JAHPON LAND( Pucci )

スケートファニチャーやステンドグラス作品などJAHPON.comとして活躍する作家 土屋隆亮(プチ)のメッセージ!

非破壊検査で精霊遭遇

2007年09月08日 | Weblog
「超越とか精霊とかゆって、頭おかしいんじゃないの?」と、確かに夢見て憧れている感は自覚していますが、もっと現実の物質的な事にも本質を見抜く力は今後必要な時代に来ていると思うのです。おれは密かにこんなトレーニングをしています「物の質量を見抜け!無垢材か中空素材かゲーム」ドアや机に木目の薄い板を表面に張り合わせた、中が空洞のフェイクな物が沢山あります。軽量化やコストダウンの為で 無垢をリアルとしたフェイク呼ばわりには、不満がある訳では無いのですが ただ好みで無垢材を見つけると嬉しいのです。同様に鉄にも無垢かパイプかの質量の差がありますね。自分なりの得点制度があって、まず目視!見ただけで決まれば最高点、次は触感!温度とかは大ヒント、最終的に軽く叩いてみたり重さを量るのは、ほぼゲームオーバーです。スイカを選ぶ時みたいでしょ。物質主義者的には表面のリアリティと重さを足してしまえば素人には解らないと思うかもしれないけど、夢見るおれは ひつこく見抜きます。そんな時、そっと目を閉じていたりしてノリノリのシックスセンス的なりきり感で、子供を連れた親ならば手を引き寄せる怪しさです。専門家が見抜く力が強い事や 慣れると雰囲気で違いが解る!とよく言いますが、この雰囲気がオーラとして感じている事実なのです。専門家はその素材に長く接していて素材に住む精霊とお馴染みさんになる訳です。デヴィ夫人がダイヤモンドを見抜いたり、艶具合で金メッキか金無垢かを見破るのも自然に超越の力です。プリント技術が進む現代には、なげやりな「プリントですが何か?」な、ぺらぺらフェイクがどんどん生活を埋めて行きます。視覚重視で風船とつい立てだらけの水泳大会では虚しいよね!その為にも物質を感じる力を鍛えなければ!と思うのです。ねっ 夢じゃないでしょ!

帰り道にドリームタイム

2007年09月07日 | Weblog
...とまあ、色々な思想があって それぞれが真理な訳だけど何か物足りない!そんな時 世界中の思想や哲学を流動的に異種格闘に滑りまくる「中沢新一先生」の本に出会ったのです。この情報時代ならば籠ってしまう宗教よりも広い視野で真理が掴めるかもしれないと、冒険的な思考の旅に出た勇気ある先生です。その中に登場して、今興味あるのは オーストラリアの原住民 アボリジニ による精霊(スピリット)が泳ぐドリームタイムという空間です。「物に潜む精霊の本質を見る超越の力で、宇宙エネルギーへの帰り道を取戻せるのではないか!」という おれの希望です。物質の世界に形のある物が出現する前に、ドリームタイムと呼ばれるこの世界に重なった次元で 形の無い状態で物の本質としての精霊が泳いでいるという世界観です。この本質や精霊は老子の言葉では道に当たります。おれが「帰り道」と表現したのは「力」パワーへの解釈です。宇宙エネルギーや自然の力を欲しがる人間の欲はいつも間違ったベクトルで破壊的で野蛮なイメージでした!それが原因で大事な通路を閉ざされて隠れてしまっている!と思うのです。帰り道を取戻す力も十分欲ですが野蛮では無いイメージで、気に入っているフレーズなのです。さてドリームタイムに入る方法ですが、世界中の儀式で毒を飲んでトランスする部族が多い中、アボリジニは青空を見続ける!という方法を使うそうです。何て自然体で素敵なんでしょう!毒は草やキノコやサボテンなど植物なので、植物に頼った瞑想では人間としての公平な判断が出来ないのでは?という不審があったので、ますます気に入った訳です。それに 儀式でしか超越出来ないなんて特別なものに祭り上げた事も通路を閉ざした原因ではないでしょうか。現実と超越したビジョンは完全に同居して見えているべきなのです。簡単です!昔おばあちゃんに言われた「御飯つぶ残すと目がつぶれるよ!」これこそが普通に超越していた感覚だったのです。物質的感覚に偏り過ぎた現代に「超越が見える 感じる力」というものが世界を救うのではないかと真剣に信じています。

