地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

謹賀新年・変化を迎える伊豆急8000系

2022-01-01 00:00:00 | 地方民鉄 (東海道)


 新年あけましておめでとうございます。過去の約2年は疫病に振り回された世情でしたが、今年は何事も穏やかに、より心豊かな一年であることを祈るばかりです。
 しかし鉄道界は波高しですね。多くの会社が減便ダイヤを発表しており、古くシブい車両が余剰廃車となる動きが加速すると思われますが、そうでなくても否応なく新陳代謝の波が押し寄せているわけで、あんな車両もこんな車両も、ふつうに走っている内が華、と思わずにはいられません。



 そんな、先行きに雲が垂れ込め始めた車両のひとつが、伊豆急8000系であると言えましょう。既に3000系のお披露目が伊豆高原でなされ(まだ当ブログにはアップしないままでした……汗)、入れ替わりで少々8000系が離脱して部品取りに回るものと思われますが、いずれにしても8000系自体が登場以来半世紀を過ぎており、次の中古車本格導入による引退を視野に入れておかなければならないでしょう。
 その際にどんな車両が入るのか……これはこれで要注目ですが、まずは8000系が当たり前のように走っている内に、何度でも乗って撮って楽しんでおきたいものです。伊東線も伊豆急線もロングレールではない区間が多く(ほとんど?)、駅間も長く飛ばすことから、走行音が殊のほか絶品だったりしますので……。ボイスメモで録音したものを、自宅での夜なべ仕事中に流しっぱなしにしますと、疲れた脳には大いなる癒し……(個人の感想です。笑)。

伊豆急でジャカルタ! (1) 伊豆高原撮影会1

2021-11-21 07:00:00 | 地方民鉄 (東海道)


「0129 LEBAK BULUS」……伊豆急がジャカルタMRTに (笑)。



「急行・熱海」……色からして155・167系ですか?? (^^;



♪Cikini ke Gondandia〜♪♪ (→聴けば病みつきなポップス曲)



「急行・中央林間」……利用者にはツボ! メトロ8000フォント (笑)。

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 全世界を覆う疫病禍のため、自由に海外鉄できない日々が1年半以上にわたって続いている昨今ですが、だからこそ日本人のインドネシア鉄な皆様の間では、「金は出すから、なんちゃってで良いので、日本国内でジャカルタな気分を味わってみたい……」というムラムラとした感情が。そこで、このたび伊豆急60年記念企画として、8000系の貸切運転を開催しやすくなったことに乗じて、銀色まっさらのTB-7編成の正面に、ジャカルタで現役な8003Fと同じKCI色・赤黄ラッピングを施した貸切電車を運行する企画が去る14日に実現し、私も大変ありがたいことにお声がけ頂きましたので勇躍参加して参りました。
 当日の朝、伊豆高原で下車し跨線橋へと上がりますと、車庫の奥にはこの日の主人公であるKCI色TB-7編成と、東横線で「伊豆のなつ」運行を最後に離脱してジャカルタに渡った8007Fのジャカルタ入線当初の姿 (伊豆急色はそのままにKAIマークを貫通扉に貼付)を再現したTB-3編成の姿が! 余りにもリアルな再現ぶりにワクワクしつつ受付を済ませ、久しぶりにお会いするジャカルタ鉄関係者の皆様との会話も弾みつつ、いざ車庫内に誘導されますと……ををを! 透きとおった青空と厚い雲が入れ混じるドラマチックな晩秋の空の下、何という素晴らしい絵巻物なのでしょうか……! 
 しかもよく見ると、TB-3編成 (調子が悪いとかで既に離脱済み) の車番は8003から8007に貼り替えられており、なおさら唸らざるを得ません! そして8007の幕部分には、この日のために用意された様々な表示が次から次へと現れ、どの表示も最高にジャカルタ・東急・伊豆急趣味のツボをほじくるものでしたので、参加者一同はもう悶絶! こうして約1時間の撮影会の幕が切って落とされたのでした……。

 庵主多忙により、最近は支店のはずのツイッターばかりの更新となってしまい、これまで当ブログを楽しみにして頂いた皆様には本当に申し訳なく存じますが、この日は本当に久しぶりにまる一日鉄活動しまして、数百枚も写真を撮りましたので (^^;)、当日の模様について折角ですので連載して参ります。まだまだ続きます……。
 まずはこの場ながら、綿密な事前の打ち合わせ・準備によって圧倒的に素晴らしい企画を実現して下さった伊豆急行の関係者の皆様、主催者の回送電車様、許諾をめぐるKAIとの折衝に当たって下さったパクアン急行様、ほかご参加の皆様に心より御礼申し上げます!!

さよなら、185系東海道線定期運用!

2021-03-13 12:00:00 | 国鉄型車両


 個人的には「湘南ライナー」幕と「あまぎ」幕がカッコ良かった!



