甚六ぶらぶら日記

岩手の穀潰し主婦・甚六の覚書

懐かしい場所

2008-01-17 16:58:49 | 盛岡散歩
 あっちへぶらぶら、こっちへぶらぶらと歩きながら撮った、懐かしい感じのする場所の写真です。場所は中ノ橋通から北側、上の橋までの間。
 


 ・丸竹茶屋 上ノ橋町

 上の橋そばのお餅屋さん。明治5年創業です。店内でも食べることができます。
 私はこの日「桜大福」を買いました。大福に桜の花(の塩漬け)が一輪添えられています。餡もほのかに桜の香り。甘すぎず、おいしい大福でした。




 ・関口屋菓子輔 神明町

 駄菓子屋の老舗です。この日はお休みでしたが、ショーウィンドウにディスプレイされたお菓子の木型に目を引かれました。
 表の店は新しいのですが、奥には古い建物や「店火の見」が残っているそうです。




 ・長福院 中ノ橋通一丁目

 明治で廃寺となった愛染院の愛染明王像、南部家菩提寺の北山聖寿寺の仁王像が祀られています。
 不動明王、好きです。怖い外見ではありますが、まさしく「心を鬼に」している姿です。「あなたのためを思って言っているのよ!」という母心に通じます。親しみをこめて「お不動さん」と呼びたいです。
 右側には「斗米稲荷」。この辺り斗米山という岩山で、ここの石材が街づくりに多いに役立ったとか。賢治先生の童話に「とっこべとらこ」というものがあるそうです。現在は、「ここが岩山?!」と思うような場所ではあります。




 ・三明院 神明町

 陸中八十八ヶ所第五十九番、本尊普賢延命菩薩。同じ敷地にもう一つ、盛岡三十三観音第三十二番三明院がある。元は修験の寺。・・・以上ガイドブック(ぶらり盛岡河南版)からの引き写しです。写真の通り、敷地内に3つお社があるのですが、私にはどれがどれだか・・・。すみません。









 ・森九商店(ござ九)紺屋町

 以前もご紹介した幕末の豪商・ござ九さんの店舗です。正面はこちら。この真裏(中津川沿い)に以前紹介した白壁の土蔵があります。この黒い建物も最初は白壁だったのですが、戦時中の灯火管制のため、黒く塗られたらしいです。
 ござ九さんの真向かいにも南部鉄器「釜定」さんの土蔵造りの店があります。


 ところで、紺屋町のござ九さん前の部分(↑の写真)と、中ノ橋通の三明院前あたりの道(↓の写真)がそれぞれクランク状になっていますが、これは枡形の名残ではなくて、外堀を埋め立てて作られた道筋がそのまま残っているかららしいです。



 寒さがますます厳しくなってきました。皆様ご自愛ください。
 火の元もご用心。この寒空で火事に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

寒中お見舞い

2008-01-16 19:30:21 | 歳時記
 申し上げます。
 どんど焼き、裸参り等の行事が目白押しのこの頃。
 いくつかお知らせを。



↑今一番気に入っている道

 
・青山の森永乳業の木造施設、早ければ今週末から解体が始まります。やはり一般公開はないようですが、記録保存が始まっています。こちらに期待。今この辺りの軍事施設跡について勉強中です。色々わかってきました。後日レポートします。


四ッ家の田中地蔵さん(大智田中地蔵尊)、23日に年越行事のようです。


・上田通り・中央病院向かい側の「sozai cafe BOCO」さん、おしゃれなお惣菜屋さんです。ロールキャベツやコロッケが絶品でした。値段はちょっと高めですが、お惣菜でほんのちょっとの贅沢(と楽)ができます。久々に応援したくなるお店に出会いました。


・映画「ふみ子の海」、泣きながら見ました。泣きすぎてコンタクトレンズが外れてしまいました。主人公・ふみ子役の子(鈴木理子さん)がとてもかわいいです。県民会館で明日まで。10時・1時・4時・7時から、当日1500円です。
 


蔵のある道

2008-01-15 12:24:55 | 盛岡散歩
 上ノ橋町、紺屋町、神明町、若園町といった辺りは散歩していてとても楽しい町です。あちこちに古い町屋や大正モダンの建物や町内の神様やのぞいてみたくなるお店がたくさんあって、なかなか前に進めないほど。特に蔵の多さには驚きです。どれもうっとりするような美しい外観です。



