わたしは六百山

サイゴンでの365日を書き直す 

異質者 ベトナム便り 80

2006年06月24日 | 雑想
こちらv-603.
6月23日の健さんからのコメントは、外国での日本人社会を垣間見させてくれました。
個人が異質な人間を受け入れるには、
自分を失うかもしれないという怖れを打消すだけの強固な信念とか、深い信仰心が必要なのだと思います。
今の日本ではそういう人は稀有な存在だと思えます。というか、そういう人はすでに異質なのですから・・・。
そこで、自分が異質だと気づいた日本人は、自分は異質だと声を上げなければなりません。
いいえ、すでに声を上げる時点で異質者は日本社会に息苦しさを感じて、悲鳴をあげています。
それでも周囲の日本人は、『日本人であるお前が異質であるはずがない』と認知しません。異質者を抱え込むのが怖いからです。
異質者であることを認められない異質者は、自分の存在を認めてくれる場所を探します。
ベトナムでの日本人は、何の説明もいらず、すでにこの地に立った時点から異質です。
自由で、奔放で、素直な異質者です。
のびやかな、異質者です。


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