地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

相鉄JR直通開始の朝 (1) 12000系特急

2019-11-30 23:06:00 | 大手民鉄 (相鉄)


 本日は待ちに待った、相鉄JR直通運転開始の目出度い一日。既に様々に報道がなされ、ネット上でも様々に同時生中継に近いかたちでレポートされていますので、敢えて長文を記す必要もないかと存じますが、何と言っても新線・新駅の開業にふさわしい見事な晴れにも恵まれ(その代わり寒かった!)、早朝から多くの客やヲタで大賑わいとなったのは、本当に良かったと思います。この日を迎えるまで多大なご尽力を傾けられた関係者の皆様には心よりお祝いと敬意を表したく存じます。



 というわけで、相鉄を長年利用しているヲタの端くれとしましては、記念すべき相鉄12000系・埼京線E233系それぞれの新宿方面行き一番列車を何が何でも撮るべく、寝不足をこらえて早起きし、デジカメの目覚ましい高感度対応の進歩ならびにF2.8ズームレンズの超高性能ぶりに依存しつつ、何とか激写して参りました。海老名で乗り込んだ一番列車目当てヲタを満載した特急新宿行きが、闇を切り裂いて快調に飛ばして行く姿を無我夢中で撮り(猛烈ハイビームでフレア&ゴースト地獄となりましたが、逆に雰囲気は出ているかな、とも思います)、その直後目の前を通過してゆく各号車の混み具合を眼で追いながら、「嗚呼……ついに始まったな!」という感慨を抱いたのでした。
 約20分後に来た2本目は各停新宿行き。少しずつ明るくなって来ましたので、条件としては1本目よりも良いはずですが、撮り終えてみれば正面にピントが来ておらずトホホ。まぁどうせ撮り直す機会はいくらでもあります。1本目が上手く撮れていれば良いのです……(負け惜しみ ^^;)。
 このあとは、待ってましたのE233系。放射冷却に打ち震えながらも、刻々と変わりゆく空の明るさを見計らって露出ダイヤルをいじりつつ、じっとその時を待ち続けたのでした。


皆様おはようございます。
本日ついに待望の、相鉄JR直通運転が始まりました。
先刻大和で無事記念入場券をゲットとしたと思ったら、5時26分頃に通過した横浜方面行きの回送列車は早速E233でした。



JR直通一発目の特急新宿行きは海老名出発時点で当然立ち客ありでしたが、8両目あたりから後ろは空席もありました。2発目の各停新宿行きはまあまあ座っている程度。順調です。
E233の一発目直通特急も無事定時通過。JR通勤電車の特急表示はやっぱ面白い。



海老名からは、記念すべき海老名発川越行き一番列車に乗っております。川越まで乗り通します。まあ、大崎に着いたら、あとはいつも通りの埼京線なのですが。笑



核心部が迫って来ました。



羽沢横浜国大、そして武蔵小杉を過ぎれば、湘南新宿のE233ロングシートに乗っているのと同じです。明日の色が違うだけ。笑
羽沢を出ると、横浜羽沢駅のDE10が見えたり、鶴見でも今まではライナーと貨物専用だった線路を走り、新鶴見では機関庫のすぐ脇を通ったりと、イベント列車感満載です。笑
ただ、トンネルを出てから武蔵小杉に着くまで、余り飛ばさずダラダラ走っていたのが意外。
蛇窪を通過して大崎に着くと、全くいつもの埼京線となります。
しかし今日は、とにかくも川越まで乗り通します。12000だったらなぁ天気…



やっと川越に着きます。時刻が表示され、乗った証拠になるのが良い。



17時半 埼玉から湘新特快で帰って来て、武蔵小杉の横須賀線ホームに初めて降り立ったところ、相鉄方面から来た埼京線E233が立ち客多数でビビりました。昼間、相鉄はお祭り状態だったのでしょうか??
17時35分に武蔵小杉を発車した海老名行きは、大体席が埋まって数人立っている程度。話のネタ乗車期間が終わると、しばらくは空いていそうな可能性も。まあ、大江戸線も昔は空気輸送だったもんだ……(遠い目)。

