地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

伊豆急の秘宝を訪ねて (序) 伊東駅紳士録

2012-06-30 00:00:00 | 地方民鉄 (東海道)


 昨晩はいつもお世話になっております「きえふにいさん」様及び「あまのじゃく」様と、きえふにいさん様のご体調平癒及び日頃の憂さ晴らしを兼ねて、都内某所の中華料理屋にてちょっとした鉄な宴を楽しみました♪ でもって、主な話題はいろいろあったのですが、 秩父・長電・伊豆急といった、東急8000系列が散っていった各路線に関してそれぞれ一家言あるヲタが揃っていることに加え、きえふにいさん様・あまのじゃく様ともどもゴリゴリの西武ファンでおられることから、車両に関する話題は東急と西武の現役及び譲渡車両が中心に (笑)。、そんな東急と西武がかつて激しいバトルを繰り広げたところと言えば伊豆。そのうち駿豆線は最近何度かレポートしましたので、今回は伊豆急を取り上げてみましょう (^^;)。
 とくに個人的には、今月上旬に怪社の研修旅行引率で伊豆を訪れ、東海バスの箱根登山塗装車を撮影して大はしゃぎしたものの、やはり貸切バスの移動オンリーで、伊豆急に全く触れることが出来ず御無沙汰という遺憾が残りまして……先日久しぶりに伊豆急を訪れたという次第。個人的な平日休みと、京急ヲタ&鉄模ヲタ度が増している小4の甥っ子の日曜参観代休が重なり、しかも甥っ子は未だ熱海以南の伊東線・伊豆急線に乗ったことがないというので、ならば乗せてやろうじゃないか!という、叔父さんなりの鉄英才教育の一環……(やべぇ。笑)。



 しかし……折角車窓風景に秀でた伊豆に来ているというのに、外は降りしきる氷雨……。6月下旬だというのに気温が10数度とは一体どういうこっちゃ……。このため、とりあえず往復割引切符購入のため下車した伊東駅では、次の電車が来るまで何度もトイレに駆け込む羽目に陥りました (-_-;)。折角リゾート21の並びを撮っても、あるいは幕張からの珍客「ニューなのはな」と8000系の並びを撮っても(どちらもハワイアンブルーで良い感じの並び♪)、ただひたすら雨雨雨……。風も強く、深いレンズフードなどお構いなしでフィルターに水滴がつきまくり大いに焦りました。また、少々駅前広場で東海バスを撮影しようと思っても、並んでいるのはエルガミオばっかし……(-_-メ)。嗚呼……折角の休みがぁ……甥っ子を喜ばせるつもりが……と激しくテンション下がりまくりとなったのでした。
 もっとも、人生常に悪運ばかりというわけではありません。この後は感動的なシーンが次から次へと展開しまくったのでした……。というわけで、続きは改めて。
 ちなみに、1枚目を撮影したのち「アルファ・リゾート21」にそのまま乗ったところ、車内アナウンスは所謂「地元推し」なアニメとして下田が舞台に描かれている『夏色キセキ』(車内の広告と、先日の新聞に載っていたDVD発売全面広告で始めてその存在を知った次第。滝汗) の声優さんの声でしたが、個人的にはアニヲタ度ゼロですので、うーん、何かビミョーにキモかったですね (失礼)。でも、その手の趣味をお持ちでピーンと来られた方は、是非平日に所謂聖地巡礼として伊豆急を訪れてあげて下さい~。とにかく伊東以南では7両編成が悲しいほどスカスカですので……(-_-;)。その際には、伊豆急公式HPに掲載されている「アルファ・リゾート21」運行予定表のチェックをお忘れ無く (笑)。

東急恩田通信・旧デヤ永眠 (?) 編

2012-06-29 00:00:00 | 事業用車両


 長年東急の裏方として活躍してきたデヤ7200・7290が、去る2月26日に事業用車としては異例すぎるさよなら運転を行い、その後少々の出番で活躍したのを最後に引退してはや約4ヶ月……。新デヤ (まだ走行シーンを一度も撮っていない……まぁ焦る必要は全くないのですが) の活躍開始とともに長らく長津田検車区の片隅で眠りについていた旧デヤ2両ですが、先日ついに恩田に回送されたとのことで、仕事が早く終わったついでにその様子を眺めて参りました。



