北モシリ島の暮らし

北モシリ島(北海道)民の暮らし

表現の自由と公共の福祉

2010-05-09 22:37:30 | Weblog
最近、
日本国憲法の条文を読んだりする。
中学、高校の社会科の教科書レベルの問題に関心がある。
もっとしっかりと勉強しておけば良かった?
いや、今、自分で学んで、自分なりに考えてみるといい。
何事も、仮説、実践、検証のサイクルで。

なんたって、わたしゃぁ、メンヘラ(笑)
認知の歪みや、視野狭窄にすぐに陥る。
理性を保つには、知識から吸収する。

日本国憲法第十一条
 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

日本国憲法第十二条
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

この後に、いろいろな自由の保障が連記されているんだけど、
基本的人権の尊重と公共の福祉ってのは、
何とも相反する矛盾に見える。
自由の権利を保障しておきながら、濫用は禁止、公共の福祉のために利用する。

自由は、実は、何でも自由ではなくて、
個人の自由は他人の自由を侵してはならないのだ。

だから、刑法があり、
そして、犯罪ではないが、
民法では、
不法行為や公序良俗規定など、様々な規制が伴うのだ。

自由を語るにあたっては、
人間の快楽や欲望の問題なんぞは、論外だそうで(笑)、
自分と他者の自由をどうすれば享有できるかを考えるらしい。

そして、自由を論ずるにあたり、
資本主義とは何ぞやとなってくる。
市場原理主義をいまだに信奉するアナクロ舛添なんかがいる一方で、
そういや、社会科の授業で、独占禁止法とか習ったよな。
これは面白いよ。まだその領域には進んでいないが、
資本主義国家と言えども、自由は制限されているのだ。

いやね、
マイノリティとカミングアウトする動機は、
ひじょうに勇気がいることだと思うのね。
これはマイノリティの存在を示す事で、マジョリティの理解と支援を望み、
マイノリティ同士の情報交換を通して、自身の幸福を追求するためだと思うの。

マイノリティを理由として、利権を貪り、他者の自由を侵害するなど、論外。

結構、難しい話しになりがちなんだけど、
実は、弱者を救済する根拠や、善行の動機を考えると、
個人の自由とは何なのかを考えなければならない。
もっと、わかりやすく言うと、
なぜ、優しい心を持つことは大事なのだと帰結するのかな?

PS
今日は午後から、
久々に、自律神経をかなり、やられました。
私は、もうかなり前から頓服の精神安定剤は無いので、
こういう時はツライです。
でも、いつかきっと、今は孤立化している私ですが、
繋がる仲間が出来る事を知っています。
今まで、47年間、生きてきた経験です。

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