国鉄時代遥か遠く・高崎のC61

2019-11-29 20:22:00 | 国鉄型車両


 中曽根元首相が逝去され、今日の世間は騒然としつつ業績の功過をいろいろと論じているところです。個人的には類い希な才能のステイツマンとしての事績には敬意を表しつつも、国鉄民営化がこのようなかたちで本当に良かったのかどうか、未だに疑問に思っているところです。
 地域会社に分割するとしても、三島会社の扱いや新幹線並行在来線の処遇について疑問の余地がありますし、貨物と同様の発想で長距離夜行列車の全国ネットワークを展開する独立採算会社「JR夜行」を何故つくらなかったのか、とも思います。繁盛する夜行バスが人手不足でこれ以上の増発の余地を見込めず、欧州では炭素排出量減少の大目標のもと中距離夜行列車の復権も云々されている中、誰にとっても便利なはずの夜行サービスが日本では絶滅に瀕しているのは、結局のところ地域会社にも夜行サービスを委ねてしまった結果ではないかと愚考します。



 何はともあれ、国鉄が消えてから32年余り。国鉄型車両もいよいよ加速度的に消え、昨日はついに東京駅からもMT54装備の国鉄型車両が完全に撤退する旨が発表される中、国鉄分割民営化の究極の責任者が世を去ったこともまた、時代の節目を強く感じさせるものがあります。
 そんな中曽根氏と言えば、やはり選挙区がある高崎。高崎という場所が、遠く過去のものになりつつある国鉄らしさを最も良く残している場所となっているのは、意図せざる不思議な逆説的偶然と言えるのかも知れません。
 というわけで、D51 498と並んで高崎のSL列車を支える存在であるC61 20のピカピカな姿をアップしておくことにします。来年には43系客車もニス塗り内装を復活させるとのことで楽しみです。勿論、ニスを塗りつぶしてリノリウム張りの床面とした明るい車内の近代化改造車も、高度成長時代に合わせた旧型客車の一時代を象徴していると思いますが、既に塗装は近代化改造車らしからぬ葡萄色に戻っていますので、全体的に昔返りで良いのではないか、と思います。

宮城乗物縦断 (20完) 701系@有壁&一ノ関

2019-11-25 18:00:00 | JR発足後の車両


 くりはら田園鉄道の沢辺駅跡を過ぎ、金成(かんなり)の街を過ぎますと、奥州街道は熊が出そうな森や牧草地の中を進む山越えとなります。その後一旦、山里の絶景を楽しみながら長く下り、東北新幹線のトンネルを脇に眺めたところで再び森の中に入り、やがて仙台藩と一関藩の境にある展望台を過ぎると、どんどん下って有壁の宿場街に着き、JRの線路と直交します。ちょうど数分後に一ノ関行きの701系が来ることから、気合を入れて連写しまくって新元号最初の撮り鉄活動とし、その模様は既に当ブログでもアップしておりますが、宮城県内を南から北へずっと「徒歩鉄」して来た内容を連載してきたシメとして、連写したきり未アップだった画像もレタッチしてみました。



