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MAKO’s日記

身の回りでの出来事

お腹の赤ちゃんがお腹すいちゃうよ

2010-01-29 09:28:42 | Weblog
●なんだか、寂しい、物足りない…
 以下の話し…
 これくらい、考えられるようになれれば…


「五年くらい前かな。地下鉄で隣に立った若い親子連れ

お母さんと息子、多分5,6歳くらいだったと思う

お母さんが「お昼ご飯何食べたい?」って子供に聞いたんだ

そうしたら逆に子供は「お母さんは?」と聞き返す

お母さんは「お母さんあまりお腹減ってないなぁ」って笑って返した。

そうしたら子供、怒ったように、

「ちゃんとご飯食べないと、お腹の赤ちゃんがお腹すいちゃうよー!」って

お腹は全然目立ってなくて、妊娠しているなんてわからなかった

その子供の言葉を聞いて、前の座席に座っていた高校生のカップルが立ち上がって、

「「どうぞ!!」」…見事にハモってたw

お母さんは驚いてたけど、「ありがとうございます」ってそのまま子供と一緒に座った

ありがちな話かもしれないけど、あれは和んだなあ 」

最後の葬式

2010-01-23 22:36:27 | Weblog

●経過
 1/16 (土)18時頃 母が頭を抱えていた。(私は食事の準備中)
      19時頃 食事のテーブルに着いてもらおうとしたが、体が左に傾き、足がおぼつかなく、一人では移動できなかった。
      抱きかかえて、何とか椅子に座ってもらったが、
    「ご飯どころでない。頭が痛い。タオルで頭を縛ってくれ。」
    「とにかく我が感覚でない。病院へ連れてってくれ。」
    完全に様子がおかしい、と思い、「福井厚生病院」へ連れて行くことにした。
    直感的に、頭の中の血管が切れた?、と思った。
    老人車につかまってもらい、左に傾く体を引き起こしながら、車まで移動。
    ポータブルトイレの前で、急に、「おしっこをしたい。」と言いはじめた。
    しょうがない。
    何とか、自分で用は足した物の、ズボンを引き上げられない。
    どうにか立ち上がらせ、老人車につかまってもらい、ズボンを引き上げた。
    そのまま移動させるが、左足が動かない。
    どんどん悪くなっていく。
    しょうがないので、抱きかかえて、車まで移動した。
    車に乗せて、近くの厚生病院へ移動。
    反応がどんどん無くなっていく。
    移動中は、ほとんど無言。
    とにかく、頭が痛いのだろう。
    10分ほどして、病院に到着。
    受付の女性に手伝ってもらい、車椅子に乗せる。
    緊急で診てもらった。
    対応の先生が、いつも整形外科でお世話になっているF先生。
19:35 一目見て、「確かにおかしい。反応も弱い。」 点滴を始める。
    「頭の中で出血か?」、と聞いてみると、「分からない。とにかくCTで調べる。」と言う。
19:43 約10分ほどしてからCTの技術者が来て、検査。
19:48 5分位して、「やはり、言うとおり、脳内出血です。10cm×5cm位の出血が後頭部右側にある。」
    「至急治療が必要です。この病院には脳外科がないので他の大きな病院へ搬送します。どこが良いですか?」
    とっさに「県立病院」と答えていた。
20:04 20分位して、救急車が来た。
    F先生がカルテ持参で一緒に付き添ってくれた。
    私は、帰りがあるので、自分の車で追いかけた。
20:17 私が県立病院着。救命救急センターへ駆け込む。母は既に着いているはず。
20:27 県立病院の先生から説明受け。
    「右後頭部に出血している。状態は落着いている。反応もある。」
