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防災関連・物品・正しい情報など個人で追求している防災ブログです。備え は自分の為ではなく身近な弱者様用と考えましょう。

千葉市中央区でダンプカーと乗用車が接触 ダンプが電柱などに激突、1,860世帯停電

2008年04月22日 | ◆地域の防災

千葉市中央区でダンプカーと乗用車が接触 ダンプが電柱などに激突、1,860世帯停電

千葉市で22日朝、ダンプカーと乗用車が接触し、ダンプカーが電柱や住宅の塀に激突して、一時、近くの住宅1,860世帯が停電した。
ダンプカーは幹線道路で車にぶつかったあと、電柱をなぎ倒し、住宅に激突したという。
突っ込まれた住宅の人は「すごいですよ、もう。『ドカーン』と。大地震みたい」と話した。
22日午前5時半ごろ、千葉市中央区の幹線道路で、ダンプカーが反対車線に飛び出し、乗用車と接触、ダンプカーはそのはずみで信号機のついた電柱を倒し、住宅のブロック塀と壁に激突した。
この事故で、61歳のダンプカーの運転手が重傷、乗用車を運転していた63歳の男性が軽傷を負った。
東京電力千葉支社によると、事故の影響で1,860世帯が一時停電し、午前11時半現在も、56世帯が停電しているという。

(04/22 13:16)

FNNニュース:千葉市中央区でダンプカーと乗用車が接触 ダンプが電柱などに激突、1,860世帯停電  

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 ・・通りがかりました。たった一つの交差点の通行止めで付近一帯が大渋滞です。路線バスもストップ。今朝の主な業務はバイクタクシーです・・

朝  電柱は折れているのに通電しています。

 

 

夕方

 

折れて撤去された電柱。


今住んでいる場所の昔の地形を見てみよう!

2008年04月22日 | ◆地域の防災

都心部


千葉市


 現在住んでいる所や避難路などが、かつて砂泥地や川原、埋めたて地であったかどうか調べられるであろう120年前の地形図が公開されました。(関東のみ)Googleearthでも見られます。これは地図好きにはたまりません。私の在所は茶畑でした・・

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 独立行政法人農業環境技術研究所(農環研)は、里地里山の土地利用や農村地域の生物生息地の変化を客観的に把握するため、明治時代初期に作成された地図 (迅速測図) をインターネットで閲覧、利用できる 「歴史的農業環境閲覧システム」 を構築しました。

「迅速測図」 は明治初期から中期に、簡便な測量方法によって作成された地図です。中でも関東地方のものはその彩色により当時の土地利用 (地目) が容易に判別できます。農環研では、関東地方の迅速測図約900枚を1枚の画像に結合し、位置情報を与えることによって、現在の地理情報と自動的に重ね合わせられるようにしました。結合した迅速測図を広く活用できるように、オープンソースのソフトウェアを用いて、インターネットで閲覧や利用が可能なシステムを構築しました。このシステムでは、各種のウェブブラウザや Google Earth というソフトウェア上で迅速測図を閲覧することや、さらに地理情報システムを用いた土地利用変化の分析に利用することができます。

本システムにより閲覧できる明治初期の土地利用は里地里山の原景観ともいえ、現在の土地利用と比較することで身近な生物多様性の保全や農業環境の管理に活用できます。また、地域環境の120年前の姿がわかるなど、専門家から一般の方まで、さまざまな利用が可能です。

このシステムは、4月18日に開催する研究所一般公開において展示し、来場者に体験していただく予定です。一般公開終了後には、農環研のWebサイト(http://www.niaes.affrc.go.jp)から閲覧・利用可能にする予定です。


歴史的農業環境閲覧システム

歴史的農業環境閲覧システムFAQ

千葉県での地震

2008年04月02日 | ◆地域の防災

 各地の震度情報【s】 

千葉県を震源とする地震が発生しても、県内よりも震源とは離れた地域に大きな被害がおよぶ事が多いように感じます。千葉県の北部は高い山もなく、砂岩が多く硬い岩石も目にしません。県内に長く住んでおり、オフロードバイクで走る為の荒れた道、キャンプに適した場所などを探し回りましたが、その経験では最も急峻、かつ孤立しやすい地区は鋸南町から太平洋岸にかけての地区ではなかろうかと思います。鋸南町には「崩」などの字を含んだ地名や、素堀りのトンネルなども多く県南部の直下型地震に対してはと事前の注意を特に要する地区ではないでしょうか?

平成20年04月01日23時39分  1日23時29分頃 千葉県南東沖 M4.7 震度3 
平成20年04月01日23時33分  1日23時29分頃 千葉県南東沖 M4.7 震度3

平成20年03月30日10時54分 30日10時49分頃 千葉県北西部 M3.7 震度2

気象庁|地震情報

 

wikipediaの記事

千葉県北西部地震

千葉県北東部地震

千葉県東方沖地震

 

新潟(崩落の為立ち入り禁止)にもある鋸山

 


海水取水口

2008年03月15日 | ◆地域の防災

  凄いぞ 船橋市!

船橋市の消防水利

市内には、火災を消火するための目的で設置された消火栓や防火水槽などがあり、これらを消防水利と言います。また、学校などに設置されたプール等の水も火災が発生したときには消火用水となります。
  市内には、平成19年4月1日現在6,992の消防水利があり、このうち消火栓が5,850、防火水槽が1,008、その他の消防水利が134となっています。
  (詳しくは、下表「消防水利の数」をご覧ください。)
  このほかに、平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災を貴重な教訓として、船橋市が独自に開発した大規模消火システムは海水や河川の水を利用した消防水利であります。
  ここでは、市内にある主な消防水利などについてご紹介します。

1 消火栓
2 防火水槽
3 耐震性貯水槽
4 海水などを利用した大規模消火システム
(1) 圧送管利用方式
(2) 下水道利用方式
5 消防水利の数

1.消火栓
   消火栓は道路等に埋められた水道管に設置されており、一口の単口消火栓と二口の双口消火栓があります。

   消火栓蓋を開けたところ  双口消火栓の内部 


2.防火水槽
   消火栓が使えなくなった時や消火栓が設置されていない地域の消火活動に利用するため、学校や公園、マンション、工場などに水量が約40m3の防火水槽を設置しています。   

