あしあと

愛悠館動物慰霊センター12年の歩み。趣味のマラソン、俳句のことや愛犬花ちゃんのこと。好きな小説や映画の話し。

ドキュメント膵臓癌60~知恵袋2

2011-03-20 04:21:02 | Weblog
3/19(土曜日)
昨日の知恵袋の回答では、放射線治療はあくまでも腰椎に転移した癌の進行を抑え、痛みを取り除くものであり、他の部位へ転移した癌の進行を食い止めることはできないと言う内容で、少なからず落ち込んでしまった。
しかし、抗癌剤治療に救いの道はないものかと、さらに質問を投げかけてみた。
すると今日、同じ回答者から下記のような回答が寄せられて来て、そこに微かな光明を見い出すことができたような気がした。

3/17(木曜日)
<質問>
腰椎への転移癌の質問に、回答を頂きありがとうございました。病院で、取り敢えず飲み薬だけでも抗癌剤治療を始めるよう勧められています。放射線治療と抗癌剤治療を並行して行ってもよろしいんでしょうか。
3/18(金曜日)
<回答>
docterhawkさん
切除不能膵癌に対する治療の一つとして5-FUを併用した
化学放射線療法があります。放射線治療に化学療法を加
えることで治療成績が向上することが示されています。ただ
現在は化学療法の成績が向上したため、Gemcitabine単剤
による化学療法が標準治療です。

前回回答したように、腰椎転移に対する放射線治療は症状
緩和が目的であって、疾患の治癒を狙ったものではありま
せん。腰椎への放射線治療に化学療法を同時併用すること
で制御期間の延長などが得られる可能性はありますが、臨
床試験でそれを証明した報告はないため、実験的治療と言わざるを得ません。

腰椎転移の症状が出ていないなら、TS-1などの内服抗癌剤で
まず全身化学療法を行うことは妥当な選択です。ただ、全身状
態が悪くないなら、Gemcitabineを用いるのが標準です。
Gemcitabine+TS-1という併用療法が現在試みられており、もし
かしたらGemcitabineの併用を見越してTS-1を進めているのかも
しれません。きちんと計画された臨床試験なら乗ってみるのもよいと思います。

従って回答としては、
・腰痛などの症状がないならまずは化学療法のみ始めるべき。
症状が出てきたら放射線療法を単独で行う。
・既に腰痛などの症状が出ているなら、放射線治療単独で治
療を行うべき。放射線治療終了後は化学療法単独で治療を進める。
・化学療法単独のRegimenはGemcitabine>5-FU, S-1。
となります。

16:00頃、四女が彼氏を連れて来たる。ベッドに寝たままの初対面となってしまったが、なかなかの好青年で少しほっとする。

夕方、妻と次女夫婦が、DVDブレーヤーを買って来てくれる。

今日は一日中安静にしていたせいか、殆ど痛みを感じることもなく過ごせた。幸せだ。

ドキュメント膵臓癌59~知恵袋

2011-03-19 02:15:16 | Weblog
レスキューの力を借りずに、5:00まで熟睡。
今日から、オキシコンチンが一回二錠から三錠(1錠5mg)、つまり一日30mgに増量し、そのかわりにレスキューの服用は止めることになる。

鮭と白菜の漬物で朝食を済ませる。

先日、Yahooの知恵袋に投稿しておいたら、今朝下記の通りの回答があったので転載する。

<Yahoo知恵袋>
[質問]
膵臓から腰椎に転移した癌に、放射線治療は有効でしょうか。
また、放射線治療とは具体的にどの様な治療を、どの位の期間行うのでしょうか。
お教え下さい。
[回答者=docterhawkさん]


腫瘍内科医です。
転移性骨腫瘍に対する放射線治療は日常診療として行われます。目的は除痛と病的骨折の防止です。
あくまで症状を緩和するための治療であって、癌を治す治療ではありません。脊椎に転移している時点で癌は全身に広がっており、手術・放射線治療などの局所治療では根治できません。抗癌剤(化学療法)も根治させる事は不可能で、腫瘍の増大を抑えることで症状の緩和を何
とか期待できるというレベルです。
従って、痛みがなく神経症状もない場合に放射線治療を行う事は稀です。放射線治療は一度しか行えないので、治療によって痛みが取れるというメリットが期待できるシチュエーションで行うのが一般的です。
施設によって異なりますが、脊椎の場合1回3Gy、週5日10回/2wというのが私の施設の標準的照射法です。