ソロモンと老子 ご対面

2007年09月06日 | Weblog
対極する事のバランスを調整する方法でパワーを引き出す白魔術に対して、そもそも「無為自然の世界にはそんな対立は無い」と根底から覆す「道 (TAO)」は 老子に始まる思想で、興味深い挑戦をしています。この自然はネイチャーの事では無く「自ら然る」という意味で、万物が元々内在させている道の根源に力を預ける事によって調和が成り立つという思想です。例えると、世の中に「黒」という色が一色だけなら「色」である必要も「黒」である意味も無くて「黒」という存在は「白」や他の色の存在無しにありえない と同時に他の色も「黒」によって他の色として成り立ち、人間も同じ様に自分は他の人の存在によって自分であり、自分によって他の人も他の人として成り立つ!という「相対性は存在の必然で存在の本質的な要素」と説くのです。仏教ではこの相対観に「諸行無常」と虚しい諦めで否定的なのに対して、クールで楽観的なイメージです。そんなクールな雰囲気はソロモン王の魔術に共通する感じがします。天使も悪魔も両方使い分けられる感覚は完全に均等なバランスで強いパワーを得ていた訳です。この感覚は おれがフリーメイソンに興味を持った最初の衝動で、悪魔も天使も讃えている事にリアリティを感じたのです。変にダークサイドを隠している無理矢理に明るいモノって、ちょっと気持ち悪い薄っぺらさを感じて警戒してしまいます。強いパワーを求めて極端に強い悪と極端に強い善をわざわざ ぶつけてハレーションの様に光るパワーを楽しんでいるのが今の強さを求めるグローバル社会の構造で、実際に魔法術が実用されている事は明らかな事実!もはや手段を選ばない力強さは恐らく黒魔術に属する巧妙な技術です。とりあえずしようが無いから 今は白魔術に頼ってバランスを取戻す必要がありそうで、極端に傾いたシーソーは ひっくり返して楽しむべきです「正義じゃなくて、面白いから揺らしちゃえ!」てね。

白魔術VS黒魔術

2007年09月05日 | Weblog
フリーメイソン研究から ラスタ信仰と兄弟だった発見に繋がり、今「白魔術」に辿り着いてしまいました。フリーメイソンとラスタの父がソロモン王、どんだけスゴイ王なのか?と調べていたら、強烈な魔法使いだという事が解ってきました。ソロモン王は魔神から長寿と知恵を授かり、悪魔を呼び出しては 幾何学、数学、天文学の知恵を学び、世界中の財宝を手に入れたそうです。その知恵をデザイン化したものが「魔法円」と呼ばれる図形と呪文で「ソロモン王のカギ」という魔法書を残しました。自分の欲望と悪い目的の為に魔法術が利用されると「黒魔術」と呼ばれ、この黒魔術から救う為にも「白魔術」が存在、活躍するのです。元々知恵の内容というのが「宇宙や自然のパワーを利用する方法」で基礎となる 六芒星の上向きの三角と下向きの三角は対極する全ての関係のバランスを意味し、上下の三角形が均等なバランスを保つと闇から光が生じて逆転現象が起きるというものです。精神と物質の調和によって不思議な宇宙エネルギーが生み出されるという理論は実に納得できる話だとおれは思うのです。世界中に白魔術は存在し 使い方の倫理は無いに等しいのですがパワーの源がバランスなだけに、どんなケースでも上手くバランスがとれる仕組なのかもしれません。バリでの話、不倫して村八分の女を村の女達が白魔術の呪いでこらしめます。片方の乳房が大きくなる呪いに本人が気付き恐くなって半狂乱!そして反省、村の女も可哀想になって許し呪いは解ける!村八分も解消。こんな不思議な裁判も理想的かもしれないよね。黒か白かは本当に紙一重に背中合わせで、原理からすると 善と同じ量の悪が存在する訳だから、善にだって強力なパワーが必要だよね。黒魔術崇拝のヒトラーはイギリスのガードナー博士率いる白魔術クラブの秘儀により滅ぼされたそうです。「黒魔術は割と白魔術には弱いと見た!」宇宙だぁ自然だぁとゆって、ソロモン王は良い奴なのか悪い奴なのか、敵か見方か、何なんでしょう?ただ一つ言える事は「大袈裟」です。大成功と大貧困や大戦争に大国家!規模がデカいよね。まだまだ謎が多くて大変ですが、はっきりした事は「ラスタは白魔術そのものだ」という事。まだまだ続けます。