防火水槽(フェンス内)・標識  防火水槽(バリカー内)・標識  
3.耐震性貯水槽(防火水槽)
   大地震などにより大きな火災が発生した時、多量の放水が必要なため約100m3の水が入る貯水槽を市内30カ所の公園や学校に設置しています。  

貯水槽・標識  小型動力ポンプ・収納庫  

4.海水などを利用した大規模消火システム
   船橋市の独自の震災対策として開発した大規模消火システムは、震災発生に伴う断水によって消火栓が使えなくなった場合、下水道などを利用して東京湾の海水を内陸に引き込み、河川の水とともに消火に利用するものです。
  このシステムは、下水道の雨水放流管に海水を逆流させマンホールから取水する「下水道利用方式」、ポンプで圧送管を通じて内陸の消火栓に海水を送る「圧送管方式」、海や河川・水路などを直に利用する「直接取水」の3つで構成し、JR総武線南側を中心とした1,010ヘクタールを消火活動可能範囲としています。

大規模消火システムによる消火活動可能範囲


  (1) 圧送管利用方式
   東京湾の海水が流入している山谷水門の下流より、自家発電機を電源として海水を水中ポンプで汲み上げ、市内にある本海川に敷設してある圧送管を通して船橋市内の玄関口であるJR船橋駅南側付近を経由して北側に位置する天沼弁天池公園までの1500mを圧送し、その間に消火栓を5箇所設置し消火活動に利用することができます。

   山谷水門  自家発電機 

   海水消火栓標識  海水消火栓鉄蓋


  (2) 下水道利用方式
   東京湾の海水が流入している各雨水放流幹線を利用して、水門を開閉により海水を逆流させ、上流地点に取水口を設置して消火活動に利用するものです。
  取水口付近には可搬ポンプの収納庫が6箇所、台車付可搬ポンプ10台を配備しています。


 船橋市の消防水利  


千葉県消防広域応援隊合同訓練について

2008年01月28日 | ◆地域の防災
  千葉県消防学校 近くなので私も行ってみます。



千葉県消防広域応援隊合同訓練について
総務部消防地震防災課


 大規模災害による甚大な被害の軽減を図るため、県内全消防機関で編成される千葉県消防広域応援隊による被災者の救出・救助、救護訓練を実施することにより、消防機関相互の技術の向上及び連携活動能力の向上並びに医療機関との連携・支援活動能力の向上を図ることを目的として実施します。


1 訓練日時
平成20年2月1日(金)午前9時から2月2日(土)午前11時30分まで

2 訓練場所
千葉県中央防災センター及び千葉県消防学校

3 訓練の概要
(訓練想定)
 ・ 千葉県南部直下地震 2月1日(金)午前9時 地震規模M7.3 勝浦市 震度6強
 ・ 勝浦市及び周辺区域では建物の倒壊、道路の損壊等により多数の負傷者が発生しており、火災も多数発生。

(1)参集・野営訓練(2月1日:千葉県中央防災センター)
   ア 応援要請対応訓練
   イ 野営訓練


(2)合同訓練(2月2日:千葉県消防学校)
   ア 災害情報収集・伝達訓練
   イ 現地指揮本部調整訓練
   ウ 土砂災害救出訓練
   エ 列車脱線事故救急救出訓練
   オ 倒壊ビル救出訓練
   カ 中高層建物火災対応訓練



4 訓練参加機関等
(1)主   催:千葉県
(2)共   催:千葉県消防長会、(財)千葉県消防協会
(3)参加機関:県内31消防(局)本部(78部隊、276名)、災害派遣医療チーム(DMAT)2チーム
(4)協力機関:千葉県消防学校
 

千葉県消防広域応援隊合同訓練について


千葉県市川市大洲防災公園

2008年01月23日 | ◆地域の防災





千葉県市川市大洲防災公園


■大洲防災公園の概要

所在地 市川市大洲1丁目18番 公園種別 近隣公園
面積 約2.8ヘクタール
(急病診や消防署出張所等を加えると、約3ヘクタール)
開設年月日 平成16年4月11日

■大洲防災公園内に配置されている診療・福祉施設
○急病診療・ふれあいセンター・急病診療所・休日急病等歯科診療所
・地域ケアシステム市川第二
・大洲在宅介護支援センター
・大洲ボランティアセンター
・いちかわファミリー・サポート・センター
・大洲デイサービスセンター
・身体障害者地域生活支援センター
・集会室


 大洲防災公園は、都市基盤整備公団(現在、独立行政法人「都市再生機構」が平成11年11月に創設された「防災公園街区整備事業」で整備した公園です。
 本事業は全国10箇所で進められ、この中で「大洲防災公園」は全国の先駆けとして完成しました。

1.公園整備の背景

 本公園一帯は、都心に近いという利便性から市街化が進み、木造住宅地や工場が多い地域であり、以前から安全で快適な街づくりが課題となっていました。

 平成12年3月この地域で長く操業を続けてきた明治乳業 (株)市川工場の移転に伴い、その移転跡地の活用として防災公園街区整備事業が立ち上がりました。
 平成12年11月住民による整備検討会が発足、平成13年11月公園都市計画決定、平成14年2月都市公園事業が承認され、平成14年11月着工、平成16年3月竣工、平成16年4月11日開園し ました。


2.整備の目的

 平常時は、憩いやレクリエーションなどを通じて住民に親しまれる公園として、また、災害時は、一時避難場所や、被災の前線における救援機能や輸送等の中継拠点機能を担う防災公園として整備し、市街地整備部分と併せて安全で快適な街づくりに努めています。

3.本公園の特色

(1)充実した防災関連公園施設  

(2)避難と救援の両機能を担う

(3)広域避難場所や隣接公共施設等との機能的な連携

(4)平常時利用に支障をきたさない防災関連施設整備  

(5)住民参加による計画検討

(6)周辺市街地との一体的整備  

 

■大洲防災公園の機能 (広場紹介)
 


 平常時は、憩いやレクリエーションの場として、また、災害時は、一時避難場所や被災の前線における救援拠点や輸送の中継拠点として機能します。
1万人の避難者に対して3日間分の飲料水が確保されています。)

平常時の機能(公園施設)
○多目的広場
(芝生:7000平方メートル、ダスト舗装:2300平方メートル)
○ピクニック広場(1800平方メートル、野外卓 あり)
○中央広場(900平方メートル)
○駐車場(24台)