この回答から判断すると、放射線治療で痛みを軽減したあと、出来るだけ早い時期に、抗癌剤治療を開始しなければならないと言うことになる。
しかも、抗癌剤治療が最善の効果を発揮したとしても、全身に転移している可能性がある癌を、完全に押さえ込むことは不可能である。
詰まりは自分自身が末期癌患者であることを、自覚する時が来たと言うことである。
日常生活を送れるまでに回復するのか、あと何年それを続けることができるのか、今後の治療に全てを託して待つほかないのであろう。

昼食前、痛みを殆ど感じなくなったので、看護婦の助けを借りて起き上がり、コルセットを着けたあと立ち上がってみた。
薬のせいで少し頭がふらついたが、看護婦に抱えられるようにしながら、廊下を少し歩いてみた。昼食も椅子に座って摂り、歯磨きも洗面所に行って済ませた。
四日ぶり二足歩行ができた嬉しさのあまり、看護婦に写真を撮ってもらい、家族全員にメールを送る。

しかし、しかし、暫くうとうととしかけた頃、激しい痛みがぶり返して来て、結局は夕食は取れずに眠る羽目になってしまった。
それでも22日の市大病院の受診は、なんとか粉せる目処が立ったと思えば、良しとしなければ思う。

ドキュメント膵臓癌58~排便

2011-03-18 06:10:34 | Weblog
3/18(木曜日)
4:00頃疼痛あり。レスキュー服用。7:00頃、再度服用。
痛みが引いた頃、朝食が来る。
完食。

主治医より大阪市立大学付属病院の診察日が、3/22(火曜日)に決定したことを告げられる。

13:00 新しい鎮痛剤の点滴を打つ為、歯の検査をする。

四女が、炒飯とわかめスープを作って来てくれる。完食。
食後、少しマッサージをして貰う。
妻も色々なご飯グッズを持って来る。
便秘が四日間続いているので、少しむかつきがある。

夕方、グルグルっと便意があり、二度も排便。軟便。
お腹がすっきりとする。
ベッドに横たわったまま、看護師に便を採って貰うことにも、すっかり慣れてしまった。

お腹がすっきりしたのに、夕飯はあまり進まず、粥を2/3と妻が持ってきた鰆の塩焼きを半切れ、釘煮、白菜の漬物をようやく食べ切る。

今日から、新しい鎮痛剤の点滴が始まる。

ドキュメント膵臓癌57~平穏な一日

2011-03-16 21:47:26 | Weblog
3/16(水曜日)
あれだけ多種多様な鎮痛剤を飲んだ所為か、朝までぐっすりと眠る。
11:00頃、妻が来る。
夕べの地震の所為もあってか、かなりやつれて見える。
暫くして、生駒から義姉が二人揃って来る。
お見舞に持って来てくれた苺大福を、早速にぱくつく。
妻が持って来てくれためばるの煮付けをおかずに、昼食を平らげる。

義姉らの帰り際に、長女と四女が来る。
主治医の紹介状を持って、長女らに大阪市立大学付属病院に行って貰う予定であったが、病院から直接郵送されたそうで、わざわざ行く必要がなくなった。
時間ができたので、娘たちが二人掛かりで丹念に体を拭いて、痛みを感じることもなく着替を終える。
三人で苺大福を食べながら、ひと時談笑する。

夕食も釘煮と漬物で、大振りの茶碗一杯の粥を完食。
デザートに干し柿とBIOを食べる。

あくまでも鎮痛剤が効いてあるだけのことで、病状が決して良くなっているわけでもないのだが、痛みが和らぐと言うことは、心まで明るく安らいで来る。
今日は久々に、平穏な一日を過ごすことができた。