 有壁宿を過ぎると、奥州街道は本当に侘しい雰囲気の山の中に入り、熊除けの鈴をジャンジャン鳴らしながら進んで行きますと、ついに宮城県と岩手県の県境に到着〜。とはいえ、今や誰も通らず林道と化した道に、それを示す標識はなく、スマフォにインストールしたGPS地図アプリで県境越えを確認しただけです (笑)。その後はひたすら緩い坂を下って、やがてJRに沿って歩くようになると、一関の市街地に入って一ノ関駅にゴール! 1番線で折り返す仙台色の701系を撮りながら、白河から延々と続いてきた仙台色の世界 (寄り道も含めて計9日かかりました) がついに北端に達し、盛岡色の世界に入るのだなぁ……という感慨を抱いたのでした。
 その後、新元号になって最初の鉄道乗車を記念して、グランクラスをフンパツして帰る前に、軽く駅そばをすすって小腹を満たしたのですが (グランクラスで提供される和風弁当は非常に上品な味で悪くないですが、量は少なく、これだけですとすぐに腹が減ってしまいます)、2枚目の画面右に見える駅そば屋は、なかなか美味しくて満足です。ちなみに、北上駅新幹線コンコースの駅そば屋は、如何にもNREという感じで、単に腹の中に炭水化物を入れるだけ!という感じですが、盛岡駅ビル1F・駅前広場に面した駅そば屋は、NRE系でもやれば超〜出来るじゃないか!と感動するほど美味です (個人の感想です ^^;)。

 そしてつい先日、KATOの仙台色701系が発売されました。鉄コレの701系もなかなか良いと思いますが、KATOですので当然ライトが点灯し、車体の光沢やパンタ周りの造形も素晴らしい……。同じ「走るんです」な東急5000系列と同じく、実車よりも模型の方が遥かにカッコ良く見えるというヤツの典型ではないかと思い、奥州街道の福島&宮城ゾーンを完歩した思い出とともにウットリと眺めています (キモッ!)。

宮城乗物縦断 (19) グリーン観光バス

2019-11-24 20:58:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 宮城県北端の栗原市の広大な市域をカバーする市民バスのうち、くりこま高原駅を中心とする路線網や、くりはら田園鉄道の代替路線など、市内連携路線において最もメジャーな (?) 存在感を示しているのが、グリーン観光バスです。その車庫は、築館市街の北の外れ、旧街道の宮野宿を過ぎて国道4号線が田園地帯に入って行くところにあり、そのすぐ手前にあるホテルに泊まったのですが、ホテルにチェックインするまではそんな場所に車庫があることなど知る由もなし。チェックインして部屋に入った後はすぐ、テレビに映る退位礼の模様に釘付けになり、その後は事前予約していた夕食の時間となりましたので、部屋の窓から見える車庫の広大さとボロバスの密集度に「うぉっマジか! 明日の朝、撮ったるど〜!」と意気込みつつ、平成の約30年4ヶ月が幕を閉じたのでした。
 そして翌朝、朝食を済ませてチェックアウトした後は、何はさておき撮りバス! 国道4号線から最も撮りやすい位置に、元神奈中の二段窓エアロミディという、小田急江ノ島賎民にとっても最高に懐かしく尊い存在が鎮座しておりましたので、「うぉぉぉぉ〜マジか!」と思わず大フィーバー! (笑)



 その他、改元祝日による運休のため、多くのバスが庫内で休んでいましたが、実に各社各様のボディが集結し、あたかも路線バス車両平成史を物語っているかのようでした。そんな中にあってもエルガミオは次第に増殖しつつあり、これもまた時代の流れか……と痛感したのですが、何はさておきそんな中での神奈中二段窓エアロミディ!ですので、改元後最初の乗物撮影活動としては、ある意味最高にマニアックなひとときではないか、と思ったのでした。

 その後、田園地帯をトボトボ歩き、すっかり寂れてただの住宅街になってしまった沢辺の宿場町=商店街を過ぎますと、栗原電鉄改めくりはら田園鉄道の沢辺駅跡に到着します。くりはら田園鉄道は廃止後も多くの区間で線路が現存しており、沢辺駅界隈では踏切の部分こそ埋められ、駅舎も解体されているものの (駅前広場は病院の駐車場として活用され、人と車の出入りが頻繁にあるほか、如何にも田舎の駅前食堂という風情の店も健在)、いざ線路に降り立てば、ここを去来した電車や軽快DCのことを思わずにはいられないほどです。
 と申しますか……個人的には栗原電鉄もくりはら田園鉄道も未訪問で (→お前それでも本当に鉄ヲタかよ、という批判は甘受します。^^;)、こうして廃線跡に立ってはじめて後悔するという体たらく。今回は、とにかく一ノ関まで歩いて、夕方までに着くという制約がありましたので、若柳の保存車両を訪ねるのは省略しましたが、いずれ改めて、保存運転が大々的に行われる日を狙って、この地を再訪したいものです (特に名鉄キハ10を拝みたい)。


 石越方を望む。今にも列車が来そうな休止線という雰囲気?



