在第3版、第4版までは行く予定です)
こんにちは
毎度お馴染みKボーイです
先日購入しましたKATO C62常磐形と20系「ゆうづる」のお話です
正直に申しますと、私は蒸気機関車と客車は門外漢
なので、模型について多くを語ることはできないと思います
そのかわり、
最終的には模型から当時の時刻表へ話をつなげようと思います
まずは模型の話をいたします
◎C62常磐形の話◎
(製品状態)
まずは先頭に立つC62形蒸気機関車のお話です
商品名:品番2017-6「C62 常磐形(ゆうづる牽引機」(2019年1月発売)
1967年(昭和42年)ごろの平機関区所属の23号機がプロトタイプとのことです
私のような素人でもわかる原型との違いと言えば、シールドビームの副灯と炭水車のATS車上子でしょうか?
そのほか、カバーなしの逆転機と平―仙台間ノンストップ仕業に対応した増炭枠が特徴です
・重連用ナックルカプラー
・ナックルカプラー(炭水車側)
・スノープロウ
・重連用スノープロウ
・ナンバープレート(19・22・23・24)
・ゆうづるヘッドマーク
・交換用煙突
になります
さっそく付属品を取り付けますが、
その前に、
炭水車を切り離します
炭水車と本体はドローバーで連結されていて、お互いを引っ張れると外れます
こうすることで作業がしやすくなります
まずは炭水車側のカプラーをナックルカプラーにします
炭水車を裏返して細い棒を使って台車の端梁を外し、さらに台車を外した上でカプラーポケットを取り出し、元のカプラーと交換するというのが手順です
意外と面倒くさいなと思いました
「ゆうづる」のヘッドマークは給水温め器のカバー(説明書ではシンダー受け)と一体です
解放てこを外し、製品の給水温め器のカバーと交換して取り付けます
製品状態では23号機の短い煙突(左)です
私は24号機にするので煙突を付属品の長いタイプ(右)に交換します
重連運転を考慮しないので重連用カプラーはつけません。また夏仕様にするのでスノープロウも付けません
炭水車を分離したついでに
手持ちのマイクロエース製C62 18と並ばせてみましょう
左のマイクロエース製はモーターを収める都合上、上下に間延びした独特のスタイルです
マイクロ製単独だと「そこまで…」という感想ですが、右のどっしりとしたKATO製と並べると独特の造形がより一層際立ちます
後ろ側です
ネタ要員のマイクロですが、小型モーターが無い中で1/150サイズに挑んだという点では評価できると思います
◎20系客車の話◎
C62の次は後ろに連なる20系客車です
元祖ブルートレインで名高い20系客車です。
居住性は圧倒的に後継の14系や24系の方が優れていますが、この優美なスタイルは憧れの的
商品名:品番10-1518「20系寝台客車「ゆうづる・はくつる」8両基本セット」
車両構成は
・ナロネ21 117
・ナロネ21 115
・ナハネ20 118
・ナハネ20 133
・ナシ20 11
・ナハ20 51
・ナハフ20 5
になります
※増結は20系寝台客車 ナハネ20 6両増結セット(品番10-1353)を使用します、
付属品は20系客車用が
・ナハフ20 カニ21用ナックルカプラー
・交換用バックサイン(はくつる)
の2つです
そのほか機関車用として
・DD51用ナンバープレート(560・561)
・DD51用ヘッドマーク(ゆうづる・はくつる)
・ED71用ヘッドマーク(はくつる)
の3つが付属します
主な仕様については
カニ21とナハフ20の機関車側はボディマウントカプラーです。
標準はアーノルドカプラーですが、ナックルカプラーに交換可能です
カニ21とナハフ20の中間車側と他各車は台車マウントのKATOカプラーN JP Bです。
粉砕式汚物処理装置を再現しています
内装は
ナロネ21形が緑色、座席車ナハ20・ナハフ20は青色、そのほかは白色で成形されています
屋根色は電源車カニ21が明るい灰色、その他は濃い灰色です
20系はクーラーが床置なので電源車以外の屋根上はすっきりしています
