333ノテッペンカラトビウツレ

 奇跡は 誰にでも 一度おきる だが おきたことには 誰も気がつかない

誰も知らない情熱

2008-08-16 02:14:30 | SP(Standard Program)
●最近、ずっとダーガーのことを考えて過ごしています。ヘンリー・ダーガーはアメリカの画家で、小さい頃に両親と死別し、ずっと施設で暮らしてきました。職にも恵まれず、皿洗いや掃除をしながら、教会に通う以外は数名の友人以外との社交もなく、ずっとずっと孤独に生きてきたそうです。

●そんな彼が一躍有名になったのは彼の死後、部屋から『非現実の王国で』と題された壮大な絵巻が発見されたからです。彼はひとりで何年もの歳月をかけて誰に見せるわけでもない絵物語を描き続けてきました。その量たるや実に膨大なもので、19歳から書き始めたシリーズは81歳で亡くなる半年前までずっと創作が続けられました。彼にとって創作は人から名声を得るためではなく、自身が生きる糧として、自分が死なないための手段だったのでしょう。

●誰にも褒められはしないが、自分のためにせっせと時間を使い、何かを創作したり、研究したり考えたり学習したりすることの重要性について考えます。当たり前ですが仕事というのはどこかで「自分以外の人に評価される」のが基本ですから、どこかで自分のためにせっせと学習したり創作したりする必要があるのではないかと考えるわけです。ま、適度な消費行動によって何らかの矛盾やストレスが解消されてしまう人もいると思うのですが、世の中にはそれでは収まりがつかない人もたくさんいるわけです。

●世の中には在野の研究家と呼ばれている人がたくさんいます。誰から頼まれたわけでもないのに、自分の興味からせっせと研究活動をしている人のことです。そういう人は当然ですが雑誌にも載りません。誰からも褒められません。しかし、それがどうしたと言うのでしょうか。新聞やテレビに出ている人が御立派なことをしているかどうか知りませんが、筆者はその結果はともかくとして、在野の研究家の情熱を無条件に肯定したいと思います。

●よくこのブログに「マッチ棒で作った姫路城」というフレーズが出てきます。ひたすらにマッチ棒をボンドでくっつけて城を作る趣味をもっている人がいます。流れ上、筆者はこのマッチ棒の城をネタにしますが、その情熱は純粋に肯定されて良いのではないかと思います。

●ここ最近、ダーガーの生涯を描いた映画を公開され、多くの観客を集めました。しかし、観客の多くは「ダーガーの作った世界」に魅了されているのであって、ダーガーが作品の傾けた情熱にはさほど興味がないのではないでしょうか。それは履歴書に書いてしまえば“趣味”と呼ばれるのかもしれませんが、人間の生涯には“趣味”と相手が呼びたければ呼んでもいいけど、そう呼ぶ以上の重みのある行為が存在していると最近、しみじみ思います。