 細倉方を望む。駅のホームと線路には駅前広場から簡単に入ることが出来るのですが、哀しい哉、奥州街道の踏切には白いガードレールが設置され、最早列車の往来は望むべくもありません。
 その気になれば、こっそりと廃線跡の線路を歩くことも出来るのかも知れませんが、用水路の鉄橋に渡された踏み板の類が腐っている感じですので、全くお薦め致しません。

相鉄大変革まであと1週間・20000系

2019-11-23 08:05:00 | 大手民鉄 (相鉄)


 相鉄・JR直通開始までついにあと1週間! 先日発売された『東京時刻表』ならびにJTB時刻表附録の相鉄直通列車・埼京りんかい・湘南新宿ライン統合時刻表から、その全貌を事前にじっくりと味わうことが出来るようになっており、とりわけ後者を眺めるにつけ、武蔵小杉と新宿をダイレクトで結ぶ列車が本当に増えたものだと痛感します。また、相鉄線側のダイヤをつらつら眺めておりますと、とりわけ朝方は二俣川か西谷で必ず優等列車どうしの接続が上手く仕込んであるという印象です。
 もっとも、当面多くの客は引き続き横浜に直通するでしょうから、狭い西谷のホームが乗り換えの人波でごった返すのかどうか。先月の台風19号で水没した武蔵小杉駅自動改札を補うため、JRは横浜駅南口(相鉄との乗換口)から一部の改札機を撤去し、その結果人の流れが悪化して乗換に時間がかかるようになってしまいましたが、もしやすると、横浜駅の乗換に嫌気がさした客は来月以降直通線を使え、というJREからの暗黙のメッセージなのかも知れません。



 もっとも、品川〜東京駅界隈に出たい客にとっては、引き続き横浜駅にて東海道線に乗った方が速いことは否めません。相鉄・JR直通線を魅力に感じるのは、新宿までであれば大和・海老名以外の各駅利用者(それでも三ツ境あたり西であれば割高に感じるかも)、渋谷までであればギリギリで大和・海老名利用者も含む……という感じでしょうか。相鉄線内〜(武蔵小杉または西大井乗換)〜品川以北の乗り継ぎは、武蔵小杉経由の大回りのため、時間がかかってしまうきらいがあります。そこで、さらに直通線への転移を促そうとすれば、横浜駅での乗換がますます面倒臭いという印象を与えた方が良い、ということなのでしょうか。

 それはさておき、相鉄線内の時刻表を見ていますと、直通列車が来ない早朝・深夜の羽沢横浜国大駅を救うため、西谷とのあいだの一駅のみ走るというナゾ列車が数本設定されています。西谷の引上線を使って片道は回送扱いのピストン運転を行うということで、この運用には相鉄の既存車両が充当されるのか、それとも12000系とE233系限定なのか、気になるところです。また、海老名に着いた直通列車がそのまますぐに新宿以遠へと折り返すわけではなさそうな場面も多々あり、E233の相鉄線内完結列車もどの程度あるのか楽しみです。
 というわけで、先月の相模大塚撮影会にて、本線と留置線の間の仕切り役を果たしていた20000系の画像をアップしておきます。20000系、個人的にはこのとき初めて撮影しました (^^;)。当面は12000系が話題をかっさらっている感がありますが、今後もっと本数が増え、東急との直通カウントダウンという段階になれば、ローレル賞受賞車として改めて注目が集まることでしょう。そして、近日ポポンデッタから模型が発売されますが、副都心線直通ファミリーの一員となる車両でもありますので、是非KATOから出て欲しいものですね……。