地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ハノイ以北サウナ鉄 (7) 中国紅皮25B

2016-06-30 00:00:00 | 中国の鉄道


 紅皮中心の編成は間もなく見納め? 手前はRW25B 553465。



 RW25B 552607。



 塗って間もないのにまたも塗り替え。RW25B 553222。



 上記車両と一番違いながら色が褪せすぎ。RW25B 553223。

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 現在急ピッチで塗装変更が進む中国国鉄の客車、何故わざわざカラフルな塗装を、往年の国際共産主義標準色である緑皮にするのかと言えば、まぁ鉄道部(国務院を構成する一省庁から、国有企業グループとしての鉄路総公司に格下げ済み)も例外ではなかった巨大汚職まみれの社会に「反腐敗」の喝を入れる習大大(キンペーの愛称)の安易な思いつきと無縁ではなさそうだ……と思うのは私だけでしょうか。今やベトナム国鉄はおろか、北朝鮮国鉄ですらカラフルな塗装に変更し始めている (撮りてぇ!……早急な日朝国交樹立希望……) といわれる中、米国と天下を分割せんと鼻息荒い世界の超大国様w だけが昔帰りをするというのも何だか可笑しい話ではあります。
 というわけで、ネットをつらつら眺めるにつけ、膨大な量の客車をかなりのハイペースで緑皮化する作業が進んでいるようですが、それだけに消えゆく紅皮・藍皮車を記録するのは今のうち……というわけで、滞在2日目の朝のザーラムにて形式写真撮影に勤しみました。それにしても、退色した車両の退色ぶりはヒドく、国際列車の威厳も何もあったものではありませんな……。まぁ、そんな退色のしやすさも、思い切って緑皮化(退色しにくい?)する一つの理由だったのかも知れません。

 それにしても、私が初めて紅皮車を見て乗ったのは、当時の中国国鉄における最高級列車であった北京~上海・北京~広州間の直達特快が紅皮25Kになって間もない1995年春のこと……。当時のほとんどの列車は悉く非冷房緑皮であった中、前任の22系最終ロット冷房車ですら、青とクリームのツートン姿にまぶしさを感じたものですが、それが突如明るいイメージの紅皮を纏ったリブ無しの25系客車になったということで、腰が抜けそうなほど驚いたのを今でも思い出します。硬座に乗っても、フカフカな椅子に空調付きということで、「これは軟座よりも軟座だな……」という印象すら受けました。そんな25K紅皮でしたので、外国人料金を叩きつけて首尾良く硬臥の切符をゲット出来たときには飛び上がるほど嬉しく、通路の椅子を倒して茶をしばきながら、北京から広州まで夢のような旅をしたのを今でもありありと思い出します (さすが直達特快の25Kともなれば電源車連結ですので、床下で発電機が唸ったりしませんし)。
 しかし今や、そんな紅皮車も、度重なるスピードアップの結果、120km/h制限で大して速くない快速(日本で言う急行程度のノリ)の主力車両となって久しく、かつては最高級直達特快用客車であったことを知る人はほとんどいなくなってしまったのかも知れません。その後の経済発展と列車の本数増のペースが速すぎたからなぁ……。そして、そんな記憶の旅から約20年を経て、紅皮も新緑皮となって歴史の中に去るということで、歳は取りたくないものだ、という一言に尽きます。

第四ヤンゴン熱鉄記 (12) 東方紅21+RBT800

2016-06-28 12:00:00 | ミャンマーの鉄道


 先日ベトナムにとんぼ返り遠征をした際、ハノイ以北のメーターゲージ旅客列車がチェコ罐D12Eオンリーの世界となり、ラオカイ線鈍行を主に担当していた東方紅21=D10H (Hは液体式の意) も離脱してしまったという事実に衝撃を受けたのですが、1977年以後1984年まで100両少々が製造された中国罐である以上、もういい加減ガタが来て、部品の取り合いにも限界が生じているのも仕方がないな、と思うのも事実です (ウィキペディアによるとベトナムには30両が譲渡とのこと)。それだけに、ミャンマー譲渡組 (同、計35両) も既に大量の休車・放置車が出ている中、大都会ヤンゴンで毎日2両の東方紅21が運用に入り、機織り運用で頻繁に見かけるということ自体、非常に貴重な話です。中国罐をはじめ各国罐事情に興味の無い方にとっては「何のこっちゃ」でしょうが。