 旧デヤが留置されているのは、かつてED301が稼働しなくなって以来長らく放置されていたのと同じ正門脇。部外者にとっては何という撮りにくい位置……ということで、1枚目の画像はすっかり夏草に覆われ蚊も乱舞する (滝汗) 恩田川脇のスペースから超望遠+超トリミングで、2枚目の画像は正門前の公道から撮影しております。旧デヤが果たして保存か、それとも解体か……現時点では全く見当もつかない中、下回りに余計なものがかかって決して好ましいとは言えないカットではありますが、これでも旧デヤの最後の風景として記録にはなり、記録しないよりはマシだろうと思い、何とか撮影した次第です。
 出来れば、かつての恩田入換車軍団が完全に消えるのを前にして、一時高台から見やすい位置に並べられたのと同様、何とか撮りやすい位置に移動しないものか?と思うのですが、もし「恩田の入換車になってくれ!」という妄想が正夢になるとしたらその必要性はないわけで……(^^;)。まぁともあれ現時点では何とも判断つきかねますが、なるべく良い方向で旧デヤの今後が決まることを祈るばかりです。長い間の活躍本当にお疲れさまでした……。

変貌する横浜駅とバス (1) 神奈中に新ロゴ登場

2012-06-28 00:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 毎年この時期になると、今や灼熱のジャカルタで活躍する東急8007Fや8039Fが「伊豆のなつ」や「リバイバル急行」として花道を飾ったことを思い出すのですが、彼らが活躍した東横線が既に横浜駅で地下に潜り、今や渋谷駅でも地下に潜ろうとしているのと同様に、「横」の字が意味する横浜も日々変貌を繰り返しています。とくに、往年の桜木町に代わって横浜市の代表駅となって久しい横浜駅は、中央連絡通路開通・東口大整備・東横線地下化工事……と、幼少時からの私の記憶にある限り常に何かしらの大規模工事が行われており、一時も同じ姿を留めず変わりゆく様はまさに無常のサグラダ・ファミリア状態 (爆)。そして今や、長年横浜駅西口のシンボルとして君臨してきた駅ビルが、東横線地下化→横須賀線ホーム拡充のプロセスが終わったのを受けて解体され、名古屋・大阪駅にタメを張るかのような高層新駅ビルへと生まれ変わることとなり、既に駅ビル (CIAL) そのものは昨年春で営業終了、去る5月末から建物内側にて解体工事が始まっているようです (『神奈川新聞』で見た記事による)。
 しかしそれは同時に、横浜生まれの神奈川県民にとって長年見慣れた原風景、すなわち如何にも昭和の高度成長期チックな駅ビルと雲集する路線バスの組み合わせが風前の灯火であることを意味します。そこで先日、横浜西口駅ビルに解体用のカバーが掛けられてしまう前に、そんな光景の記録に勤しんでみました。