ドキュメント膵臓癌56~増えていく鎮痛剤

2011-03-16 09:43:39 | Weblog
3/15(火曜日)
再入院して初めての朝を迎える。夜中に何度か目が覚めたが、睡眠は十分に足りている。
8:00過ぎにオキシコンチンを服用するも、じっとしていても疼くような痛みがある。
山口医師の指示で更に別の鎮痛剤を服用し、やっと痛みから開放される。
朝食のロールパン2個、牛乳1パック、少量の缶詰のみかんとバナナのデザートを、一時間位かけてやっと完食。
放射線治療を控えて、食べることが今や使命であるから、たとえどんなに不味くとも、出されたものは残さず食べようと思う。

痛みが日に日に強くなっていく。
ハイペン、オキシコンチンを一日二回、それらに加えレスキューと呼ばれる即効性のある鎮痛剤が新たに追加された。
痛みが増していくに従い、薬の種類や量をどんどんと増やしていくことになるらしい。
兎も角今は、放射線治療に全てを託すほかないのであろう。

再入院する時点では、鎮痛剤の処置をしてもらって三日ほどで退院、自宅から放射線治療を受ける大阪市立大学付属病院に通院するつもりであったが、この分ではそれはとても無理である。
多根病院から大阪市立大学付属病院まで、送迎のサービスがあるらしく、車椅子や最悪ストレッチャーでも可能らしい。
大阪市立大学付属病院に入院して治療を受けられれば申し分ないので、明日主治医に願い出てみる。

昼食は粥、卵豆腐半切れ、玉葱の味噌汁、それになんの味付けもしていないキャベツとほうれん草の温野菜。
これも一時間ほどかけて、ようやく完食。

夕方、四女がK女史の手作りカレーを持って来てくれる。
体を拭いて着替えもして、夕食を一緒に食べようと楽しみにしていたが、激しい痛みのため断念する。

四女を帰したあと、レスキューを飲みしばらく眠る。

20:00過ぎ、ベッドを少し起こして、なんとか一人でカレーライスを1/3ほど食べる。

夜、末梢神経の痛みに効果がある、リリカと言う薬が追加される。

ドキュメント膵臓癌55~再入院

2011-03-15 08:34:21 | Weblog
3/14(月曜日)
無理が祟ったのか、朝から激痛で動けなくなってしまった。
鎮痛剤を多めに飲むも効果なく、妻から主治医の山口医師に電話で、緊急入院の許可を得て、止む無く119に緊急搬送を要請する。
生まれて初めて、救急車で運ばれる。
狭くて安定の悪いストレッチャーに寝かされて、どこをどう走っているのか分からないまま運ばれて行くのは、結構ストレスを感じるものである。30分程で病院に到着。

直ぐに山口医師の問診のあと、痛み止めの点滴を受けながら、血液検査、レントゲン、CT検査を受ける。

ベッドから担架、担架から病院のストレッチャー、さらにレントゲン台とCTの検査台への乗り降り、そして最後に病室のベッドへ移される間、計8回激痛に叫び声を上げる。

救急外来の診察室でしばらく待ったあと妻とともに、山口医師から検査結果と今後の治療方針について説明を受ける。

結果は、前回のレントゲン、CTと比べて特に変化は無く、新たな損傷は見当たらないとのこと。
治療方針は先ず麻薬系鎮痛剤オキシコンチンを一日二錠服用して痛みを押さえ込み、16日(水曜日)に紹介状とデータをもらい、大阪市立大学で放射線治療を受けることとなる。
この放射線治療の効果に、全てを託したい。

急な入院で一般病棟にはベッドに空きがなく、12階の緩和治療の病室に入る。
四人部屋とはいえ旧館とは比較にならない位、ゆったりとして設備も整っている。
まさかこんなにも早くここに入るとは思ってもみなかったが、一日も早く、放射線治療を受けることができるよう、只管耐えなければならない。

ドキュメント膵臓癌54~不気味な痛み

2011-03-14 20:01:05 | Weblog
3/13(日曜日)
体温/36°2
血圧/127-72  心拍数/62
体重/52.4体脂肪率/14.7%
内臓脂肪率/7%
6:00計測