 Simple is the best?な「おはようライナー」幕。



 世界の中心・横浜駅の真っ直ぐなホームに185系は映えました。



 幕回しで「普通」が現れると脳内で「521M!」という叫びが!

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 1981年に急行伊豆と普通列車の兼用車両として登場して以来、約40年間にわたって天下の東海道線東京口にて終始主役の座を占め続けるという偉業を成し遂げた185系。その長寿の理由は、圧倒的安定のMT54の走りに加えて、一日当たりの走行距離があまり長くなく、潮風にさらされるにもかかわらず良好な状態を保ち続けたためであると考えられます。しかし新陳代謝の波は抑えがたく、指定券販売のオンライン化と座席上ランプ設置の流れもあって、185系は昨晩限りを以てE257系に主役の座を譲って波動用輸送に転じることになりました。
 小田急江ノ島線沿線民である個人的には、185系に乗る機会といえば、藤沢から521M・伊東行き普通列車に乗るのが圧倒的で、その回数とても多いわけではなく、結局目の前を走り去るのを黙って見ていることが多い車両でしたが、5両から15両まで様々な長さで変幻自在に走る姿はやはり印象的で、とりわけ近年はまとまった数の国鉄型車両として沿線にMT54のサウンドを振りまいていたのは感動的ですらありました。大きな事故も故障もなく、無事これ名馬。そんな称賛と共に、去りゆく185系を見送りたいと思います。長年の堂々の活躍お疲れ様でした。

215系・東海道線ライナー終焉

2021-03-12 12:00:00 | JR発足後の車両


 小田原駅で僅かな時間のみ2編成が並びました。



 貨物線からウネウネと転線するシーン。



 小田原駅の熱海方引上線から出て来るシーン。



 貨物線を快走!

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 周知の通り、明日のJRダイヤ改正から、東海道線東京口の通勤ライナーはE257系の特急湘南となり、最混雑時間帯に集中的に用いられてきた215系は運用を離脱することになりました。既に、215系が土曜休日に細々と用いられてきたホリデー快速ビューやまなしは、疫病問題の中でいつのまにか消滅しており、本日限りで完全に失職する215系の今後の用途については全く明らかになっていません。先般発売された時刻表にも、215系使用の臨時列車の記載はなく……。したがって、215系は本日限りで休車・廃車回送となる可能性もあります。
 約30年前、バブリーな雰囲気が残る中で、快速アクティー用として華々しく登場しながらも、混雑には自ずと対応出来ず、湘南新宿ラインに転用されても短期間で終わり、215系の車生の大部分は1日1往復のライナー運用と、それに伴う回送で走るのみで、加えてホリ快として細々と……という程度であったかと思います。それは、堂々とした巨体を持て余す、哀しい巨竜のようでもあり、215系にとっては不本意なものであったかも知れませんが、とにかくも一つの時代を象徴する存在であったかと思います。長年の活躍お疲れ様でした。

東日本大震災から10年・鉄路と復興

2021-03-11 14:46:00 | ノンジャンル


 震災直後からいち早く走り始めた三陸鉄道の復興支援列車。



 仙石線の205系はいつも通りの活躍を続けています。



 京葉臨海から助っ人として入線した仙台臨海 SD55 105。



 ひたちなかは海浜公園まで延伸するという快挙に。

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 本日で東日本大震災の発生から10年となりました。神奈川県民の私が受けたダメージは、千葉以北の人々に比べれば微々たるものでしかないかも知れませんが、都内で凄まじい揺れに遭遇し、その日の夜は帰宅難民として国道246号線をひたすら歩いた記憶は決して忘れません。そして、日々の仕事に尽力しながらごく僅かでも国富を増すことに貢献して関心を持ち続けることが大事だと考えますし、実は個人的にあまりよく知らない東北を知ろうという思いのもと、折に触れて日本橋から奥州街道を歩き繋ぎながら鉄活動するということもやっております(現在は小鳥谷駅まで……昨年は緊急事態とリモート激務のため全く進まず)。
 しかし、様々なニュースに触れるにつけ、そして実際に残る爪痕を生で見届けるにつけ、まだまだ復興は道半ばといわざるを得ないでしょう。また、福島第一原発から相当距離があるはずの郡山市内や福島市内でも、線量がかなり高いことを示す計器が多数設置されているのを目にし、やはりこれは長期戦だと痛感したものです。
 そんな中、鉄路の復興が非常に大きな象徴的意味を持ってきたのは注目されるところでしょう。残念ながら気仙沼線や大船渡線のように多くの区間が廃線となってしまったところもありますが、多くの鉄路が復活するごとに道路の開通とは比べものにならないほどのアピール力を見せ、さらには先日の余震のあとの常磐線のように、サブルートとしての機能を発揮することになったのは大いに鼓舞されるものがあります。
 今後も、疫病問題という新たな惨禍が降りかかってきたにもかかわらず、鉄路の復興と発展に従事される方々に敬意を表しつつ、また折に触れて東北の鉄路と味覚を味わい、心を寄せ続けたいものです。