21:30頃 弟、着。
    2人で黙って見ているだけ。
    反応はあるものの、かなり小さい。
    看護士によると、血圧を抑え、血が固まり易くする薬を点滴している、と言う。
23:00頃 見ていても、どうしようもない。
    こちらの体力も温存しておく必要がありそうだ。(長期戦を覚悟する。)
    看護士から、「明日、9時頃、もう一度CTで検査をする。そのころに来てもらえると良い。」
    と言うことなので、帰ることにした。
1/17(日)
 9:30頃、県立病院の救命救急センターにつく。
    しばらくして、弟も来た。
10:00頃 県立病院の先生から説明。
       脳内出血で、左のほうが出血中。
       このまま出血が続てい脳幹まで達すると、死に至る。
       確率的に、死亡 30%、あとは寝たきりかよくて車いす、である。
       先生の話し方を見て、寝たきりになりそう のように見えた。
       年齢などを考えて、今日(1/17)~明後日(1/19)が山である、ということだ。
    このまま、17時頃まで見ていた。
    しかし、ただ見ているだけで、何もできない。 やりきれない。どうしようもない。
    病院から指示された入院に必要な品物を持ってはきたものの、全く使うまでにならない。
1/18(月)
18:00頃 仕事終了後、病院へ行った。
     全く変わっていない。
19:00頃、弟も来た、
     もし、寝たきりになったら、協力を頼む。
     妻がいれば何とかなるかもしれないが、それもいない。
1/19(火)
 2:20頃、携帯がけたたましくなった。
    県立病院からだ。
    「呼吸していない。至急来てください。」と…
    弟に連絡した後、車で駆けつけた。
 2:45頃、着いた。
    母の顔に白い布がかぶせてあった。
    じっと見ていたら、看護士さんが布を取ってくれた。
    平穏な顔つきだった。
    何の言葉も出なかった。 ただ、じっと見つめるだけしかできなかった…
    弟が、飛び込んできた。
    泣いていた。 素直に表現できるって、いいな…
    先生から説明。
    特に苦しがることもなく、静かに息を引取った、と…
    どれくらい見ていたか、定かでない。
    看護士から、体を拭くので、席をはずして欲しい、と。
    その間に、葬儀社へ連絡して、帰宅してはどうか、と。
     ああ。そうだ。
     妻の時に世話になった葬儀社の担当者に連絡。
    私が自宅まで誘導して、帰っては来たものの、玄関にはまだ雪が一杯!。
    全く、除雪をしてなかった。
     弟に除雪を頼み、私は散らかっている部屋を片付ける。
     母は、足が痛かったため、部屋のあちこちに生活必需品を置きっぱなしにしていた。
     私は、心の余裕?がなかったため、放置していた。除雪も…
    何とか、布団に母を寝かせてひと段落。
    気がついたら、夜が明け始めていた。
    6:30頃、母屋(父の実家)の従兄弟に連絡。
    その後、親戚、近所へ連絡しまくる。
    葬儀社とは、通夜と葬式の日取りを予め決めておいた。
     1/20(水)18:30 通夜
     1/21(木)10:00 葬式
    後は、母屋の従兄弟に任せて、私はボーっとしていた。
     親戚の一覧表、タイムスケジュールを、父と妻の葬式の資料を基に作っただけ。
    町内の親戚から、「枕経はしたのか」と聞かれ、何のことか分からなかった。
     2回も葬式をしているにもかかわらずである。
     説明を聞いて、慌ててお寺へ連絡。
    ただ、会社には御供え物を私の言うとおりにさせていただいて、大変助かった。 ただ感謝あるのみ…