ウォーキング 1km
スクヮット25×3=75回
河川敷の階段25段昇降
ベッドでへそ覗き腹筋15秒×3
ストレッチなどを行う

朝出勤した妻から「コンピューターが動かへん。」と言う電話があり、慌てて会社へ駆けつける。
やっと無事起動させて、昨日やり残した仕事も片付けて帰る。

午後から長女と長男が、手作りのミートソースとケーキを持って来てくれる。

頑張り過ぎたのか、時折激痛が走る。

10:00時就寝。

ドキュメント膵臓癌53~出社

2011-03-13 09:45:00 | Weblog
3/12(土曜日)
体温/36°4
血圧/128-72  心拍数/63
体重/52.5 体脂肪率/15%
内臓脂肪率/7%
6:00計測

1kmのコースを1周ウオーキング、途中公園でスクヮットを25×2=50回。
河川敷の階段25段昇降。
ベッドでへそ覗き腹筋15秒×3、ストレッチなどを行う。

10:00 ヘルパー来る。
本日より布団干しや掃除などの生活支援を受ける。
つい二ヶ月程前までは、介護保険料を払う度に、「介護なんか受けるはずもないのに、馬鹿らしい。」と思っていた人間が、今はその制度に助けられている。

昼前、退院以来初めて出社して、どうしてもやっておかなければならない仕事を片付ける。
コンビニでパスタを買って来てもらい、なんとか完食。

夕食はオムライス。不思議なことに洋食の方が喉を通り易い。

疲れたので、20:00過ぎ就寝。

ドキュメント膵臓癌52~地震

2011-03-12 09:05:59 | Weblog
3/11(金曜日)
体温/36°2
血圧/114-65  心拍数/56
体重/52.4kg
体脂肪率/14.8% 内臓脂肪率/7%

自宅マンションの1Fにある鍼灸院で、針治療を受ける。
若い女性の鍼灸師だが腕が良く、以前はランニングのケアーのためによく通い、その効果は実感している。
医師は針治療については否定的であるが、痛みの緩和に効果があることを、私は少なからず期待している。

12:00整形外科の外来診察。
流石に三日連続の通院は、今の私には応える。
各科の立場があるのかも知れないが、まるでお役所のような縦社会である。
私が院長なら、もっと患者本位のシステムを取り入れるのだが。

帰宅して倒れこむように眠る。
妻が帰って来て着替えをしようとした時、かなり強い地震を感じる。
健常者にとっても地震は大きな脅威であるが、疾病や障害を抱えるものにとっては、その恐怖感がさらに増幅されることを実感した。

テレビを見て、地震の規模とその被害の大きさに某然とする。

ドキュメント膵臓癌51~残された道

2011-03-11 08:53:32 | Weblog
3/10(木曜日)
体温/36°2
血圧/114-65  心拍数/56
体重/52.4kg
体脂肪率/145.4%  
内臓脂肪率/7%
6:00計測

10:00、堺介護センターの中西氏、ダスキンレントオールの川北氏来る。介護計画について話し合う。

11:00、妻と2人で多根病院へ向かう。
病院で次女も合流し、主治医から今までの詳しい経過とMRI検査、RI検査の所見、今後の治療方法について懇切な説明を受ける。
昨日私が受けた説明をより具体的に聞かされて、妻も次女も十分に理解し納得する。
なるべく早い時期に抗癌剤治療を開始することをお願いし、3/23(水曜日)の外来診察の際に諸検査を行った上、具体的な治療日程が決定される。
取り敢えず今、自分自身がやらなければならないことは、しっかりと食事を摂って体力をつけることである。

三人で、新装なった高島屋のレストラン街にある「福寿司」で昼食を摂る。
寿司八貫と玉あかを平らげる。

昨日主治医の口から転移を知らされた時には、僅かに残っていた復帰への道が絶たれ、また元の奈落の底へ引きずり戻されたような、暗澹たる気持ちになってしまった。
満身創痍になり、既に戦うことの出来ない身体になってしまったことを思い知らされ、武器を置き甲冑を脱ぎ捨てて、家族の温もりに身を委ね、残された時間を只生きることだけを考え始めた今、不思議な安らぎが芽生え始めている。