※駐車場は、入場から90分間まで無料。それ以降は30分ごとに100円。 24時間ご利用可能です。
※催しやイベントなどは、事前申込みが必要です。
 
※ピクニック広場ではバーベキューができます。(道具は各自持参。市に申請が必要です。)
※また、多目的広場の占用使用には市に団体登録および事前予約が必要です。

災害時の機能
■機能 

(1)避難(一時避難)
(2)災害の防止と軽減等
(3)情報の収集と伝達
(4)消防・救援・医療・救護活動の支援
(5)一時的な避難生活の支援
(6)防疫・清掃活動の支援
(7)復旧活動の支援
(8)各種輸送活動のための支援
■設備一覧 

○避難広場(ヘリポートとしても活用可能)
○管理事務所兼備蓄倉庫
(延床面積526平方メートルうち管理事務所192平方メートル) 
○耐震性飲料用貯水槽 100トン
○防火水槽 40トン/基 2基
○非常用便槽 25トン1基 20トン1基
(上部にブースを組み立てる方式)
○物資積下し場
○自家発電機 1基
○風力・太陽光発電装置付照明灯 2基
○太陽光発電装置付照明灯 5基
○防火樹林帯 幅10-15メートル
○防災サイン
       

市川市 大洲防災公園

千葉県市川市大洲防災公園で日頃からキャンプ! 

2008年01月20日 | ◆地域の防災


千葉県市川市大洲防災公園で日頃からキャンプ!

平時もデイキャンプが出来るようです。

しかし・・ バーベキュウ、デイキャップなど、いかにも慣れてなさそうな方が作ったのでは?と思われるような看板です。「デイキャップ」では、まるでウルトラマンのムラマツキャップがデイサービスに行ってしまいそう印象を受けます。

 ちなみにキャンピングガス トレックオートの様に熱媒体を使い、炎のでない危険の少ないコンロもありますがこのメーカー(コールマン傘下)のボンベは他メーカーとの互換性があまりありません。キャンプ場などでボンベ補充に難儀なさっている方を多く見かけます・・

近隣自治体の鎌ヶ谷市民の森 鎌ヶ谷市営キャンプ場 やちまたキャンプ場はあまり制限がなく楽しくキャンプが可能です。誰も来ませんが・・
鎌ヶ谷市営キャンプ場は常時開放の大きな東屋あり。やちまたキャンプ場は杉林の中。


YouTube - Memory of Captain Muramatsu

津波避難困難地域

2007年06月15日 | ◆地域の防災
和歌山県津波避難困難地域です。他県ではどうなんでしょう?

千葉県では勝浦市 鴨川市 内房などが気になります・・


昔、和歌山県の漁師さんが千葉県に移り定着した歴史があり、千葉、和歌山は海岸沿いの地名が(勝浦、白子、白浜・・など)重複している所があります。

和歌山県情報館:総合防災課:津波避難困難地域の公開

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◎立岩、陸続きに 志賀・笹波 地震の跡、いまだ生々しく

おびただしい岩が崩れ落ちた立岩の裏側を確かめた小舘さん=志賀町笹波沖
 能登半島地震の震源に近く、大きな揺れでおむすび形だった岩がぱっくりと割れた志賀町笹波の立岩(たていわ)が地震発生から二カ月半、十一日未明の地震でも崩落が続き、なお生々しい姿をさらしている。海側から見ると崩れ落ちたがれきが山となり、岬との間の海も埋められて陸続きになっていることを十三日、漁業者が船で確かめた。
 立岩は笹波の集落の外れから日本海に突き出した高さ四十メートルほどの玄徳(げんとく)岬の先にある。三角形で海から三十メートルほどの高さにそびえ立つ姿は壮観で、隠れた名所となっていた。今回の地震でその先端部分が崩落し、高さは半分ほどになった。

 陸側から見ると、表側の割れた状態は分かるものの、裏側がどうなっているかはほとんど知られていなかった。この日、笹波の漁業小舘春雄さん(62)が船を出して海側から状態を確認した。柱を縦に重ねたような柱状節理の立岩の周辺はおびただしいがれきが崩れ落ちていた。幅二十メートルほどあった岬との間の海もほとんど埋まった状態になっているように見えた。

 十一日未明の震度4の地震でも立岩の崩落があったという。ちょうどそのころ、約五百メートルほど離れた船だまりで出漁準備をしていた笹波の漁業原好明さん(69)は闇の向こうから「がらがら」という不気味な音を耳にしている。原さんや小舘さんは「まだまだ地震は終わっていないようだ」と警戒を解けずにいる

北國新聞ホームページ - 石川のニュース

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復興に向けてようやく動き出したが、被災した住宅などが残されたままで、住民は「自分たちだけではなんともできん」とぼう然としていた。

 深見地区には、約40世帯約90人が生活していた。震災で幹線の市道が土砂に埋まり、海岸から船に乗ったり、林道の土砂の一部を撤去したりしてほかの地区に逃れた。林道が仮復旧して通行可能となり、8日から午前10時~午後4時の一時帰宅が認められた。避難生活を送る同市門前町中心部から深見地区までは、市道なら15分ほどだが、今は乗用車1台がようやく通れる林道で約1時間かかる。

 9日は約50人が、家財の整理などに訪れた。地区では住宅やブロック塀、寺の門などは今も傾いたまま。大きくかしいだ自宅の塀と納屋を見上げ、木谷庄一さん(75)は「自分だけでは何ともできん。トラックが入れず、業者も頼めない」とため息をついた。

 杉本ちせ子さん(72)は、母のやよさん(93)を3月1日、亡くし、遺骨を自宅に残したままの避難生活だ。「車に寝てでもここに残ろうと思ったが、車庫の扉も開かない。最後の最後に、母を1人にしてしまった」と、遺影を見つめていた。

(2007年4月10日1時53分 読売新聞)

どう復旧、一時帰宅の住民ため息…輪島市深見地区 能登半島地震 特集 YOMIURI ONLINE(読売新聞)