使えない遊園地

2007年09月04日 | Weblog
スケートボードに狂っている奴の感覚 目線は一般的には少し異常で難解に思われそうですが、実に納得のいくスジが通っています。普段スケートボードを持っていない仕事中、運転中、電車の中から、スケートに使えるものを常に目で探しているのです。特に道路の路面の荒さや傾斜、堤防や滑らかで立体的に盛上がったコンクリートのバンクなどストリートのスケートスポットは限りなく発掘されます。更には手すりや階段、飛んで超えたらいいだろうな~という消火栓やゴミバケツ等を含めると限りなく世界は遊園地です。さて、どうしても滑れないモノがたまにあります。原宿に みんな大好きなブランドSupreme原宿店がオープンしました。スケート用のボウルの構造をモチーフにした内装オブジェが置いてあります。スケートテイストをおしゃれに取り入れた訳ですが、スケート狂にとってはイライラする存在で「これ使えねーじゃん!意味ね~」と更には「滑れないのに 木がもったいないよ」と、どうしようもない事を言ってしまいます。ちょっとスケート感がちらついてしまったが為に事故の様な いいがかりです。ロスの店には本物のボウルがあるのも関係しますが、例え自分は滑らせてもらえないにしても 滑る事も出来るという想像だけでも嬉しいもので、その中途半端さが「内装創った奴は滑らないポーザーだよ」とがっかりさせるのです。この感覚はクレイジーではあるけれど、何か教訓的な大事な事が隠れ潜んでいると真剣に思うのです。世の中には何やら風!とか 何やらスタイル!とリアリティの無い表面的に商売に利用されてしまう事が多いものです!このスケート狂の世界でのリアリティは実質的に使えるか?だった訳です。Supremeへの期待が強過ぎて そんなブランドでは無い事を知っているが故に厳しく見てしまったのかもしれませんね。早く完成させてほしいです。

よい子に育つ脳内百科

2007年09月01日 | Weblog
幼少の頃の教育の重要さを、自分が受けた感謝によって再認識します。教育と言っても勉強的なものではなくて 楽しい絵本や遊びのことで、この時期に楽しめるか楽しめないかでイマジネイションの広さが決まるのではないかと思います。うちには 世界文化社「よい子に育つ こどものための百科」という全20巻の本がありました。あいうえお順に、錚々たるメンバーの絵本作家によるイラストで言葉や楽しい世界の不思議を見せてくれるのです。高校生になるまで「カバの耳ってどんなんだっけ?」という時には5巻の「か」を開く!という、我が家の百科といえばコレでした。豪華で秀逸な有名絵本作家の作品は全てこの百科の為に描きおろされたもので 子供の未来の為に協力した愛に溢れた力作揃い、メルヘンな色や小人やおとぎの世界満載の雰囲気や構成は今の時代にも色褪せない傑作です。30歳を過ぎて急に この百科の事を思い出して実家から送ってもらったところ、ボロっボロで酷い落書きに笑えましたが、ピカピカの古本で探し出して揃えました。どのページも見れば見る程「知ってる!覚えてる!あ~コレコレ」と、実際は逆ですが おれの頭の中の百科事典そのものが飛び出して来た様な感覚です。じっくり見てみると、愉快なギャグ満載と同時に意外とグロテスクなタッチやダークな世界も描かれていて、子供を馬鹿にした様な幼稚な表現だけで無いのがリアルで良かったのかな?と感心するポイントが沢山あります「先入観の無い子供にはフラットに色んな事を見せて押し付けない」という素晴しい成功モデルです。そういえば昔話やメルヘン童話はシュールなダークさは付きもので、震え上がる様な結末が明るい部分をより楽しく引き立ててくれるものです。小さい頃はこの百科を開いたページの上で寝てしまい不思議な世界にしょっちゅう入り込んで遊んでいたものです。友達の出産祝いに、おれ絶賛の百科を送りました。35になるまで楽しめるんだから、人類にとって受継がなければいけない文献ではないかと真剣におもいます。当然とっくに絶版なので、アマゾン通販検索で簡単に見つかります!おれみたいな変態がよい子かは解りませんが、古今東西見た事の無い素敵な百科なので 日本の未来のためにオススメです。