・思い込みや執着等から解放されて次のステージに動くタイミング
・停滞していたことが動き出し一から再スタート
そんな意味があるそうで なんとなく気に留めていたのですが
なんと 驚くべき出来事がありました
主人から「しゅんしゅんがママに謝りたいって」
な、、、なんで???急に?!
***
夫の連れ子であるしゅんしゅんと
初めて会ったのは この子が4歳の時
同居したのは この子が小学校入学の時
母親代わりに動くにあたり 何かと不便を感じたので
半年後に籍を入れ 養子縁組も同時に行い
晴れて正真正銘の家族になった訳ですが
うまくいかないことばかりで どうしたらいいのかと悩み
10年以上経って判明した衝撃的な答えは
「継母は育児しちゃダメ!」ということだったのです
どんなにがんばろうが子から見たらただの父の再婚相手でしかなく
急に現れた他人から口うるさく叱られるのだから
ウザいババアだと捉えられてしまうから 育児は父親に任せる
子供同士のトラブルも学校からの連絡も日常生活のマナーも片付け等も全て
継母ではなく父親が叱ること
どの子も大抵「おばあちゃんは優しいから大好き」なのは
日常生活に深く関わらず甘えさせるだけだから
継母もおばあちゃんのような存在になり
あたたかく見守り 必要な時にチカラになる それがキモだとか
しかし実際のところ いつだって何だって対応するのは母であり
父親は「そんな事があったんだね」と傍観者になりがち
継父が娘とうまくいくことが多いのは そのスタンスで対応してもらうからだと
なるほど と思いました
私が「お母さん」やってたから全然うまくいかなかったんだ
私には上の娘達もいて下にチビーズもいる
この子だけ特別扱いなんてできる環境じゃなかった
それでも小さい時は随分特別扱いしたんです
「なんでしゅんしゅんばっかり」っていう言葉を娘達から何度聞いたことか
その度に胸が痛かったし ものすごく辛かった
なんで実の娘達を犠牲にして我慢をさせてまで
継子を立てる必要があるのかっていう葛藤もありました
当の継子は元々一人っ子だから特別扱いを当たり前としか思っておらず
我慢している娘達に自慢話をする始末(まぁ小さかったから仕方ないのですが)
子供が大きくなるまで別居でよかったんじゃないか
適度な距離があれば良い関係が築けたかもしれないのに
なんて悶々としてばかり
家に帰りたくなくて涙をこぼしながら仕方なしに帰っていたあの頃
顔を合わせてご飯を食べられなくなって
支度だけしてビール片手に2階へ逃げる日々
そのうちあの子も自室でご飯を食べるようになり
思い出すだけで胸が締めつけられます
あの子も 私といることに同じようにストレスを抱えていたのです
そんなこんなで
子育てを主人にバトンタッチして関わりを完全に断ち
顔を合わさず話もしない状態になって数年
***
久々の対面に緊張
謝らなきゃならないのは私
口うるさく言ってばかりでごめんね
まだまだ未熟な私
ちゃんと目も合わせられなかった…
これから少しずつ取り戻していけますように
今日も 幸せをありがとうございます