1/20(水)
15:00 納棺
     M子が泣いていた。
     母親を小学4年生の頃に亡くし、母が親代わりをしていた。
     突然、母がしていた指輪を見て、「これ、欲しい。だめ?」
     良いに決まっている。「良いさ。母も喜んでるよ。」
      担当者が、手際よく指輪をはずして、M子に渡す。
      大事そうに、持っていた。
      「宝物が増えちゃったね。」 「うん…」
16:00頃 会館に安置。
18:00 御通夜
     ただただ頭を下げるだけ。
20:00頃 母の兄弟の子(従兄弟)が2人来てくれた。
      昔の思い出話をしながら、3時?頃まで呑んでいた。
      が、どんな話をしたんだろう、 よく覚えていない。

1/21(木)
10:00 葬式
12:30 火葬場
18:00 近所のお寺に納骨
20:00頃 解散

 終わった。
 全てが終わった。
 この家に残ったのは、私一人…
 母は何だかんだとできない世話をしたがって、うっとおしかった…
 が、ありがたかった。
 16時頃から5分毎に電話がかかり続け、私の気が狂いそうにもなった。
 それもこれも… 終わった。

 …  …

1/28 23:35


練習 その後

2010-01-11 02:08:38 | Weblog

●パート練習は、さんざんでした。
 3人で、楽譜をにらみ、ここはあーだこうだを2時間。
 結果、打合せで時間を費やし、互いに奏法を合わせることはできなかった。
 結局、私の個人練習で習得して、他の人の演奏を聞き比べる、しかなくなった。
って、また集まってもらうことになる…
 イコール、皆の時間を取ることに、申し訳なさを感じる。


 うーーむ、なかなか思い通りには行かない……


 


表現力

2010-01-09 22:33:00 | Weblog

●今、「二本の木」というテレビを見ていた。
 もっとも、気が弱いので、データの整理をしながら…

 夫婦の癌闘病の日記だった。
 聞いていて、いくつも思い当たることがあった。
 妻もあんなふうに思っていたのかなぁ… てな具合だ。
 手帳に少し書いた物が残っているが、今は整理する気にならない。
 私は、妻にたいして良い思いをさせられなかったなぁ…
と思いながら聞いていた。

 で、その当時思ったことをブログに書いたが、思い通りに書き綴ることはできなかった。
 せいぜい、その時の記録、程度にしかならない。
 テレビを見ていて、うまく気持ちを書き表せるって、とってもうらやましかった。
 思いをじょうずに表現できるって、うらやましい。

 妻に対して、後悔はしないよう、精一杯のことはしたつもりだけれど、いくらしても何かしら不満は残るものだ。


久しぶりのラッキー!!

2010-01-05 21:59:00 | Weblog

●今日は、ちょこっとだけ良いことがありました。
 マーケットで、レシートを持っていくと5千円毎に1回「ガラガラ抽選」ってのをやっています。
 先週は、正月だったので、思わず買いすぎて、12,429円にもなってしまいました。
 ので、2回 抽選にトライできます。
 で、1回目… なっ、なんと 店長賞。約200gの牛肉が当ってしまいました。
   2回目… これは、いつもの通り残念賞でした。ので、トイレットペーパー1個。


 今日の晩飯は、焼肉ぅぅ!
 と思ったけど、良く考えたら昨日も肉だったので、中止して、魚中心の鍋にしました。
 焼肉、いつしよっかな、なーーんて思って、にっこりでした。


2009-12-31 01:04:58 | Weblog

●正月が近くなってきたので、餅を作った。(ついたのではなく…)

●妻の友達?からの手紙
 思いがひしひしと伝わってきた。
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「神様に手紙を届けてほしい」


4歳になる娘が、字を教えてほしいと言ってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。

ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。

「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」

こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったと。

旦那は去年、交通事故で他界した。

字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・

受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。

「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」

最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。

娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
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県立病院

2009-12-28 21:58:07 | Weblog
●胃の調子が悪く、県立病院へ通っている。
 といっても、3ヵ月に一回の割合。 まだまだ、軽症?
 薬を飲んでいても、ちょくちょくみずおちの辺りが重くなる。
 どうも、気のせいかも… 実は、母と話をしているとだんだん不安になっていく。
  このままアルツハイマーが進んでいくと、そのうち一緒に生活できなくなる日が来る。
  そんな時、どうなるのか…
  母屋との地代の話はどうなっていくのか…
  その他、いろいろ……
 いっそ、ストレスケアにかかると良いのかな?、と先生に問いかけると、まぁ、気長に直していきましょうね。
 あれ、話がかみ合っていないょ、と思ったが、所詮そんな物だ、と割り切る。

 診察の後、妻が世話になっていた、緩和ケア病棟へ行ってみた。
 なぜか、県立病院へ来ると、行ってみたくなる。
 そこには、いつも小さなCDラジカセ?(CD+ラジオ)で、音楽を流している。
 妻を見に行っていた頃は、しばらく音楽を聞いてから病室へ行っていた。
 で、「もう少し、ふさわしい音楽は無いのかな」とかねがね思っていた。
 今回、CDを作って持っていった。
  今までにも、3回ほどCDを作って持っていった。
  本当かどうか分からないが、「楽しみに聞いている」、との事。
 感謝されながら、受け取ってもらえた。
 その看護士さんが、曲名を見て、「ジャンルが広いんですね。」といっていた。
  この辺は、ふさわしい音楽を集めただけで、ジャンルにはこだわっていない。
  音楽のジャンルって、私には必要が無い。
  聞いてみて、良い曲は良いんです。 まずい物はまずいんです。 絶対評価(という言葉があるのかどうか知らないが)して決めている。
  民謡にも、良い曲はある。
  童謡が全て良い曲ばかりとは限らない。
  このCDに入れた曲は、
   とにかく気持ちが治まらない、という時に何とかしようとして集めた曲だ。
   きっと、気持ちが極端に沈んだ時や、気が狂いそうになったときに聞くと、収まりやすい曲だと思っている。
   私は、結構、効果があった。
   妻が生きている時に聞かせてやりたかった…
   もっと、安心感が得られたろうに…

