京阪電車の三条駅、昇圧前の地上時代です。
京阪線の架線電圧は路面電車として開業以来直流600Vで運転されていたのですが、
600Vでは輸送力の増強に限界があるため、1500V昇圧が計画され、昭和58年12月に実施されました。
(というより、大手私鉄で当時600Vで運転していたのは京阪だけでした)
昇圧工事と同様に京都市内の地下化工事も進められていました。
三条駅では地下化、鴨川暗渠化工事のため既に宇治線が発着していた1番線は閉鎖され、
2番線特急のりば、3番線急行のりば、4番線普通のりば(本線/宇治線)
3線で1時間16本の電車を捌いていました。夕刻には宇治行き急行が加わり今では考えられない1時間20本です!
現在は1時間12本なので、発着本数は今よりも多かったのです。
2番線特急淀屋橋行き。3000系。
当時は6連または7連で運転され、1編成に2両テレビカーが組み込まれていました。
3番線急行淀屋橋行き。2200系。
車体改修前の姿です。冷房改造は実施されています。
まだ行き先表示機を設置する前の姿で、急行、枚方パークの2枚看板です。
4番線普通宇治行き。1300系。
宇治線直通普通。昇圧前の宇治線は1300系、1700系といった釣り掛け車が多用されていました。
1300系は終戦後の運輸省規格型車両。窓の天地寸法が小さかったり、他の京阪車両とは雰囲気が異なってました。
もちろん内装はニス塗りの木製です。翌年の秋の昇圧を前に廃車となりました。
同じく4番線普通淀屋橋行き。新1800系。新1800系の生い立ちは少々複雑です。
昇圧に伴い、釣り掛け式の600系/1300系/1700系、初期のカルダン車1800系を廃車とし、新型の6000系に置き換えるのですが、
それでも車両不足が生じることとなったため、不足分を補うため急遽製造された複電圧車です。
1800系の電装品を整備のうえ複電圧仕様とし、車体更新車で状態が良好だった600系の車体と組み合わせたもの。
要は「ニコイチ」で新しい車両を作ったものです。
エアサスが標準仕様となった昇圧後の京阪線で唯一残ったコイルばね車で、非冷房車。
1900系のように冷房改造されることもなく、6000系の増備により早々に廃車。製造から廃車まで僅か7年。
物もちの良い京阪にしては異例の短命で、まさに昇圧の為だけのショートリリーフといった存在でした。
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京阪線の架線電圧は路面電車として開業以来直流600Vで運転されていたのですが、
600Vでは輸送力の増強に限界があるため、1500V昇圧が計画され、昭和58年12月に実施されました。
(というより、大手私鉄で当時600Vで運転していたのは京阪だけでした)
昇圧工事と同様に京都市内の地下化工事も進められていました。
三条駅では地下化、鴨川暗渠化工事のため既に宇治線が発着していた1番線は閉鎖され、
2番線特急のりば、3番線急行のりば、4番線普通のりば(本線/宇治線)
3線で1時間16本の電車を捌いていました。夕刻には宇治行き急行が加わり今では考えられない1時間20本です!
現在は1時間12本なので、発着本数は今よりも多かったのです。
2番線特急淀屋橋行き。3000系。
当時は6連または7連で運転され、1編成に2両テレビカーが組み込まれていました。
3番線急行淀屋橋行き。2200系。
車体改修前の姿です。冷房改造は実施されています。
まだ行き先表示機を設置する前の姿で、急行、枚方パークの2枚看板です。
4番線普通宇治行き。1300系。
宇治線直通普通。昇圧前の宇治線は1300系、1700系といった釣り掛け車が多用されていました。
1300系は終戦後の運輸省規格型車両。窓の天地寸法が小さかったり、他の京阪車両とは雰囲気が異なってました。
もちろん内装はニス塗りの木製です。翌年の秋の昇圧を前に廃車となりました。
同じく4番線普通淀屋橋行き。新1800系。新1800系の生い立ちは少々複雑です。
昇圧に伴い、釣り掛け式の600系/1300系/1700系、初期のカルダン車1800系を廃車とし、新型の6000系に置き換えるのですが、
それでも車両不足が生じることとなったため、不足分を補うため急遽製造された複電圧車です。
1800系の電装品を整備のうえ複電圧仕様とし、車体更新車で状態が良好だった600系の車体と組み合わせたもの。
要は「ニコイチ」で新しい車両を作ったものです。
エアサスが標準仕様となった昇圧後の京阪線で唯一残ったコイルばね車で、非冷房車。
1900系のように冷房改造されることもなく、6000系の増備により早々に廃車。製造から廃車まで僅か7年。
物もちの良い京阪にしては異例の短命で、まさに昇圧の為だけのショートリリーフといった存在でした。
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