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地震で“陸の孤島”深見地区、自ら重機で林道切り開く
 震度6強の直撃を受けた石川県輪島市。海岸沿いの幹線道路が大規模な土砂崩れでふさがれ、“陸の孤島”となった門前町深見地区では、住民らが26日早朝から、重機などを持ち寄って自らの手で林道を切り開いた。地震の被害から早く立ち直ろうとする被災地を歩いた。(藤山純久)

 同地区の住民約90人のうち約70人は船などで別の地区の避難所に移った。だが、約10世帯約20人は「誰もいなくなるのは心配」と自宅に残った。大半が高齢者だ。

 市街地につながる幹線道路の海岸沿いの道路は、約10か所で最大で直径3メートルはある大きな岩が土砂崩れ防止用の金網や柵を突き破り、土砂が100メートル近くにわたってふさいでいる所も。復旧のめどは立っておらず、食料は船で運ばれてきた炊き出しのおにぎりと漬物でしのいだ。

 地震で通行できなくなった「山越え道」の林道を復旧させようと、住民4人が午前8時30分ごろから、重機やチェーンソーを持ち寄り、土砂や倒木の撤去作業を始めた。約2時間後、車1台が何とかノロノロ運転で通れるようになった。作業を終えた、僧侶高滝章さん(60)は、「いざという時にはこれで安心」と語った。しかし、路面が所々で陥没しており、斜面崩落の危険も残る。

 余震の不安も続く。「避難所は寒さがこたえる」と自宅にとどまった川端春雄さん(78)。自宅は、柱が損傷しており、余震のたびに家ごとミシミシと音がする。「とにかく早く余震が終わってほしい」と疲れ切った表情で語った。

(2007年3月26日14時16分 読売新聞)

地震で“陸の孤島”深見地区、自ら重機で林道切り開く 能登半島地震 特集 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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 中越地震で震度7を記録した川口町の木沢地区(五十三世帯)。町に通じる二つの県道が陥没、通行不能となって孤立した。
 ふもとからの救援は来ない。水も食料も底を尽き、体調を崩す人も出た。「このままでは、みな死んじまう」。地震発生から三日後の先月二十六日、地区の役員たちは自分たちで道路を作り直すことにした。
 幸いパワーショベルやダンプがあった。その日のうちに取りかかり、陥没したアスファルトをはいで砂利を入れ、でこぼこをならしていった。
 陥没は計十一か所。十メートルにわたる所もあった。余震が続き、新たな土砂崩れや陥没が起きる危険の中で作業は続いた。男性の一人は「正直、怖かった」と打ち明けたが、それでも「復旧しなければ、集落は終わり」との思いが勝ったという。日没後も工事を続け、その日のうちに乗用車が通れるまでになった。
 作業は三日間で計二十一時間、延べ五十一人がかかわった。「住民が一致団結した結果」。指揮を執った星野国樹さん(58)は胸を張る。
 地震は地区に大きなつめ跡を残した。強い揺れで井戸と各戸をつなぐ配水路が壊れ、豊かだった伏流水がみるみる減った。生活への影響はもちろん、美しい棚田が失われる可能性もある。
 初老の男性が唇をかみしめた。「これからが正念場だ」。団結力が必要な危機はまだ終わっていない。

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コミュニティ防災マニュアル

東京都での災害

2007年06月03日 | ◆地域の防災
 仮設住宅用地の無い東京都では、大規模災害発生時、以下の様に遠方に集団避難となるのではないでしょうか?

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三宅島噴火及び新島・神津島近海を震源とする地震による災害


 平成12年6月26日、三宅島について噴火のおそれがあるとして緊急火山情報が発表され、その後7月4日頃から山頂直下での地震が観測され始め、7月8日、14日、8月10日、13日、14日と小規模な噴火があり、8月18日には、それまでで最大規模の噴火が起こり、29日にも18日に次ぐ規模の噴火がありました。
 三宅村では、6月26日に避難勧告を行い、27日の時点における避難勧告の対象は、1,336世帯、2,607人となり、その後7月14日、8月10日及び18日の噴火の際に、それぞれ避難勧告を出したものの、8月21日までにはすべて全面解除されました。しかし、度重なる噴火のため、島外へ自主的に避難する住民も多くいる中で、9月2日には、三宅村が防災及びライフライン関係要員を除く住民の島外への避難指示を行いました。


8月18日に雄山から再噴火した三宅島

  また、平成12年6月26日から、三宅島島内西部で始まった火山性の地震活動は、西方へ移動しながら三宅島と神津島の中間の海域まで移動するとともに、27日午後からはマグニチュード4.0以上の地震が発生し始め、29日12時11分にはマグニチュード5.2の地震が発生し、神津島村で震度5弱を記録しました。
 7月1日16時01分には、新島・神津島近海を震源とする地震が発生し、神津島村では震度6弱、新島村で震度5弱を記録しました。
 この地震により、神津島村では土砂崩れにより、男性1人が死亡したほか、住家の一部破損、土砂崩れ等多くの物的被害が発生しました。地震による死者の発生は、阪神・淡路大震災以後初めてのことでした。
 この地震以降も、三宅島近海及び新島・神津島近海では地震が多発し、6月26日から10月末日までの間に、震度6弱が6回、震度5強が7回及び震度5弱が17回発生し、新島村では負傷者14人、住家の一部破損108棟(10月31日現在)の被害が発生しました。


 これらの災害について、巡回、給水、避難誘導、泥流警戒など、延べ約1,800人の消防団員が出動し活躍しました。
 特に、伊豆諸島の各島では、地震により家屋の倒壊や崖崩れが多く発生し、ブロック塀の破損が多く、余震等により崩れやすくなったブロック塀等による二次災害を防止するため、崩れた瓦礫の整理、崩れかけたものや亀裂の入ったものの撤去などを行い、安全対策の徹底を図りました。また、三宅島では、雄山の噴火により全島避難命令が出された中でも、自らの危険を顧みず現地に交代で残留して警戒活動を続けました。

消防団 三宅島噴火及び新島・神津島近海を震源とする地震による災害 ~より~

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2000年8月下旬~9月

 新聞記事などにより池田晴哉がまとめた。

 ◎2000年8月24日から31日(全島避難活動始まる)