 そこでまずは神奈中バス。神奈中といえば、昨年の大体いまごろ厚木営業所で盛大に100周年イベントを実施し、木炭バス三太号の勇姿を思わず激写したものですが、現実の神奈中は押しも押されぬ日本最大級のバス事業体として、神奈川県の大部分に加え一部三多摩エリアを網羅し、横浜駅西口にも当然のようにジャンジャン姿を現します。とりわけ、横浜駅西口にからむ運用は利用客が多いことから、エアロスター様が主体となっているのは嬉しいことですね……(^^)。
 そんな神奈中、如何にも好ましい雰囲気の社紋を前面に掲げ、一部の車両は社紋の代わりに「かなちゅう」と書かれたロゴを掲げてきましたが、ここに来て突如、100周年記念のあれこれの締めくくりとして (?)、青字で「Kanachu」と記した新ロゴが登場し、急速な勢いで勢力を拡大しておりビックリ (滝汗)。そこで「これはヤバイ……。社紋あり車と横浜西口駅ビルの組み合わせを撮るなら今が最後の旬か?」と思い、先日の撮影に及んだ次第ですが、社紋は外して塗り直すのに手間がかかることから、当面「Kanachu」新ロゴを正面に掲げた車両は「かなちゅう」ロゴ車両に限られ、社紋掲示車はこのまま経年廃車とともに次第に減って行くとみるべきなのでしょうか? それでも、前ドア及び運転席窓上のロゴは社紋掲示車であるか否かに関係なく急速に「kanachu」ロゴになっていますので、今が写し時……。
 ちなみに、今回の画像を撮影した日は、神奈中の長距離路線の十指に入る2枚目左の「横04 鶴間駅行」にそのまま乗って小田急江ノ島線へ向かってみました。かつて神奈中を代表する長距離路線には、横浜~相模湖、あるいは平塚~相模湖といったゴツい路線もあったようですが、鉄道の本数が少なく、モータリゼーションが進んでおらず、交通渋滞も大して無い時代ならではのものでしょう。そこで、今や神奈中を代表する長大路線は本厚木から宮ヶ瀬や半原といった山間部へ向かう路線や、鉄道が不便な平塚~秦野間の路線、そして東海道線の駅から遠い場所に住んでいる人々を拾う平塚~小田原間の路線、そして八王子~相模湖間の峠越え&免許維持路線が主流(?)となっています。というわけで、純粋に人口密度が高いエリアを走る路線として横浜駅西口~鶴間駅線が残っており、しかも毎時1~2本が運転されているのは奇跡に近いものがあります。
 もっとも横浜~鶴間間の移動は、明らかに相鉄と小田急を乗り継ぐ方が早いわけで、乗り通すのはバスヲタくらいのもの。しかも、運転手の手許にある行路表では所要1時間となっているのものの、何のかの言って横浜市内では敬老無料パスで乗り込む老人客で大混雑し、客扱いに時間を要するのみならず、渋滞にも巻き込まれますので、結局私が乗った際には所要1時間20分。先へ進むほどダイヤは当てになりません (滝汗)。このため、数年前までは30分間隔であり、さらに昔は15~20分間隔であったものが、今や半分が鶴ヶ峰~鶴間の折返しとなっており、横浜側も他の系統に統合されています。それでも、この約20kmに及ぶ大都市長距離路線が温存されているのは、横浜駅に出入りする多くの神奈中バスが大和営業所所属であり、非常に広大な範囲をカバーする巨大営業所である大和営業所のエリア一体性を演出するためだけの目的なのかも知れません。そして、実際に乗り通したのは、私の他にもう1名の明らかにバスヲタと思われる手ぶら客のみ……(^^;)。それでも、横浜~鶴ヶ峰間が均一運賃区間で、鶴ヶ峰から先も横浜市域が鶴間のかなり手前スレスレまで続くため、運賃はトータルでも300円とお・ト・ク♪ 電車で大和乗り換えであれば380円ですので……(笑)。
 風景的には、横浜市から大和市に入るまでひたすら国道16号線を走るのみで単調ですが、ふだん相鉄線利用では縁遠い旭区の田舎ゾーン、そして米軍上瀬谷通信基地がらみで残された広大な緑、そして下鶴間界隈(16号から大山街道[246号]の旧道に入る) の「やや狭隘路」など、それなりに見どころ(というほどでもないか)もあります。余程ヒマな方は、一度は試す価値ありということで……(^^;;)。

社会主義日本エレクトリーチカを作る (3)

2012-06-27 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 205系の車体に小田急2220形のマスクを接着するというムリヤリ感も甚だしい思いつきで製作を始めた超妄想・社会主義日本標準型エレクトリーチカ……とりあえず前回アップした程度まで車体をいじくり回してイメージが形になって来ますと、そこから先の完成態を一刻も早く見てみたいと気がはやってしまうものです (笑)。実際、過去散々積み重ねて来た切り接ぎ工作やフリーランス工作の経験から申しますと、後は塗るだけという段階に達していさえすれば、もう8割方完成したも同然という気がしています (そんなことない……かも知れませんが、とにかく素組みと比較して圧倒的に車体いじり工作の量が多いのは否めないのが正直なところです)。
 そこで、いそいそとマスキングに勤しんで、お約束通りにタミヤの日本海軍暗緑色をブワーッとな (爆)。帝国主義と保守反動に抵抗する革命的人民大衆の輸送手段にそのような色を使うとは何事か!自己批判せよ!と糾弾されそうですが (笑)。そして窓下の太いリブにGM東武セイジクリームを塗りますと、をををををっ!強烈に計画経済エレクトリーチカ臭が漂って来ました♪