さて、客車の編成について触れますと「ゆうづる」は客車13両でした
C62がけん引した時期、昭和40年10月から昭和42年7月まではナハ20は連結されておらず、座席車はナハフ20の1両だけでした
模型の場合、ナシ20とナハフ20の間に増結用のナハネ20を6両入れると実車通りの編成になります
手元に当時の時刻表があるのでお見せします
(引用:『交通公社の時刻表』1966年6月号)
当時は等級制なので、ちょっと解説が必要でしょうか
「寝B」というのはプルマン式開放一等寝台車で今のA寝台、20系客車で言えばナロネ21です。
「寝2」は2等寝台、今のB寝台でナハネ20になります
「指2」は2等車指定席、今の普通車指定席ですね
丸数字は号車番号で黒丸は専務車掌がいる車両を示します。「はくつる」と「ゆうづる」で専務車掌がいる号車が異なるのがどうも気になりますね
この頃の東北本線は盛岡まで電化済みで電車特急「やまびこ」や「ひばり」の編成も読み取れます
◎当時の時刻をもう少し◎
当時の「ゆうづる」の時刻を詳しく見ていきます
下り5レ「ゆうづる」
上野2130発 7番線
↓
水戸2317着/2322発
↓
平(現・いわき)036着/043発
↓
仙台300着/306発
↓
一ノ関427着/430発
↓
盛岡545着/553発
↓
尻内(現・八戸)740着/745発
↓
青森着915
青函航路5便(青森935→函館1325)に接続
函館の接続列車:5D特急「北斗」旭川行(函館1345→札幌1826→旭川2027)
上り6レ「ゆうづる」
青森2100発
↓
尻内2239着/2242発
↓
盛岡045着/050発
↓
一ノ関216着/219発
↓
仙台344着/350発
↓
平605着/612発
↓
水戸730着/734発
↓
上野925着6番線
青函航路6便(函館1640→青森2030)から接続
函館の接続:特急「北斗」(旭川940→札幌1140→函館1620)
寝台特急なので当然ですが、C62がけん引した平―仙台間は下りは深夜、上りは未明から早朝でした
平着が朝の6時5分と、走行写真撮影は厳しい条件だったと思います
ましてフィルムも高感度のものはなかったでしょう
それでも当時の方々は頑張って撮っていたわけですから、頭が下がります
ちなみに「はくつる」は
下り:上野発1900→青森着640
上り:青森発2325→上野着1105
でした
上りの「はくつる」は仙台や福島では始発の特急となるため、座席車の需要は多そうです。
だからこそナハ20を連結していたのかもしれませんね
常磐線は片道4ページで収まっております
全部お見せするのは、逸脱しそうなので上下半分ずつにします
参考までに「ゆうづる」が掲載されている常磐線の見開きページをお見せします
(下り)
上野2224発227列車青森行の普通列車なんて撮り鉄御用達だったのでは?
四ツ倉4時12分、久ノ浜4時19分でちょうどよさそうな列車です
(上り)
当時の普通列車は柏と北千住は通過が原則で、ラッシュ時の一部列車が停車でした
急行「ときわ」は今の特急「ときわ」と停車駅はあまり変わりませんね
◎「ゆうづる」とは関係ないオマケ◎
この時期は時刻表は割とフリーダムなお楽しみページがあったようです、
1966年6月号では『国鉄の機関車一覧表』
電気機関車はともかく、ディーゼル機関車はまだ少数派
DD51が60両ちょっと
この時点でもD51は1000両在籍
当時の撮り鉄「またD51か」とため息をついていたことでしょう。
「ちょっとひとこと」は国鉄監修なのに、いいのかこれで?
D60なんて「老朽化がひどい」
なお、C62を上野口から放逐したEF80の場合、
「ピンクの怪物」という扱い
これ国鉄公式の時刻表ですよ?
昭和はフリーダムですな。
ずいぶん関係のないお話でした
8月7日初版投稿
8月8日第2版投稿
8月9日第3版投稿
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