日付
時刻
三宅島関連の情報
8月23日   本日までの島外避難者は600人(15%)
8月24日 午前6時33分 雄山で小規模噴火
灰白色の噴煙2200mまで上がる。降灰は少量(阿古地区)
  午前中 村は介護必要な高齢者8名を、ヘリコプターで都内へ避難させる。
村議会は都へ全島避難を要望。
村教育委員会は、全児童・生徒(327人)の島外避難決定。
    火山噴火予知連伊豆部会が開催
8月25日   都は児童等の受け入れ先検討に入る。三宅高校の受け入れは秋川高校(来年廃校)で検討。
都は都営住宅の空き室の無料提供を決定(原則3ヶ月。6ヶ月迄)。
都は噴石よけとして、下水管利用のシェルターを明日から設置。18箇所。(W 1.5m、L 2m、H1.8m)都は土砂災害対策検討委員会を設置。
    小中学生中心に150人が定期船で離島。飛行機で7人。
 村調べ 25日夜で950名離島(小中学生は211人)
8月26日   都と村は小中学生の島外避難を決定。高学年以上は秋川高校へ。
小3以下は、都営住宅から近くの学校へ行く。
村は児童生徒の避難後、70才以上の島外避難の検討開始。
8月26・27日   三宅島の二酸化硫黄放出量が大量になる。桜島クラスの濃度を測定。
8月27日   村教育委員と各校長(6名)が集団移転視察のため離島。
28日の秋川高校視察に230名が希望。
島民176人が定期船で離島。村調べ 全離島者は1335人
8月28日   都は秋川高校への小中高生の集団避難を31日と決定。
  午前10時~午後2時 三宅島から放出の二酸化硫黄が神奈川・静岡・東京で臭う。
八王子で0.935ppm/時。環境基準の9倍以上を測定(南~南東の風に乗る)
8月29日 午前4時45分~5時40分頃 山頂より大噴火(水蒸気爆発)。カルデラ形成進む。火砕流発生。
噴煙は8000m以上。5000m迄は黒灰色、それ以上は灰色。北~北東に流れる。火山灰は厚いところで15cm。朝の雨でぬかるみ、都道閉鎖7Km。
  午前6時10分~ 停電。島の1/4で停まる。
    政府が非常災害対策本部立ち上げ。
初会合。艦船の近海待機他決定。来週チーム派遣。
それを受けて都災害対策本部設立。(都知事は外遊中、帰国は31日)
    石原知事はクアラルンプールで記者団会見
「全島雛難の状況ではないと思う。島民は不安だろうから、都が最悪の事態に万全の備えをしていると伝えに行く。9月2日に訪問予定。
  午後 定期船で小中学生は全員離島 夕方到着。
136名と教職員94人(噴火で1日繰り上げる)。
  午後10時 都は、海上自衛隊に災害派遣要請。
8月30日 午前4時24分~5時 小規模噴火 噴煙2500m。朝から強い雨。
  午前11時45分 村は避難勧告。伊カ谷地区・阿古地区・三池や坪田の一部へ。
約800人が避難生活。約300人離島。半数が離島、残りは約1600人。

都は470戸の避難住宅を確保(66戸の入居決定)
  午後 竹芝桟橋の船で一夜を過ごした小中学生は秋川高校へ。共同生活開始。
    都は避難用チャーター船を竹芝桟橋へ。
海上保安庁は船舶1隻近海待機
海上自衛隊は掃海艇1隻 待機、護衛艦1隻 向かう。
夜中には心配された雨はふらず。
8月31日 午前7時45分 村は正午迄の一時帰宅を発表。
  午前8時15分 白い噴煙3000m
  午前 都災害対策本部は初の現地で会議。
(青山都副知事・警視庁・都消防庁・自衛隊他)
  午後 定期船で100人離島、残りは1500人。
  夕方 避難解除
都と村は降灰・噴石除去を進め、道路復旧を進める方針。
村の建設会社従業員80名に残島依頼。
    艦船等沖合待機
     火山噴火予知連絡会伊豆部会・見解発表
「29日未明の噴火で弱い火砕流が発生した。マグマが直接関与している場合は、将来、より強い火砕流になる可能性がある。温度30度、時速10Km程度の火砕流が、雄山の北東側と南西側の二方向へ流れた。北東側は海に流れ込み、到達距離は5Km.。
噴火は上昇してきたマグマが地下水と接触して起きた可能性もある。」

防災基礎編 防災ニュース ~より~


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三宅島避難動物

 
 
 全島避難勧告伴い三宅島の飼育動物(犬、猫、ハムスター、学校飼育動物のニワトリ、ホロホロチョウ、ウサギなど)約二百数十匹が東京に搬入され、その内南多摩獣医師会では、犬9頭、猫12頭の計21頭を9月3日、4日の両日竹芝桟橋で飼い主から一時的な受け入れをした。

その後、飼い主の住居移動、引き取り、里親、死亡などにより、現在、犬4頭、猫4頭、計8頭が、南多摩獣医師会の会員病院に分散して飼育管理されております。
その現況と写真を飼い主の方々に、私どものホームページを介してお知らせいたしたいと思います。長い間、家族の一員として生活を共にして来た動物たちの近況を知ることで、少しでも心の支えになれば幸いです。

                        
*ドクちやんは、里親に引き取られました。末永く可愛がって下さい。
  南多摩獣医師会でお預かりした動物たちは、お陰さまでバンちゃん一匹を残し一時里親、里親が決まりました。引き続きご協力よろしくお願いいたします。

*バンちやんは、動物病院が里親となり飼育することになりました。

9月3日 午後9:30 竹芝桟橋受け付け
阿古地区  
動物種:猫  品種:日本猫 愛称:グー  性別:雄  年齢:8ヶ月  毛色:白・グレー
動物種:猫  品種:日本猫 愛称:チャー 性別:雄  年齢:1歳   毛色:茶

三宅島避難動物 ~より~


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三宅島の噴火から、まもなく3年――。
メディアの報道機会が減るにつれ、人々の関心も薄れつつあるように見えます。それでも、被災者の方々が安泰な日々を送っているわけではありません。長期化する避難生活の裏には、あらゆる面において深刻な問題が山積みとなっているのです。
そこで今回は「三宅島島民連絡会」の会長を務める佐藤就之さんに、被災者の生活の現状と諸問題について語っていただきました。