 その後は窓廻りの色差しを実施。側面窓にフラットアルミを塗ったのは……本当は鋼製ながら、資本主義西日本に対する秘かな対抗意識のあらわれという設定です (笑)。そしてインレタ貼り……東西分裂により資本主義西日本とは全く別の国営鉄道が設立されてからの車両ということで、戦前の帝国日本製20m級電車を全て50台の形式に集約・改番し、社会主義東日本がコメコン経済と一体化して大きく発展を始めてからの新型車・60系電車(マスクはこの電車と同じで、片開き4扉)の後継として1960年代以後延々と大量製造された61系電車と命名しました (爆)。具体的な形式名は2ケタではなく3ケタで、上2ケタは大まかな系列名、下1ケタは系列におけるバージョン順を示す……という、これまた資本主義日本とは全く異なるルールを妄想設定しまして、この車両は「クモハ611 (クモハ61形の第一世代)+車番」という呼称としております (^_^;;;;)。下回りは、「強力なのは良いことだ。技術で打倒!資本主義西日本!」という盲目的なスローガンのもと、可能な限り大出力のハイスペックを追求した……ということで、手許にあるGM東武6050系のゴツい床下パーツをつけてみましたが、まぁ単に個人的な趣味で「抵抗器ズラ~リ」を演出してみたいというだけに過ぎません (笑)。台車も堅牢なゴツさを追求しDT20を採用……というわけで、自ずと釣掛式電車です (^^;;)。
 とまぁこんな感じで、仕上げに貫通幌をくっつけたところ……やはり南海的雰囲気は否定できません (滝汗)。コンビを組むクハには貫通幌をつけない予定ですので、こちらは前パンでないことと相俟って、一層社会主義エレクトリーチカっぽくなる……予定です (^^;;)。他にも中間車も用意しますが、いや~大変だ (笑)。

梅雨ときどき東武 (2) 変わりゆく10030系

2012-06-26 00:00:00 | 大手民鉄 (東武)


 先日開業から一ヶ月を迎えた東京スカイツリーの累計入場者数は500万人をはるかに超えているそうで……まさに化け物集客施設参上!の観がありますね~。一昨日も休日出勤で田都~半蔵門線を利用したところ、従来でしたら中央林間から渋谷に着けば一気に車内が空いてしまうのが休日の半蔵門線の常でしたが、今や渋谷で乗って来る客も結構おり、永田町、九段下、大手町と進んでも椅子がスカスカになることはないという……。その多くの客は家族連れやカップルなどで、誰もがみなスカイツリーへ向かうのではないか?という勢いです。
 そんなこんなで東武にとってはウハウハなのだろうと想像されますが、スカイツリーについて報道される際に「運営会社によると」というフレーズが目立ち、東武が建設したことについては全然触れられる機会が少ないのは何故……(汗)。



 というわけで、東武こそスカイツリーの立役者なり!ということを強調するためもあってか、いつの間にか東武を象徴するものが古き良き社紋から「手裏剣マーク」の新CIロゴへと移行していますが、最近新CIロゴを採用した小田急や相鉄などと全く同じく、所属車両に掲げられた社紋を消して「手裏剣マーク」を貼る作業が進行しています (汗)。田都に直通する50050系や30000系では未だ見かけないだけに……余計にオドロキを隠せなかったですね……(^^;)。まぁ、50050系の社紋描き換えはオレンジ色のラッピング全体を剥がすことになり、相当の費用と手間がかかることになりそうですので、単に狭い面積の社紋を剥がして「手裏剣マーク」を貼るだけならばはるかにやりやすいと言えばその通りなのでしょう。
 ともあれ、10000系列と社紋の組み合わせを撮るなら今のうちという感じですが、いっぽうで伊勢崎・日光線系統ではコルゲート10000系のリニューアルがほぼ終了したようで、今や10030系すらリニューアルの対象になっていることに大いなるオドロキを隠せません (汗)。今後は10000系列の幕が消えようとしている……ということで、極めてありふれた、珍しくも何ともなかったシーンでも忘れずに記録を重ねなければと思った次第です。