・旧工兵第八連隊門柱 青山一丁目(国立病院機構盛岡病院構内)
工兵第八大隊は明治41年(1908)弘前から移駐し、明治43年(1910)の北上川・中津川の大洪水では避難民の救助や堤防の補修等に出動するなど、市民に盛岡の工兵隊として親しまれました。昭和11年(1936)工兵第八連隊と改称し、昭和12年(1937)満州牡丹江省へ移駐。満州移駐後も留守部隊が残り、昭和20年(1945)には艦砲射撃を受けた釜石製鉄所の復旧作業にも従事しています。
この一帯は連隊の雪中練兵場跡で、昭和44年(1969)に「工兵園」として造園され、関連する碑がいくつか建てられています。
門柱を反対側(病院側)から見たところ。病院の敷地内なので控えめに撮影しました。
旧騎兵第23連隊門柱や旧覆練兵場と同時期に、同様な赤レンガで作られています。
小庭園の形で記録を残したわけですね。工兵隊に関わった方たちの「確かにここにあったのだ」という思いが伝わってきます。
庭園内の雪の上には碑をめぐるように足跡がついていました。