誰も予想できなかった3年近くにもわたる避難生活

今回の噴火が始まったのは、平成12年6月26日です。それ以降は震度5~6という火山性の地震が群発し、島民は極度の緊張を強いられながら過ごしました。避難指示を受けたのはそれから約2カ月後、ちょうど防災の日の翌日にあたる9月2日でした。それは、3日以内に全員避難せよというあわただしいものでしたが、結局村職員と防災関係者を除く約3800人、1800世帯の島民が無事に離島しました。

 避難後は東京都をはじめとする関係各機関のご尽力で集合住宅等を提供していただき、全島民が仮住まいを確保することができました。また、多くの方から寄せられた義援金は24億円以上にのぼると聞いています。さらに、全国各地から多くの生活物資もいただきました。こうした皆様のあたたかいご支援・ご協力には島民一同、本当に深く感謝しております。

 ところが、当初は避難生活がこれほど長くなるとは予想できませんでした。これまでに経験した三宅島の噴火災害をふまえると、少なく見積もって1~2週間、長くても2~3カ月たてば帰島できるだろうと誰もが思っていたのです。ですから、私たちの想像を遥かに超えた3年近くもの避難生活は、そのまま“二次災害”となって島民を苦しめているのです。


特集2.長期避難生活を通して見えた被災者を取り巻く現状と課題日本の現状と今後の課題 ~より~


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ジャック・モイヤー (Jack T. Moyer、1929年3月7日 - 2004年1月10日)は、アメリカの海洋生物学者。カンザス州出身。

1948年、コルゲート大学在学中に朝鮮戦争に徴兵され、日本に駐在。このとき、三宅島の近くの大野原島(通称三本岳)にのみ生息する日本固有種のカンムリウミスズメを、ハリー・S・トルーマン大統領の側近に手紙で訴えて爆撃計画を阻止することで救った。

1954年に一旦帰国し、コルゲート大学を卒業。1957年、三宅島に中学校の英語教師として赴任。以降、三宅島に永住し、アカコッコや海洋生物などの生態研究を続ける。1984年、東京大学において「魚の繁殖生態」により博士号を取得する。

クマノミの性転換の発見、三宅島に生息する魚類のミヤケテグリ(ネズッポ科)の発見など、数多くの業績を残し、また同時に環境問題にも通じていた。

2000年に三宅島が噴火し、全島避難が行われるとあきる野市の市営住宅に居を移した。それと共にフィリピンに開いていた自然学校の経営が悪化し、資金繰りに苦しむようになる。その後、噴火活動の沈静化を受けて、三宅島周辺のサンゴ礁の調査に従事。ジャック・マイヨールの自殺に関しては「自殺は良くないね」と言っていたが、2004年にあきる野市の自宅で、妻への感謝を述べた遺書を残して自殺した。


ジャック・モイヤー - Wikipedia ~より~

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三谷 彰さん 三宅島社協・社会福祉士     


「 望郷 」

 三宅島からの避難後、コミュニティーの分断をどう防ぐか、必死で考えてきた。阪神・淡路大震災から、私たちが得た教訓だ。離れて暮らしていても心はつながっていたい。そう願い、島民電話帳を作り、ニュースを届け、集会を開いてきた。

 今の日本は、災害に遭ったら人生おしまい。多くの人がそう感じているように思う。だが、これほどの災害大国で、それは違うんじゃないか。個人補償制度は被災者を助けるだけでなく、国民全体の安心材料になる。「またやり直せる」という希望につながる。

 自力で立ち直れる人だけが残り、あとは脱落。その先に、島の復興はあるのか。島の人たちは今、このことを考え始めている。

 三宅島の噴火災害で全島民が避難して、一年がたつ。有毒な火山ガスの放出は続き、帰島のめどは立っていない

 帰島できるか、できないか。全島民の最大の関心事だ。いつまでも「避難」はできず、将来が見えなくても、「生活再建」という次の段階に移らざるを得ない時期に来ている。

 「全員で島に戻ろう」というスローガンにこだわり、島の復旧や島民の救援に朝から晩まで走り回って、家庭がうまくいかなくなったり、体を壊すケースも出ている。これではたとえ帰れても、本当の生活再建はできない。

 島外で職に就き、人間関係を深めていく。そうして目の前の暮らしを大事にすることは「島に帰らない」という意味ではない。島民も行政も、そろそろ、この点に目を向けるべきだ。


 三千六百人余りの島民は、十八都道県、東京都内では二十三区二十六市などに分かれて暮らす

 ばらばらになった島民をつなぐため、生活情報や島民の近況を載せたニュース「みやけの風」を、約二百五十カ所に週一度、ファクスで送っている。私の働く三宅島社協も構成団体である「三宅島災害・東京ボランティア支援センター」の事業だ。キーパーソンに配信し、その人から、近くに住む島民に届けてもらっている。そこで言葉を交わしてほしい、と願うからだ。

 島民ボランティアが電話をかける「ふれあいコール」も続く。「われ、何やってんだ」と、島の言葉で楽しかった思い出や暮らしぶりを語り合えるひとときに、気持ちがほぐれるようだ。


 避難後、だれにもみとられずに亡くなった島民は、一人もいない

 災害の規模も阪神・淡路大震災とは違い、幸い「孤独死」はゼロだ。きずなを守ることの大切さ。大震災から学んだことでもある。大震災では、避難所から仮設、復興住宅へと移るたび、コミュニティーが分断され、さまざまな問題を引き起こしていると聞いていた。それが私たちの問題意識の根底にある。

 島社協のホームヘルパーら二十四人が「情報連絡員」となり、高齢者や障害者宅を訪ね、電話でも声を掛けている。今年七月までに、のべ約千三百件。ただ、入院などの緊急対応は難しく、一番必要なときに力になれていたのかと、歯がゆい。

 私たちだけでは限界があり、島民の居住地の社協に活動をつなごうとしている。だが、島外の人には“背景”が伝わりにくいこともあり、引き続き島社協の対応を望む人もいる。島の人から忘れられたくない気持ちは、痛いほど分かる。電話だけは続けている。


 島の基幹産業は農漁業と観光。村役場の調査に、半数以上が「避難後に収入減」と回答。自営業者の半数は「収入ゼロ」と答えている

 先の見通しが立たないため、仕事へのスタンスが決められない。生活再建につながる仕事に就けた人は少なく、「とりあえず食いつなぐ」ケースが大半だ。それでは人生の展望が持てない。