 ・旧井弥商店(盛岡正食普及会) 上ノ橋町
 
 近江商人の流れを汲む村井弥兵衛(井筒屋弥兵衛)が建てた土蔵造りの商家。この建物は明治末期建造。市指定保存建造物。
 黒漆喰仕上げは防火のため。この蔵は2度の火災にも残ったそうです。さすが。
 現在この建物を使用している盛岡正食普及会は自然食品の老舗です。学生時代、恩師にここの食品を薦められました。



 黒壁・赤瓦に雪が似合うと思うんです。街灯や手前の敷地の柵もあわせて、風景に統一感があります。
 この写真を撮った場所の真後ろにも長い長い白壁の蔵があります。





 ・ギャラリー彩園子、一茶寮
 
 正食普及会の裏に白壁の蔵。これは1階がギャラリー、2階が喫茶店として利用されています。この日は日曜日なので残念ながらお休み。外から写真だけ撮らせていただきました。また行きます。



 扉が開いていて、中の網戸が見えました。扉の前には彫刻。軒から氷柱。





 ・若園町?の蔵

 水色の壁の、現代的なアパートの前にある蔵。こんな風に普通に蔵があるんです。
 この均整のとれた形!庇の形も素敵です。こんな素晴らしい蔵を維持している方は素晴らしい方です。絶対。
 2階にも扉があるのですが、どうやって出入りするのでしょう。





 ・菊の司酒造 紺屋町

 元和年間(1615年~)紫波町日詰にて宿屋を開業。酒造業開始は安永年間(1772~)。「菊の司」「七福神」でおなじみの菊の司酒造です。七福神は石鳥谷工場で作っている様子。明治の蔵と昭和前期の蔵が並んでいます。
 旧町名でいうと、ここまでが鍛冶町、ここから南が紺屋町。この通りは染物屋さんあり、蔵あり、豪商あり、番屋あり・・・。一里塚もあります。



 杉玉に注連縄。たまりません。
 2月16日(土)に「第12回新酒まつり」があるようです。(菊の司酒造HPより)

中央公民館

2008-01-13 12:28:51 | 盛岡散歩


・中央公民館 愛宕町14-1

 最初は城中で用いる薬草を栽培した「御薬園」、やがて庭園としても整備が進み、藩校「明義堂」もこの地に。維新後は南部家別邸となり、その後県の管理を経て盛岡市の管理に。そして現在は公民館として活用されているものです。

 そんな来歴ですから、ここは普通の公民館ではありません。もちろん市民の様々な活動に対応する公民館施設はありますが、むしろそれ以外の施設の方が広いのです。

 例えば、公民館の建物の一部は「郷土資料展示室」として、ちょっとした博物館となっています。隣接する公民館別館は南部家別邸の一部。また旧中村家住宅(重要文化財)は惣門付近から移築されて公民館敷地内に保存されています。そして広い庭園。明治天皇行幸時の行在所「賜松園」の一部である聖風閣、俳人山口青邨の旧宅「愛宕亭」、原敬別邸の東屋「白芳庵」が移築されています。



 中村家は木津屋さんの向かいにあった呉服商で、屋号は「糸治」。昭和49年に移築されるまで惣門界隈の風景を作っていたのですね。冬期間閉鎖なので外から覗き見です。



 立派なうだつ。藩政末期の町屋です。



 郷土資料展示室には城下町盛岡のあゆみ、城下町の生活と文化、盛岡の文化財、ふるさとの歳時記等の展示があります。残念ながら写真撮影は禁止されており、唯一撮影OKなのが鹿踊りとチャグチャグ馬っこの展示スペース。お城の復元模型や様々な絵図に目が釘付けで、写真に撮って自宅でも堪能したかったのですが・・・。藩主の具足や秀吉の朱印状など貴重な資料も多数展示してありますので何度でも足を運ぶことにします。



  


 冬期閉鎖中の庭園を覗き見。雪の庭園も美しいです。



  開館時間  午前9時~午後5時(受付4時30分まで)
  休館日   毎週月曜日
  見学料金  一般150円 高校生100円 小・中学生50円
  (他の博物館も見るなら「もりおかぐるっと博物館」共通入館券がお得です)
 
  ※旧中村家・庭園は冬期間閉鎖


 新春特別展として「岩手現代刀匠と郷土刀」を1月27日まで開催中。日本刀の危険な美しさに背筋が伸びます。

旧騎兵第二十三連隊通用門

2008-01-12 20:16:15 | 盛岡散歩


・旧騎兵第二十三連隊通用門 青山(森永乳業盛岡工場内)

