2010年10月11日(月)
SL騒動(?)を後にして、再び石州街道の続きを歩き始める。長門峡駅前から右折して、国道9号に出て150mばかり先に、国道から離れて右へ入る小径があり、これを往く。阿武川踏切を渡ってから暫くは、左手に阿武川上流を眺めながらの、のんびりした田舎道だ。
その先の久保田踏切を渡ると国号9号に合流し、歩道が無く危険な国道がやがて右にカーブしてJRを越える辺りに、右手に降りる小径があるのでこれを往く。一部は既に道の形を失っているが、すぐ先に築地踏切が見えてくるので、これを渡って往くと再び左手に阿武川が現れる。
左手前方に渡川駅が見えてくるので、渡川橋を渡る。そう言えば、ここまではずっと阿武川を左に見て来たが、この橋を渡ってから先はずっと阿武川を右に見ることになるのが、地図でも分かる。「渡川」の意味はそういうことか…。
渡川橋を渡ったすぐのたもとには、橋の安全を祈願した延命地蔵と繰舟永代録とが建っていた(写真上)。
渡川駅の横を通過して県道311号に突き当たり、これを右折してしばらくは県道を往く。左にJRの線路、右手に阿武川を眺めながら、中国電力の長門峡発電所を過ぎ、車も時折にしか通らない長閑な道を往くと、やがて三谷駅が左に見えてくる(写真中)。…が、駅名の看板も何も無いので、ホーム上の駅名表示を覗くまではここが三谷駅とは分からない仕掛けだ。
この先の幾つかの駅も同様で、初めて通りかかった人にとっては全く不親切極まりないこったぁ。
高の巣踏切でJRの線路を横断し、山代街道との合流点のすぐ先左手に諏訪神社がある(写真下)。こじんまりとした社だが、本殿内の壁には、百人一首をしたためたような歌と綺麗な絵の入った額が沢山掲げてあった。このような田舎でも、歌心や絵心のある人達が昔は居たのだろうかネ。
その2へ続く
SL騒動(?)を後にして、再び石州街道の続きを歩き始める。長門峡駅前から右折して、国道9号に出て150mばかり先に、国道から離れて右へ入る小径があり、これを往く。阿武川踏切を渡ってから暫くは、左手に阿武川上流を眺めながらの、のんびりした田舎道だ。
その先の久保田踏切を渡ると国号9号に合流し、歩道が無く危険な国道がやがて右にカーブしてJRを越える辺りに、右手に降りる小径があるのでこれを往く。一部は既に道の形を失っているが、すぐ先に築地踏切が見えてくるので、これを渡って往くと再び左手に阿武川が現れる。
左手前方に渡川駅が見えてくるので、渡川橋を渡る。そう言えば、ここまではずっと阿武川を左に見て来たが、この橋を渡ってから先はずっと阿武川を右に見ることになるのが、地図でも分かる。「渡川」の意味はそういうことか…。
渡川橋を渡ったすぐのたもとには、橋の安全を祈願した延命地蔵と繰舟永代録とが建っていた(写真上)。
渡川駅の横を通過して県道311号に突き当たり、これを右折してしばらくは県道を往く。左にJRの線路、右手に阿武川を眺めながら、中国電力の長門峡発電所を過ぎ、車も時折にしか通らない長閑な道を往くと、やがて三谷駅が左に見えてくる(写真中)。…が、駅名の看板も何も無いので、ホーム上の駅名表示を覗くまではここが三谷駅とは分からない仕掛けだ。
この先の幾つかの駅も同様で、初めて通りかかった人にとっては全く不親切極まりないこったぁ。
高の巣踏切でJRの線路を横断し、山代街道との合流点のすぐ先左手に諏訪神社がある(写真下)。こじんまりとした社だが、本殿内の壁には、百人一首をしたためたような歌と綺麗な絵の入った額が沢山掲げてあった。このような田舎でも、歌心や絵心のある人達が昔は居たのだろうかネ。
その2へ続く
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