
プルワカルタ駅の線路脇に大量にうち捨てられた鋼製非冷房エコノミ電車の車体を目の当たりにした当初、「嗚呼……オンレール状態での留置シーンには間に合わなかったか……」という残念感に襲われたのですが、撮り鉄の神はそんなパクアン急行様と私を決して見放しませんでした! 何と……制御車2両のみが依然としてオンレールで、廃車体がゴロゴロしているエリアとは少々離れた機関庫の残骸の前に鎮座していたのです!!
ここプルワカルタの地は、ジャカルタからバンドゥンに向かう列車が急峻な山道に突入する際に補機を連結したという、あたかも往年の東海道線→御殿場線・山北駅のようなところであることが一目瞭然 (プルワカルタ駅前に連なる結構立派な国鉄職員住宅群が往年の鉄道城下町ぶりを物語っています)。しかし今や完全に無煙化され、SLの巣窟としての役割は失われ、街の中心から少々離れた駅周辺は、列車が来ない間は至って静かな田舎の空気そのものに包まれています。そんな中、オランダ帝国主義の栄華を伝える巨大な機関庫だけは、時空を超えた圧倒的な存在感を漂わせているという……。

とは言え同時に、巨大な機関庫は諸行無常の儚さをも象徴するかのようです。蔦やら熱帯樹やらがからまって、それはあたかも天空の城ラピュタの庭園のような滅びの美の世界……。だからこそ人は、そこに流れた時間を想い、錆びたレールと生い茂る青草に哀感を感じるのでしょうが、その目の前に独立インドネシアの首都の足として長年活躍してきた日本製電車が役目を終え、オンレールで放置されているという光景は、まさに蘭領東インド→インドネシア近現代史の縮図であるとしか言い様がありません……。
というわけで、ある意味で歴史の目撃者になったかのような心地を覚えつつ、徹底的にこの2両を激写し、ついでにおまけに営業運転中にはまずコワくて出来なかった激ヤバな記念写真 (現地を訪れたことがある方でしたら大いに共感して頂けるポーズですが、恥ずかしくてお見せできません。笑) を撮影し、日本製非冷房エコノミー電車との濃厚な惜別のひとときを味わったのでした……。
それにしても、この風景を眺めて思うのは、ここに鉄道博物館を作ってくれないものだろうか……ということ。インドネシアの鉄道博物館・鉄道公園といえば、SLの動態保存運転が行われている中部ジャワのアンバラワが最も有名であり (いつか行きたい!)、ジャカルタ近郊ではタマン・ミニ・インドネシアの交通博物館も欠かせませんが、折角ですので将来プルワカルタにも、巨大機関庫を活かしつつDLや客車・電車・気動車を幅広く展示してくれないものか……と思うものです (本線との接続が保たれ、プルワカルタから先の超絶な車窓展望を誇る山岳区間にて、保存車両を活かした観光列車が運転されればサイコーなのですが……)。日本からはるばる訪れたヲタの極めて僭越な妄想であることは百も承知ですし、あるいは機関庫自体老朽化しすぎて修復・保存に向かない状態になっているのかも知れませんが……。