 森永乳業の施設内にある軍事施設跡は旧陸軍兵舎跡の木造建築だけではなかったのですね。青山の生協でもらった「青山町商店街マップ」でこの通用門のことを知り、早速行ってみました。場所は青山駅から線路沿いに南へ続く道路沿い、自転車屋さんの真向かいあたりです。
 この「商店街マップ」によると、明治42年に新設された騎兵第三旅団第二十三連隊の通用門として使われた門柱だそうです。旧覆練兵場と同時期に作られた、同様の赤レンガの門柱です。



 旧騎兵第三旅団第二十三連隊、とあります。向かい側の青山駅入り口も同様の赤レンガの門です。そういうことだったのか、納得。



 盛岡陸軍予備士官学校・・・もあったのですね、きっと。右に写っている、案内表示をよく見てくればよかった・・・。



 観武練兵之跡、と書いてあるように見えます。「観武」で「みたけ」と読みます。この近所に「観武原開拓農協」の看板を掲げた建物もあります。現在のひらがな表記の「みたけ」になじんでいるので、なんとなく違和感を感じてしまいますが、確かに軍事施設に合う地名のようにも思えます。
 今では観武「原」とか「開拓」といった言葉から受ける印象とまるで違う、車と郊外店と集合住宅の多い場所です。この写真を撮る間も、ひっきりなしに通る車からの視線が痛かった・・・。


 
 木に積もった粉雪が風に飛ばされる、寒い寒い真冬日でした。

四ッ家地蔵

2008-01-11 17:14:57 | 盛岡散歩


・四ッ家地蔵(大智田中地蔵尊) 本町通二丁目

 本町通のクランクを滑らかにしたような感じに通りが曲がっている所にこのお地蔵様があるのです。なぜこんな風に曲がっているのか不思議に感じます。
 私は勝手に、このお地蔵様を避けるために道路を曲げて作ってあるのだろうと思い込んでいました。きっとお地蔵様を動かすと祟りがあるとかいう逸話があるに違いない、怖い怖い、と妄想の翼を広げていたのですが、今日その誤解が解けました。

 この道は旧奥州街道に当たります。盛岡の北の関門として、この近くに四ッ家惣門が設けられ、現在お地蔵様のあるあたりに枡形門と番所があったのです。枡形門とは、敵の直進をさまたげ勢いをそぐために直角に二つの門を配置したもので、まさしくクランク状だったわけです。この門の跡にお地蔵様を移設した、というのが真相のようです。
 このお地蔵様は四代盛岡藩主重信公の夫人於俊の方(大智院)の菩提を弔うため、五代行信公が元禄7年(1694)に荼毘跡である東禅寺門前に建立したものです。大正元年(1912)に四ッ家町の有志が遷座を南部家に願い出て承諾され、翌年この地に移されました。以来安産や家内繁栄の守り地蔵として信奉されてきました。
 平成11年、市の有形文化財に指定されました。四ッ家町内会が管理しています。
 

 地蔵堂の屋根の影がお地蔵様の顔を暗く見せていて、これまで何となく近寄りがたい印象を持っていたのです。でも近づいてみたら・・・



 意外にも柔和なお顔。(お地蔵様ですから当然と言えば当然。)
 地元の人たちに大切にされている様子が伝わってきました。こういうお地蔵様がいる町内、いいですね。

旧覆練兵場と旧陸軍兵舎跡

2008-01-10 21:49:10 | 盛岡散歩

 ↑今宵の月


 最近慌しく盛岡のあちこちを訪れていますがレポートが追いつきません。本も資料もたまっていく一方で消化できず・・・。私は一体誰に課せられた宿題をしているのでしょう???


 先日お伝えした旧覆練兵場(朝日新聞では「旧陸軍第3旅団覆馬場跡」としていました。こちらが正式名称なのでしょう)について、市が国の登録有形文化財に申請する方針を決定しました。以下、1月10日付朝日新聞岩手版より引用。

 覆馬場跡は敷地面積3316平方メートル、床面積1159平方メートル。赤れんが造りで間口約23メートル、奥行きは約49メートルある。屋外の馬場が利用できない冬季や雨の日に、軍馬の訓練に使われた。
 騎兵第3旅団は1909(明治42)年に盛岡市青山に新設され、45(昭和20)年2月の陸軍の改編により歴史の幕を閉じた。今も当時の姿で残っているのは珍しく、北海道旭川市にある同じような覆馬場跡は国の重要文化財になっている。 覆馬場跡は国の所有だったが盛岡市が05年10月に取得した。
(中略)
 覆馬場跡は柱のない広大な空間。平和を願う「戦争記念館」という性格を持ちながら、多目的に利用することが可能な施設として利用方法が検討されている。(引用終わり)

