わたしは六百山

サイゴンでの365日を書き直す 

君が代  ベトナム便り 79

2006年06月23日 | 雑想
不起立に「煮えくり返る」 君が代斉唱で戸田市教育長
 埼玉県戸田市の伊藤良一教育長が市議会で、市立小中学校での入学、卒業式の君が代斉唱で起立しない来賓について「はらわたが煮えくり返る」と批判していたことが20日分かった。市教育委員会も起立しなかった来賓の氏名や人数の調査を検討しているという。
 君が代斉唱をめぐっては、東京都教委が地方公務員法に基づき、起立を拒否した教員を大量処分しているが、来賓に関しては教育委員会に指導権限がなく、調査することになれば極めて異例。
 市教委によると、今月13日の市議会で「保護者や来賓で起立しない人がいる」との一般質問に、伊藤教育長が「(事実であれば)はらわたが煮えくり返る」と答弁。「内心の自由という人がいるようだが、生徒たちの前で規律を乱すようなことがあってはならない」と述べた。
(共同通信) - 6月20日11時48分更新
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こちらv-603.
この記事を読んで、一瞬、ベトナムでのできごとかな、と思いました。
ベトナムでは、たとえば共産党の全国大会が開かれているとき、国旗を掲揚していない事業所は、公安が、掲げるようにと勧告に来ます。
全体主義がいきているのです。
民主主義国家を標榜する日本で、戸田市のようなことが起きているのは驚きです。
起立しないのは、多数に組しないわけですから、その信念を貫くには強固な意志が必要です。
こんなとき多くの日本人は、個の信念は一旦どこかにしまって、みんなと同一行動をとるのが普通です。
波風を立てず、長いものに巻かれているのがいいのです。その結果がどうなったのかは、敗戦でみんなわかっているはずなのに・・・。
個を殺すことは、社会に出ればいやおうなく強要されます。
だからこそ、せめて教育の現場では、個人の意思、信念が尊重され、称えられるべきではないでしょうか。
多数派の行動に同一歩調をとらない人間を、つまはじきにしようとするこの体質を変えないでいると、つまり、異質なものを認めないでいると、日本は生きていけなくなります。

『君が代』に起立する自分とおなじ位置に起立しないという他人がいても当然だ、という所から出発しなければなりません。
規律はそのあとの問題です。

もし、戸田市の教育長がここベトナムに来て、市場で買物をしたら、彼のはらわたは3日で煮溶けてしまって、憤死することでしょう。

くれぐれも、勘違いのない様に付け加えますが、起立しないことがいい、といっているのではありません。するのも、しないのも、同じ立場だと言いたいのです。
ふところの広さ、深さがほしいのです。


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1 コメント

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吊し上げる「正義」…… ()
2006-06-23 16:09:13
> 多数派の行動に同一歩調をとらない人間を、つまはじきにしようとする

> この体質を変えないでいると、

> つまり、異質なものを認めないでいると、日本は生きていけなくなります。



◆ おっしゃるとおりですね。



日本も、少数派も、(実は、「多数派?」然とした個個人も)

もう既に生きて行きにくいですよ、21世紀の日本は。





◆ 自分らしい結論を出そうとすると なぜか少数派になってしまう

「わっはっは 金輪際の少数派  健」というタイプのぼくなどは、

日本の そういう重圧から逃げ出してきたのかもしれない。

(80歳を超えた母の顔は時々浮かぶものの、

帰りたいとは全然思わないもの、あはは)





ついさっきまで にこやかに談笑していた当人から

(職場のミーティングが始まるや)

だまし討ちのような非難中傷をふっかけられ、

「何ですか それは。(ぼくを)同僚扱いしてください!!」と

哀しく叫んでしまったことがあります。



いや、「批判などするな」と言うのではないんですよ?

友人として、同僚として、

苦言を呈し合うことは むしろ必要なことだとさえ思うのですが、

ただ、

「日本的な多数派」の常として、

「吊し上げること」が正義なんですよね……。



そう、まるで かつての紅衛兵や、ベトナム侵略戦争における米兵、

また現在のチベットを弾圧する者たちの如く、徹底的な憎しみで、

はらわたを煮えくりかえらせて……。

「目を抉り 耳千切るのも正義感  健」





◆ タイ王国の「体制」にも、

××××××××××××とか、

××××××××××××とか、

やや行き過ぎではないかと思われるフシもあるのですが、

(「書く」ことをためらわせるほどの重圧!)



タイ人の「気質」そのものは

かなりおおらかに、必要以上には干渉しないで

「受け入れ」てくれるような感じがあります。

ゲイの人などに対する公的な扱いなども、その一つでしょうか。



でも、先日、

バンコクにある霊験あらたかな祠を突然叩き壊した男が

怒り狂った周囲の参拝者たちによって殴り殺されてしまうという事件がありました。

(こちらの一般民衆は、「殺されて当然」と思って済ませている感じです)



祠を壊した男と、それを殺した敬虔な仏教徒群、

阿弥陀如来は、どちらをお嘆きになるのでしょうかね。





◆ それはそうと、教育現場……。

とうとう、来賓や保護者までが「行政」指導の対象になってしまいましたか。知りませんでした。

つぎは、いよいよ、日本のどこかで、

起立しない学生・生徒への「処分」か何かが始まりそうですね。

(茶髪の卒業生を閉め出すような学校は、

もうやっちゃっているのかも……)
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