続 最近のいろいろ

2009-11-28 21:47:46 | Weblog

●この頃、ブログを書く気持ちの余裕が無くなってきている様な気がしている。
●11/20 金 篠田洋 ユーフォニアム リサイタル
  吹奏楽団から先月から案内があり、「行かなくっちゃ」と思っていたが、忘れてしまった。
  新聞の載っていたので思い出し、仕事終了と同時に家へ戻り、服を着替えて出かけた。

  篠田氏とは、もう20年くらい前だったか… 「福井でバリチューバ会をつくる」という事で、音大卒の楽団員から誘われて、一緒に活動した。
  その頃、一度で良いから篠田氏の音を聞きたくて参加した。 が、運営と指導が忙しくて、聞けなかった。
  初めて見る曲、20曲ほどを、試奏ということで必死に演奏したことがあった。
  1st で、何となく聴いたことがある曲が多かったこともあって、何とか止まらずに演奏しまくった。
  後で友達から「あまりに初見がきくので、篠田氏がびっくりしてた。」と言っていたが、私はたまたまだったので、そんなことを言われて、こちらがびっくりした。 という思い出がある。
  リサイタルの出来は、90点くらい? 私は素人なので、えらそうだけど…
  ちょっとバテ気味のようだった。 でも、ふくよかに包み込まれる音は感動もので、私には到底出せない。
  肺の一部を切除した、ということで、ばてるのが早かったのかもしれない。 健康な時の演奏を聴きたかった…
  演奏会の中身は、アットホームな感じがあり、和やかだった。

  演奏会へは一人で行った。
  話し相手も無く、一人 ボーっとしていたら、地区の大正琴の先生が前の列に入ってきた。
  「こんばんわ」等と挨拶の後、なんと同級生が来た。
  この女性も大正琴を弾いていて、先生と同じグループだったのだ。
  私が彼女の列に移って、ミニ同窓会みたいになってしまった。
  演奏会の休憩に、いろいろ話をしてみたら、私とよく似た感覚を持っているようで、話が尽きなかった。
  という事で、一人寂しい演奏会の想定が、楽しい演奏会になった。
  
●11/21 土 お墓のお性入れ
  お墓が完成したので、お経をもらった。
  参加者は、私の家族、弟、妻の両親。
  これで父と妻のお骨は納まった。 心のつっかえが一つ取れた。

  この日は雨模様で、お経をもらっているときに雨を心配したが、お経の時だけお目は降らなかった。
  お経が終わったとたん、雨が降り出して、ラッキーの気持ちだった。

  お参りの後、みんなで食事会。
  私は、安堵感で少し呑みすぎたような…
  しかも、食事の店の女将さんと、音楽の話で、妙に趣味が合う。 ますます呑んでしまった。
  一番充実した食事だったかもしれない……

●11/23 月 癒しCD 作成
  妻が無くなってから、ずっと心が落着かなかった。
  好きな音楽を聴いても落着かなかった。

  6月頃から、どんな曲が落着くか、あれこれ聞きまくった。
  と、私の友人のサイトに良い曲があった。 何度聞いても心が落着いた。
  それが、Amazing Grace という曲だった。
  次に、You Tube で Amazing Grace を検索してみると、次々と出てきた。
  いろいろ聞いてみた結果、Hayley Westenra が歌う Amazing Grace だった。
  飾りっけなしで、素直に歌うところが好きだ。 気持ちが良い。

  Hayley Westenra のサイトを見てみると、CD を出している。
  試聴できたので、一番気に入る歌い方をしている CD を探し出した。
  Crystal という初期の CD だった。
  早速購入。(ちなみに福井では定価でしか販売していないので、通信販売で購入。)
  一ヶ月、毎日、車に乗るたびに聞いていると、さすがにもうちょっと刺激的なものが欲しくなってきた。