 この建物には四面すべてに出入り口があるのですが、すべて馬に乗ったまま出入りできるような大きさになっているらしいです。
 この施設と、岩手が馬産地だったということは関連があるのでしょうか。

 一方、IGR青山町駅の向かい側にある森永乳業盛岡工場内には築約100年の旧陸軍兵舎跡の木造建築がありますが、市はこの建物の現物保存は難しいとして記録で保存する考えを示したので、今月末の解体がほぼ確実になったそうです。
 現在工場内では新しい建物を建造中で、その完成後木造建築は取り壊すとの掲示が出されています。



 この建物を見るたび、私が通った小学校の木造校舎を思い出します。
 取り壊す前に、内部を一般公開してくれたらいいなぁ、と思っています。

住吉神社・天満宮

2008-01-09 13:25:59 | 盛岡散歩
 松も取れた8日、お天気が良かったのを幸い、初詣第2弾(もはや「初」ではないのですが)として住吉神社と盛岡天満宮に出かけてまいりました。季節はあまり良いとはいえないものの、ひっそりした神社には清冽な空気があって、良いものです。



 ・住吉神社 




 鳥居が四本続きます。社殿の賽銭箱の右に見えるのは外したお飾り類。山のように奉納されていました。



 一年で一番寒い時期に近づいています。境内もひっそりしていました。



 ・盛岡天満宮  新庄町5-43

 学問の神様として知られる菅原道真公を祭る天満宮。時節柄、たくさんの絵馬が奉納されていました。



 この神社の境内にはたくさんの見どころがあります。例えば天神社特有の「飛梅」。まだ小さくて固いものの、確かに芽が育っている様子。
 そして「撫牛」。京都の北野天満宮の撫牛は背中がつるつるに光っていますが、こちらのはざらざらしています。まだまだ撫で甲斐がありそうです。
 


 この境内は中学時代の啄木のお気に入りの場所としても知られています。
 このなんとも言えない顔立ちの狛犬は、高畑源次郎という人物が明治38年に奉納したもので、これを愛した啄木が小説『葬列』に登場させ「石狛よ、汝も亦詩を解する奴だ。」「俺は生まれてきてから未だ世の中といふものが西にあるのか東にあるのか知らないのだ、と云つた様な顔だ。」と書いています。現在この狛犬はそれぞれ啄木歌碑の上に鎮座しています。




 ↑阿形の台座には「夏木立中の社の石馬も/汗する日なり/君もゆめみむ」と読めました・・・。


 ↑吽形の台座には「松の風夜晝ひびきぬ/人訪はぬ山の祠の/石馬の耳に」『一握の砂』にある歌です。



 ↑は銭湧石とか石割梅とか呼ばれるもの。



 ↑啄木歌碑。境内から少し斜面を降りたところに眺めの良い広場があり、啄木の歌碑があります。これは昭和8年建立の盛岡で最初の啄木歌碑であり、啄木の自筆から集字拡大した文字を自然石に刻んだもの。

 病のごと
 思郷のこころ湧く日なり
 目にあをぞらの煙かなしも

 この広場にはそり遊びをした跡がありました。散策するならもっといい時期に・・・。



 ↑社殿の屋根の上におそらく魔除けのためのナニモノカが。なんでしょう?こういうものが気になるのです。
 
 天満宮では10日11時からどんど焼きだそうです。

初詣

2008-01-05 17:45:40 | 歳時記
 あけましておめでとうございます。

 4日になってやっと初詣に出かけました。
 ここ数年は宮古の八幡様に行っておりましたが、今年は本当に久しぶりに盛岡八幡宮へ。ウワサに聞く大混雑ももうすっかり緩和されていましたが、でもたくさんの善男善女でにぎわう境内でありました。



 久しぶりに八幡町を歩いたのですが、八幡町ってこんなに静かだったか、と記憶を修正される思いです。神社の建物は逆にこんなに色鮮やかできれいだったか、と・・・。年月は人も町も変えますが、記憶も変えてしまうのかも。

 昨年の始まりは盛商サッカー部日本一に大いに沸き、素晴らしい一年の始まりを予感しましたが、個人的にはそこを頂点に一気に下降を続けた年でした。今年も盛工ラグビー部や遠高サッカー部に希望を持たせていただきましたが、これが頂点となりませんよう、何卒神様よろしく・・・。



 みなさま今年もよろしくお願いします。