ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

浅草駅、松屋デパート階下のターミナル

2010-11-13 09:34:28 | 鉄道
昨日のいわきからの帰り、スーパーひたちは北千住通過、イマイチ郊外へのアクセスが不便な上野で降りるしかない!
北千住は都心を貫通する地下鉄3路線の東のターミナルでもあるので停車すれば、東武伊勢崎線のみならず、地下鉄を介して小田急線、東急東横線/田園都市線等東京西部エリアへの連絡も便利になると思うのですが…。
仕方ないので、上野から日本最古の地下鉄、銀座線で浅草に向かい東武伊勢崎線で群馬に帰ります。

私鉄の都心側ターミナルに百貨店を併設するビジネスモデルは、
阪急創始者の小林一三(巷では宝塚歌劇団の生みの親の方が通りがいい?)が生みだしたもの。
阪急梅田駅は巨大百貨店とホーム9本の巨大駅がセットになってますね。そこから出る電車は阪急が開発した住宅地を通り抜け、終点は歌劇団の劇場併設の宝塚。

それを模したのは、東武鉄道。阪急の小林、東武の根津といえば戦前の私鉄界、東西の両巨頭といっても差し支えないでしょう。
東京には、東急の五島(乗っ取り屋としても有名。欲しいものは手段を選ばず奪うので、五島を引っかけて強盗と揶揄された)という巨人もいましたが、いずれも阪急小林の経営手法が影響を与えてます。

東武の場合、戦前は東京一の歓楽街だった浅草にターミナルをおき、松屋デパートの2階にターミナルを設置。終点側は、日光/鬼怒川の観光開発を行い、両都市を結ぶ豪華列車を走らせています。
おそらく東武にとって誤算だったのは、戦後、東京の都市機能が西へ西へと移動し、東武がターミナルをおく浅草の凋落が著しかったことでしょう。
今となっては浅草駅はターミナルとしては手狭。松屋自身も銀座に経営資源を言集中させるべく、浅草の経営縮小が発表されました。スカイツリーの建設他下町エリアの再開発が進んでますが、古くからの浅草の賑わいに比べて、浅草駅構内は何か閑散とした雰囲気が。

写真は、1階コンコースから2階正面改札に向かう階段&エスカレーター。
夕方ラッシュがそろそろという17時前という時間にも関わらず、構内は閑散としています。

17時10分発の特急りょうもうが入線したのでホームに向かいます。

駅は隅田川と並行して建ってますが、駅を出てすぐに隅田川に架かる鉄橋にさしかかるため、駅先端で大きくカーブ。
駅が収まる松屋デパートが小さいことに加えて、配線上の問題もあり相当無理のある構造。
したがって、浅草駅に入る電車は基本6両編成。10連の輸送力電車は、浅草手前で半蔵門線に逃がすしか手はないのです。

りょうもうの指定席は、館林駅での乗り換えの便を図って発券してくれます。
小泉線乗り換えの場合、先端の1号車が指定になります。1号車のあるホーム先端に向かいます。

2号車から先は急カーブに差し掛かるので、ドアとホームの間には渡し板がないと乗りこめません。

そして1号車。以前にもブログで書きましたが、最先端はホームが細く危険。
ということで、反対3番線側に安全策が設置されました。これで大幅に改善されましたが無理のある構造には違いありません。

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