 とりわけこの東方紅21は、既に日本中古DCのエンジン撤去車であるRBT2500編成の記事で触れました通り、私が運転中の罐に同乗する体験を得た唯一の車両ですので、自ずと思い入れも深まってしまいます。というわけで、日本中古RBEへのぶら下がり用として一時期それなりに (?)、ウリナラメーカー (確か大宇) の技術供与で製造されたRBT800を6両もジャラジャラ連結して力走するシーンをアップしてみましょう。
 RBT800をRBEにぶら下げる行為は、RBEのエンジンに過剰な負担がかかり、RBEの寿命を縮める結果になったようですので、私もヤンゴンではそういう光景を2013年の初訪問時しか見たことがありません。その後2014年春の訪問時、RBT800は3~4両を組んで東方紅21が牽引するようになっていましたが、2015年春には全車離脱して、「所詮乗り心地が激悪な安普請腰高車両だけのことはある」と思ったものです。ところが何と!ヤンゴン界隈の旅客輸送増のためか、休車となっていたRBT800が再起用され、6連を組んで東方紅21に牽引されている光景には最高にシビれました! 塗装が揃い、ラッピングもなければ、長大編成は何やら日本の往年の軽便鉄道ラッシュアワー的ノリを彷彿とさせるものがあり、「何時までこんな編成が走るのか分からないけど、とにかく今このような東方紅21牽引6連で復活してくれてラッキー!」と思ったのでした♪


ハノイ以北サウナ鉄 (6) 中国新緑皮25B

2016-06-27 00:00:00 | 中国の鉄道


 ベトナム国鉄ハロン線の今回の主役を扱ったところで、標準軌を走るもう一つの車両として、中国国鉄25系客車についても触れておきたいと思います。まぁこんな車両は、はるばるベトナムまで来なくとも、日本のすぐそばの北京上海や大連瀋陽あたりでいくらでも拝めるわけですが、個人的にはその中国自体が2011年3月を最後にご無沙汰で、客レもその際に香港の東鉄線で撮って以来ですので、新緑皮化政策が一昨年来大々的に推進されている中で緑皮化された25系客車を撮影するのは初めてです (^^;)。
 それはさておき、今や中国国鉄客車列車の圧倒的部分を占めるに至った25系客車のうち、南寧~ザーラム間の国際列車に使用されているのは25B系となります。Bは即ち標準Biaozhunの意。90年代に、一般列車の体質改善を図るべく、22系客車と混ぜて使う前提で造られたのがこのシリーズであり、25系単独のオール冷房車編成として製造された25K系が当時実にまぶしい、22系よりも一回り大きめな (?) 一段窓で登場したのと比べれば、ややスペックダウンの二段窓で登場しています。



 ただ、そんな25B系だけに、主に製造されたのは硬座車であるという印象が強く、軟臥で25Bって滅多に見たことがないような気が……。それだけに、ザーラム駅にて5両揃ってRW25Bが停車しているという光景は、ある意味で極めてレアなものであると思われます。
 もっとも、4人コンパートメントのこれに乗り、古き良き寝台列車の旅をしたいか?と問われれば、私自身の答えはNo!です。何故なら、コンパートメントごとに扉で密閉できる軟臥車は、ウザイ客と乗り合わせたときの「損した!金返せ!」感がハンパなものではないからです……(CNRは硬臥が一番!)。さらにこのRW25B、登場当初からの車軸発電機装備車であればさておき (手前の緑皮は車軸発電)、一部の車両はディーゼル発電機を搭載する「キロネ」状態に改造され、撮影時も「グァァーッ!」と凄まじい音を立てていました……。日本の12・14系と同様、電源車無しの編成でも常時空調が使えるようにとの考慮でしょうが、日本で「キハフ」「キハネフ」に乗るのもノーサンキューだというのに、軟席で床下から轟音がするのは如何なものか……と。気動車の走行音はドラマがあって大好きですが、常に同じ音が続く発電エンジン音は、個人的にはキライです……(汗)。

※ベトナム国内での撮影ですが、カテゴリは中国と致します。

那珂川清流鉄道初訪問 (3) キハ8500!