  もう一度、You Tube を検索すると、Lascia Ch'io Pianga 、I Dreamed a Dream 、always lovin’you がお気に入り。
  さらに、FM放送で、TIME TO SAY GOODBYE が良い。
  ネットでソースを購入したり、録音したりで、とにかく曲を集めた。
  さて、どんな順番が、違和感無く、素直に聞けるか。
  ずーっと模索して、やっと気に入った CD を作った。

  今、この CD でずいぶん心が落着いている。

  そういえば、ラジオで、癌末期患者に対して、音楽療法をすると落着いて、良い末期を迎えることができる…  それに使う曲は、寂しい曲が最適だ、と言う内容を聞いた。

  たまたま、そういった内容と一致してしまった。
  今度、お世話になった病院へ持って行くつもりだ。

●11/28 土 家のリフォーム 完了
  99%完了。
  一部、不備があるだけ。
  修理を依頼してある。
  手配済み、と言うことだが、業者がまだ来ない。

  後は、支払だけだが、予定に対して、どれだけ足が出ているのか……

  それと、今までの不要物の整理をしなければならない。
  さらに、棚など、整理するための備品を購入しないといけない。
  お金もさることながら、時間の捻出がなかなか………


最近のいろいろ

2009-11-15 20:58:42 | Weblog

●先週木曜日に、いつもどおりに吹奏楽団に練習に行った。
 まだ、誰も居ない。(例のごとく行くのが早すぎた)
 さーーて、誰も居ないうちに練習すっか… の前にちと一服…(これが間違いの元??)
 見たことないような、あるような人がやってきた。
 でも、何だか目が輝いているような… 気のせいかな…
 一服を中断(あーーあ、煙草がおとましいな… と少し思ってしまった)
 話をしてみると…、なんと
「見学に来た」という事で、新入団員ではないか!!
 なんじゃかんじゃと話をして… といっても、私も3年のブランクの後の3ヶ月しかたっていないので、団の事情を知らない…  ので、世間話程度。
 よくよく話を聞いてみると、21歳の女性で、中学時代にブラスバンドに入っていた、とのこと。
 して、楽器は なんと ユーフォニアム!!
 内心、ユーホは足りている。20人程度の楽団にユーホが3人も居て、さらに増えて4人になる… はっきり言って、困った。
 合奏で、ピアノ(p)の音量はどうしよう… と
 後は、音程の問題… 4人ともなると、なかなか音の高さが合わない。
 さらに、吹き方の問題… ニュアンスがそろわなくなる。
 以上、適当に… ではすまなくなる。
 ということは、4人で合わせる必要が出てくる。
 でも、時間が取れない… (4人が揃わないといけないので)
 これは、非常に困った問題になってくる…
が、そんなことを言うわけにもいかない。
 その日は、文字通り見学だけ。

 土曜日。 臨時練習。
 相棒が楽器を貸す、ということで その楽器が来た。(ちなみに相棒は多忙のためお休み。もう一人の相棒もお休み。 なので、実質は私一人)
 楽器を吹いてもらったら……  ……、ウーーム!! 即戦力にはならない。
 とりあえず、超初心者のコース。 音階もおぼつかない。
 よーーく話を聞いたら、中学の時に3ヶ月だけユーホを吹いた、ということが判明。
 それって、0.001から始めることになる。
 息がつまっていて、音がこもっている。 この突破口は非常に難しい。 で、これを突破できなければ、やめるしかなくなる。
 のどを開け(ちょうどあくびをした状態る)、腹から速いスピードで息を出す…… から教えないといけない。
 指使いも忘れているようだ。 しかも、指使いを知らない半音もあるようだ。
 音程の補正などは、とぉーーい話だ。
 という事で、音階の練習をしてもらった。
 合奏の時は、譜面を見ながらマウスピースを口に当ててバズィング。 ついでに指使いもやる。
ので、楽器は不要。
 この子のモチベーションは維持できるのか…??
 私には自信がない。
 できる限りのことはするが……
 でも、一緒に合奏が出来るようになって欲しい。
 だって、仲間が増えるんだもの。 音楽の難しさがわかって、音楽を楽しむことが出来る人がまた増える。
 若さに期待したい……

●ネットを覗いていたら、夫婦の一言 のようなサイトがあった。
 「拍手」数がついている。
 一番数の多い物を見てみた。
 以下、その文面
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連れ子(娘)の結婚式