 人間関係も、この先どうするつもりか、お互い探り合うようになってきている。島に帰らないようなそぶりをみせると、お年寄りはとても不安がる。若い人たちはそれを知っているから、表には出さない。気をつかいながら将来に悩んでいる。


 東京都は、島民を対象に八王子市内に「げんき農場」を開いた

 畑仕事で「自分らしさ」を取り戻し、喜んでいる島民も多い。地理的に一部の人しか利用できない、との批判もあるが、全員に行き渡らない支援は駄目、という考え方は違うのではないか。できる人から助けるという手法は認められるべきだ。それが、広がりを生むきっかけにもなる。


 今回の災害では、被災者生活再建支援法が適用された

 私も申請したが、年収がわずかにオーバーし、もらえなかった。「生活再建支援」という名にしては、所得や使い道など制限が多すぎる。最高額の百万円でも「一時金」以上の力は持たない。ハードの復興も大事だが、それと同じお金や労力を個人の再建支援にもつぎ込むべきだ。そうしなかった結果が今、大震災の被災地で問われているのではないか。

 公的資金による個人補償も、日本のように自然災害が多い国では、制度として必要だ。それだけの経済力もある。過去、いくつもの被災地で、被災者自身が必死で闘って補償を手にしてきた。なぜ被災者が、足元の生活が混乱を極める中で、そこまで頑張らなければならないのか。


 三宅村長が全島避難を要望した際、都は動かず、実現までに一週間かかった。その間、火砕流が発生したが、低温だったため幸い犠牲者は出なかった

 行政の意思決定システムの欠陥が露呈した。今後、都心部で大災害が起きたとき、同じ対応をしたら、必ず大きな犠牲が出る。今回の対応を総括し、命を守る仕組みをつくり直す。それが何より求められている。

 みたに・あきら 1959年、神戸市出身。早稲田大卒業。東京都内で高校教員として勤務後、三宅島に移住。90年6月から三宅島社会福祉協議会で福祉活動専門員として働く。現在、島社協は新宿区内の「東京ボランティア・市民活動センター」の一角に拠点を置き、5人のスタッフが介護保険のケアプラン作成などに当たる。デイサービスなどの事業は休止中。

 今年8月にブックレット「三宅島 島民たちの一年」(岩波書店)を出版。東京都北区の都営住宅に妻子とともに住む。島に建てた自宅のローンの支払いは毎月、続いている。


「忘れていた“目線”」

  月明かりが水平線を照らし出すという。潮だまりにちゃぽんと潜れば、色鮮やかな海の生き物たちが迎えてくれる。

 繰り返す噴火は「御焼(みやけ)」として、島の名の由来ともなった。自然と折り合いをつけながら生きてきた人たちが、故郷の島を離れて一年。目の前に広がるのは、工場と家ばかり。それでも、走り続けてきた。

 自立しようと、新しい仕事を始める。家具がまた一つ増える。立て直そうと懸命になるほどに、島は遠くなる。「でも、復興を担うのは島民だ、頑張れ、頑張れって、周りは言うんだよね。先が見えない災害に立ち向かっている島民一人ひとりの暮らしや健康に、もう少し、丁寧に目を向けてくれたら。ねえ」

 思い上がりを恥じた。三谷さんは決して、そんなつもりではなかったと思う。でも。同じように大きな災害に見舞われたまちに住んでいる。それだけで、分かったような気になって。

 東京・竹芝桟橋から船で六時間。満月の夜には、影踏み鬼をして遊んだ島。一時帰島できたときには、残したままの育児日記をせめて取ってくる。三谷さんは家族に、そう約束している。

震災を語る 三谷 彰さん ~より~

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 島では、ウツギの花が咲き、昨日からホトトギスが鳴き始めたそうです。風も吹き、すっかり夏を感じさせるようになってきたとのこと。東京では、毎日暑かったり、寒かったり。お互い気をつけて、過ごしたいですね。

■みんなの声

まるでお祭り騒ぎのような三ヶ月三月になると、磯の釣り場のあちこちに、釣り人の影が目に付き始めた。 しばらくして、夕方になるとやってきた、メジナ達。 「おお、今日は刺身になるか。」数日後、またやって来て、 「あんれ、今夜はフライになってみるか。」そして、またまたやって来て、 「う∼ん、今夜は空揚げでいいか。」山の物が食べたくなって、かみさんと竹山に出かけたが、まるで無かった。 それどころではない、先に誰かに入られているようだった。 かみさんの実家の土地だから、俺たちに不正はない。 数日後、また出かけた。 また、まるで無かった。 俺たちはパンを作っているせいで、午前中にそんな時間の余裕など無い。 次の休日、早く出かけた。

小山ほども取れた。 天ぷら、味噌汁、卵とじ。 「う∼ん、また天ぷらにするか。」他にも、飛び魚、マスコミ達が連日やって来た。 うちのパン達と言えば、東京に、御蔵島に、神津島に連れて行かれて大変だったようだ。 そんな、なんだかんだで、もう三ヶ月経とうとしている。 それまで人の気配が無かった家も、雨戸が開き、中から話し声が聞こえ始めてきた。 しかし、元の家主が戻ってはいない家が意外と多いのに気付いた。 自身の体の健康のこと、子供の教育のこと、仕事のこと、 そしてもちろん高濃度地区に指定されたことで・・・。 そんな境遇の人達がまだ千人もいると言うのに、 この島では、まるでお祭り騒ぎのような三ヶ月だった。 「全島避難解除」というお祭りの。 今、少し、恥ずかしい気がしている

http://www.tvac.or.jp/miyake/press/kaze223.pdf  ~より~



朝日新聞 ’07・3・7付け千葉版 より

2007年03月07日 | ◆地域の防災
 千葉市内 電線の高さ(道路法では4,5メートル)2900ヶ所で高さ不足

 千葉市は6日、同市管理の市道と県道、国道上の電線の高さが約2900ヶ所で道路法施工令で定める4.5メートルを下回っていた事を明らかにした。開会中の二月定例会で小関寿幸(共産)市議の一般質問に答えた。市は違反のあった東京電力やNTT東日本に6社に対し該当部分の今月中の改修とこれ以外にも基準を下回る部分がないか調査をするよう指導した。
 調査は横浜市の市道で昨年11月、トラックに積んだ重機が防犯カメラの電線に引っかかり、街路灯が倒れて女児が死亡した事故を受けて実地した。千葉市維持管理課が同12月27日、電線を設置する為の「道路占有許可」を受けている14社に対し基準を下回る電線の有無を調べるよう指示していた。
 調査の結果、2月29日現在で市内の2909ヶ所で基準を下回る電線があったという。「当然守られていると思い、高さが書かれていなくても通していた。」
と同課。違反のあったNTT東日本など電線の設置者6社に対し。是正を指導。
 今後は市が道路パトロールの際に電線の高さのチェックを厳しくしていくという。
 電線:137カ所で規定の高さを下回る 横浜の女児死亡事故受け、県が総点検 /埼玉:MSN毎日インタラクティブ

