甚六ぶらぶら日記

岩手の穀潰し主婦・甚六の覚書

旧工兵第八連隊門柱

2008-01-21 21:14:11 | 盛岡散歩

 

 ・旧工兵第八連隊門柱 青山一丁目(国立病院機構盛岡病院構内)  

 工兵第八大隊は明治41年(1908)弘前から移駐し、明治43年(1910)の北上川・中津川の大洪水では避難民の救助や堤防の補修等に出動するなど、市民に盛岡の工兵隊として親しまれました。昭和11年(1936)工兵第八連隊と改称し、昭和12年(1937)満州牡丹江省へ移駐。満州移駐後も留守部隊が残り、昭和20年(1945)には艦砲射撃を受けた釜石製鉄所の復旧作業にも従事しています。
 この一帯は連隊の雪中練兵場跡で、昭和44年(1969)に「工兵園」として造園され、関連する碑がいくつか建てられています。



 門柱を反対側(病院側)から見たところ。病院の敷地内なので控えめに撮影しました。
 旧騎兵第23連隊門柱旧覆練兵場と同時期に、同様な赤レンガで作られています。







 小庭園の形で記録を残したわけですね。工兵隊に関わった方たちの「確かにここにあったのだ」という思いが伝わってきます。
 庭園内の雪の上には碑をめぐるように足跡がついていました。


旧石井県令私邸

2008-01-21 09:02:40 | 盛岡散歩


 ・旧石井県令私邸  清水町

 明治19年(1886)頃完成。レンガ造りで暖炉や地下室を備えている、市内で最も古い洋風建造物。盛岡市歴史的建造物指定。
 石井省一郎は備前国出身で、内務省土木局員として数々の土木行政に業績を残した人です。例えば石巻「石井閘門(こうもん)」は石とレンガで作られた水門で、国指定重要文化財になっています。明治17年、岩手県令に着任。
 新渡戸家に借家していましたが明治17年の河南大火に焼き出され、私邸を建設しました。ただし現在残されているのはこの洋館だけです。
 この辺りは南に開けた風光明媚な場所だったので、南昌荘や料亭「大清水多賀本店」が建てられました。どちらもこのすぐそばです。
 案内表示によると、遠山准看護高等専修学校としても使用されたらしいです。



 北側に玄関があるのです。
 建物の周囲は駐車場になっているのですね。この近くの会社の駐車場なのでしょうか。写真を撮るのがなかなか難しい場所ではあります。



 右下に見えているのが多分地下室だと思います。
 つたが紅葉している時の写真をよく見ますが、つたが葉を落とした後の洋館も不思議な雰囲気です。ヨーロッパの絵画みたいです。



 気がつくといつも屋根の写真を撮っています。この建物の屋根裏部屋はどんな感じなのでしょう。
 それにしてもすてきな窓です。広い壁面の割に窓が少ないですね。中は薄暗いのでしょうか。



 立派な玄関です。中を見てみたいです。