2016-06-25 18:00:00 | 保存・園内・特殊車両


 先日発売されたRP誌には、いつもお世話になっております斎藤幹雄氏による、マレーシア・サバ州立鉄道に転じた名鉄→会津キハ8502・8503の探訪記が掲載されておりますが、いや~マレーシア的なセンスによる新塗装が余りにも素晴らしいですね……(*^^*)。「気動車は1両だけでも動くのを活かして、転車台を使って単行運転をやってくれれば有り難い。予備車も常に確保出来るだろうし」と思っていたら、どうやらそのような計画があるようでますます楽しみなのですが、転車台がある駅も限られているとのことで、基本的には、週末&短区間運転の観光列車の類いに充当されるのでしょうか……!?



 いっぽう、もう2両の先頭車であるキハ8501・8504につきましては、那珂川清流鉄道に引き取られて静態保存されています。というわけで、去る5月に那珂川清流鉄道を初訪問した際には、キハ8500との対面も超!楽しみであったことは言うまでもありません。そこで、入口から進んで行くにつれ次から次へと現れる保存車両に圧倒されつつ入場券を購入し、さらに周回線路の内側奥にある貨車メインの静態保存ゾーンに進んで行きますと……をを~!確かに2両のキハ8500が鎮座しています♪ 屋根付きスペースに所狭しと押し込められた貨車群の谷間に、とにかく窮屈そうに並べられていますので、優美な大窓のサイドビューをじっくりと楽しむことは出来ないのは残念ですが、限られたスペースの中で、会津下郷での放置状態よりも劣化させないようにするためには、まぁ致し方のないところでしょう。
 たまに、手前にあるアントを使って屋根の外側に引き出し、撮影会が開催されるようですので、定期的に公式HPを注目していれば、逆光になってしまうものの外での撮影機会も得られるでしょう。それでも、完全に屋根の外に出てくるわけではないようで……究極的には20m車の移動も可能な屋外の展示線が設けられるのがベストでしょうが、果たしてそんなヲタの願望が実現する機会が訪れるのかどうか、超~のんびりと待つことにしたいと思います。

ハノイ以北サウナ鉄 (5) ハロン線客車の肖像

2016-06-24 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 満鉄客車ハ5 (?) の行商客車兼食堂車・C51003。



 住友製台車を履き、もとは由緒正しい (?) C51001。



 他の車両と比べると屋根が低く、椅子も撤去されたC51002。



 満鉄行李車HL71001。B41001/2未連結時はこの車両のトイレ使用!

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 ハロン線の超鈍行の旅においては、30分停車で罐を付け替えるケップ駅が最も客車の形式写真を撮りやすく、かつ朝の明るい光の中で撮影可能ということで楽しみにしていたのですが、前の記事で述べた通りのトゥーソン駅入換による大幅遅延でケップ駅での停車時間が削られ、泡を食った気分です。
 しかも……側線に留置された、最早全く使われておらず放置状態の車両が超特選揃いで、例えば、中国昆河線から持ってきたメーターゲージ客車あり、あるいはハロン線用1435mmの行商客車あり……(ハロン線客車を6連から4連に減車して余剰となったもの。行商客が減ったから状態の悪い車両を離脱させたのか、それとも状態が悪い車両が現れたから減車したのか……?)。これらを全部撮りたかったのですが、結局1435mm行商客車を1両撮るのみとなってしまったことこそ悲しけれ……。
 とまぁこんな感じで、ケップでは罐換えシーンの激写を挟んで、この日のハロン行き編成の4両を記録することに集中しまして、満鉄客車としては行李車HL71001と行商客車兼食堂車C51003を激写してハァハァ……という気分になったほか、2両の行商客車C51001/51002についても濃厚な日本の雰囲気をかぎ取ったのでした (華北交通・華中鉄道のいずれか出身であることは間違いないでしょう)。とくに、51002の台車は住友製ですし、残りの3両の台車もこの住友台車を1950年代に四方工場 (51003) と戚墅堰工場 (51001/71001) でコピーしたものであることが読み取れました。


 朽ちゆくC51005。屋根に残るガラベンはまさに日本のDNA。
 戦前、何処で製造され、何処に配置されていたのでしょうか?