土曜日、一人娘の結婚式だったんさ。
当時俺25歳、嫁33歳、娘13歳。
まぁ、要するに嫁の連れ子だったんだけど。
娘も大きかったから、多少ギクシャクしながらも数年過ぎた。
子供はあえてつくらなかった。 収入の問題もあったけど、娘の気持ちを考えたら、子供は娘1人いればいいって事になった。
突然嫁が交通事故で逝った。 娘17の時。
突然2人きりになった&現実味がなくて二人して呆然。 これからどうしようと思った。
生活の面では収入も安定してたし、娘も家事の一通りは出来た。
何の問題もないはずだったけど、嫁側親戚が騒ぎ立てた。 そらそーか。
血の繋がらない29の男と17の女。
ある意味カップルでもおかしくない歳の差だもんな。
「あなたはまだ若いんだから」とか、「再婚するにも子供がいちゃ・・・しかも自分の子供じゃないのに・・・」 とか、散々言われた。
でも、俺は間違いなく娘は俺の娘だと思ってた。
何よりも、嫁のたった一人の忘れ形見だ。
俺が育てて行く以外の選択肢は全く頭になかった。
そんな親戚の騒ぎは右から左に流した。
娘も「今更こんな足の臭いオッサンとどーにかなるかw」と笑ってた。当たり前の様に言う娘の気持ちが嬉しかった。
やっぱり影であらぬ噂を立てられた事もあった。三者懇談や進路面談で学校に行くと、必ず教師に変な顔をされた。
部活で遅くなった娘を迎えに行って「お宅の生徒が援交をしている」と近隣住民から学校に通報された事もある。
それでも2人で暮らして来た。 再婚なんか考えた事もなかった。
それくらい娘には穏やかな、幸せな時間を与えてもらってた。
娘に話があると言われた。 「結婚したい人がいる。」と。
娘は25になってた。
俺が嫁と結婚したのと同じ歳。
正直複雑な心境だった。 次の日曜に相手の男に会った。
娘を見る目が優しかった。 こいつなら大丈夫だと思った。
安心した。 諦めもついた。(笑)
あっという間に披露宴だ。
『お母さんが亡くなった時、本当にどうしようかと思った。お父さんはまだ若かったから、私がいたら絶対に足枷になると思ってた。
だから、これからも一緒に暮らすのが当たり前みたいな態度でいてくれたのが本当に本当に嬉しかった。
私のお父さんは、お父さんだけです。 今まで本当にありがとう。
お母さんが亡くなってからも、今までずっと幸せな子のままでいられたのはお父さんがお父さんだったからです。』
娘がしゃくりあげながら読む花嫁からの手紙を聞いてたら、バージンロード一緒に歩いてた時点で必死で堪えてた涙がどっと溢れた。
娘が出て行く前に、箪笥の引き出し一つ一つに「ぱんつ」「しゃつ」「とれーなー」「くつした」とか書いた紙をはっつけていった。
そこまで俺自分で何も出来ない父親かよwww
しかも平仮名www
近いうち娘に良く似た孫とか出来ちゃうんだろうな。そんで「俺まだじーちゃんとかいう歳じゃねーし」とか言っちゃうんだろうな。
俺、間違ってなかった。 大変だったけど、父親って立場、選んでよかった。
嫁と結婚して良かった。 娘の父親になって良かった。
1人になって部屋は何か広くなっちゃったけど。 微妙な抜け殻感は否めないけど。
今度はいつか生まれて来る孫の為に頑張ってみようかな。
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 と、だいぶ長いが…
 読んでいて、涙が流れた。止まらなかった。
 父や妻の葬式の時には流れなかった涙が…
 いつも後ろしか見ていなかったような気がしている。
 いや、将来の不安のほうが大きいか…
 あれ!、なんか矛盾している。
 今の気持ち…… 自分でも分からない…… どちらも本音。

 でも、文面のような生き方が出来たら、最高だ!!と思う。
 少しでも、近づきたい……


喪中のはがき

2009-10-28 23:46:30 | Weblog

●喪中のはがきを作成している。
 昨年、父の喪中を出したが、この時は印刷屋さんに任せた。
 が、今年は、自分で作らなければならない。
 昨年のデザインと同じにする。
 名前と年齢を変えるだけ…

 何だか…、思い出す…
 が、なぜか泣けない…

 今日も寝不足か…