中越地方と東京都、茨城県、埼玉県、神奈川県、千葉県とを比較してみました。

2007年02月11日 | ◆地域の防災

                     同縮尺

中越地方 面積 376041km2 総人口 435243人  

        人口         人口密度
 
長岡市      282690人        336.1人/km2
小千谷市    39613人        255.3人/km2
十日町市    61310人         103.9人/km2
魚沼市        43108人          45.5人/km2
南魚沼市    62955人        107.6人/km2
川口町        5082人        101.5人/km2

中越地方  435243人       376041km2
新潟県合計  2419889人   12583.40km2  192.31人/km2

  中越地震死者67人 負傷者4805人  
 避難した住民最大103000人 家屋の全半壊 約16000棟 
 
        人口         人口密度   総世帯数
 
茨城県    2971798人   487.5人/km2   1046345世帯
千葉県    6077632人 1149.0人/km2   2360863世帯
埼玉県    7083401人 1827.0人/km2  2740244世帯
神奈川県  8846454人 3515.0人/km2   3713460世帯
東京都  12678395人 5514.0人/km2   5965301世帯 

    東京都の備蓄食料
 
食品の備蓄・調達総括表 (平成17年4月現在)
      
 品名                 備蓄          調達                 計 

クラッカー                           800000食        800000食  
即席めん    1000000食    2090000食     3090000食  
アルファ米   1000000食     75000食    1075000食 
米穀                     328000000食  328000000食

計             2800000食 330186760食 332986760食 
 
調整粉乳 55461 缶   55461缶  ほ乳びん 32000本     

(注)調製粉乳は1缶あたり350g

 東京都の防災飲料水の供給と食料の備蓄http://www.bousai.metro.tokyo.jp/06bitiku/06frame.htm

世田谷区(人口783152人 393667世帯)ではどんな物を備蓄していますか?                                                       http://www.setagaya-call.jp/faq2/userqa.do?user=setagaya&faq=faq_main&id=2980&parent=78

備蓄食料減少傾向http://www.chunichi.co.jp/saigai/jisin/feature/2002070101.html

首都圏直下型地震被害予測http://www.bousai.metro.tokyo.jp/11chokkajisin/11frame.htm

首都圏を襲う可能性のある地震に備えてhttp://www.enveng.titech.ac.jp/seo/AIJ_PDsaigai.pdf


千葉市を震源とする・・2

2007年02月07日 | ◆地域の防災
発生時刻2007年2月4日20時59分頃震源地千葉県北西部(北緯35.6度 東経140.1度 深さ80km 規模マグニチュード 4.2の震源地を見に行って来ました。
 窪地ではなく急傾斜地上の平地でした。
①震源地ですが普通の畑です。
②③こうした急傾斜地の上です。
④⑤付近の崖状の地形に密集する住宅地。
⑥付近の急なので有名な坂 ⑦崖状地の擁壁
 この辺りは土砂災害危険箇所に指定されています。
土砂災害危険箇所の公表について

わたしはマグニチュード4.2はかなり大きな地震だと思います。
 この地形は千葉に多い谷津田ではなく東京湾北緑断層の一端なのでは?とも感じました。
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/~hiroi/index-genzai_no_sigoto-katudanso-tokyowanp.pdf

千葉市を震源とする・・

2007年02月06日 | ◆地域の防災
発生時刻 2007年2月4日20時59分頃 震源地(震央) 千葉県北西部(北緯35.6度 東経140.1度 深さ80km) 規模 マグニチュード 4.2 地震情報 - goo 天気  Hi-netの地震の震源地です。
震源地 .1

 近くの確かに急斜面のある窪地です。今度見に行ってみます。

千葉県北西部地震 - Wikipediaの震源地は→震源地.2でした。千葉県北東部地震 - Wikipediaなどもありました。

千葉県のコンビナート

2007年02月03日 | ◆地域の防災
北海道苫小牧の石油コンビナート火災は記憶に新しいですが、千葉県にははるかに多くの石油コンビナートがあります。
 また、要所に於いて厳重な警備がなされていますが、ある道路は成田空港への燃料輸送パイプラインを兼ねています。
開港25周年までの歩み13  NAA
http://www.naa.jp/jp/airport/greenport/2005_12/company.pdf

液状化危険度予測
千葉県石油コンビナート等防災本部
石油コンビナート地区の被害 首都直下地震被害想定
2003年十勝沖地震の際の長周期地震動
石油コンビナート訓練
第27回八都県市合同防災訓練の実施について
(自治体名は合併により変更あり)

千葉県の活断層 2

2007年02月03日 | ◆地域の防災
 ①千葉県活断層調査図 ②付近図 ③千葉県土砂災害危険箇所の公表について・冒頭図


ようこそ! 千葉県県土整備部 河川計画課・河川環境課のホームページへ
活断層調査
液状化危険度予測
あくまで’千葉県’の見解である。として「鴨川低地断層帯」は、活断層である可能性が低いことが明らかとなった。との調査結果が平成12年11月8日に公表されました。
しかし
千葉県は、元禄地震(1703年)や大正関東地震(1923年)などのプレート境界に生じた海溝型地震の被害を受けてきました。今後もこの種の海溝型の地震などによる地震被害に対する注意が必要となる。
 特に房総半島南部の地域は、地すべり等の土砂災害や海岸部での津波などに対して注意・警戒が必要となってきます。
・・と続いています。

(自治体名は合併により変更あり)