あしあと

愛悠館動物慰霊センター12年の歩み。趣味のマラソン、俳句のことや愛犬花ちゃんのこと。好きな小説や映画の話し。

ドキュメント膵臓癌70~放射線治療4回目

2011-03-30 23:47:59 | Weblog
3/30(水曜日)
腹時計で目が覚め、りんご一切れ、苺三個、牛乳一杯を摂り、用意を済ませる。
定刻に病院を出発。
エレベーターで旧館でお世話になった看護士のH君と会う。

放射線治療に毎日のように付き添ってくれている四女が、来月から念願の看護学校に通い始める。
周りの家族から、「絶対に落ちる。」とか、「もし通っても、おっちょこちょいいから医療過誤を犯す。」とか、散々言われながらもどうやら自分の意思を貫いたようである。
私の看病の為にこの病院に度々来るようになり、全く別の立場から医療現場を見ることにより、色々と感じていることがある様子である。
私も重篤な癌患者という立場からの率直な感想を話して聞かせることがあり、それによって自分が目指すべき看護師像というものを朧げながら掴み始めた様子である。
立派な看護師になる為には、豊富な知識と正確な技術をしっかりと身につけなければならないが、患者と一対一の人間として向かい合える、人間力を養うことが最も重要な課題であるということを常々言い聞かせている。
娘もどうやら同じような考え方に近づきつつあったようで、そのことを今は何よりも嬉しく思っている。

病院に帰ったあと、矢張り車酔いが酷く終日ダウン。

<今日の一句>
「大人ぶり眼鏡摘まんで一年生」

<本日のDVD>
「ミスティック・リバー/MYSTIC RIVER」
製作年:2003年製作国:アメリカ

監督:クリント・イーストウッド
製作:クリント・イーストウッド、ジュディ・ホイト、ロバート・ローレンツ
脚本:ブライアン・ヘルゲランド
原作:デニス・ルへイン、デニス・ルヘイン
撮影:トム・スターン
音楽:クリント・イーストウッド
出演:ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコン

事件の糸口は意外なところから始まり、25年後に意外な展開をみせ、そして意外な結末を迎える。
緊張感のあるサスペンス。

ドキュメント膵臓癌69~放射線治療3回目

2011-03-30 03:16:19 | Weblog
3/29(火曜日)
何日ぶりだろうか、小腹が減って6時過ぎに目が覚め、昨日買ってあったドーナツ半分とカフェラテ、りんご一切れを食べ、歯磨き、髭剃り、お薬と朝の一連の作業を早々に終える。

10:30、第三回目の放射線治療を終えて帰ると、矢張りひどいむかつきを覚える。
今日で市大付属病院への通院は四回目になるが、いつも同じ症状が出る。
放射線治療の副作用かな思っていたが、どうやら車酔いらしい。
出発前にレスキューを注入するのも、車酔いを助長しているようである。

2時過ぎ、風呂からでた途端に嘔吐し、不快感がなくなった所為か二時間程熟睡する。

長男来る。

嘔吐感治まるも夕食は摂れず、牛乳一杯で済ませる。
20:30座薬注入。

<今日の一句>
花未き鉄橋過ぎる環状線

<本日のDVD>
「ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い/原題:IO, DON GIOVANNI」(制作国イタリア)
出演・ロレンツォ・バルドゥッチ、リノ・グアンチャーレ、エミリア・ヴェルジネッリ

オペラの名作「ドン・ジョバンニ」誕生の経緯を、ドラマチックに描いたシリアスな音楽映画。
名画と名曲を同時に楽しめる作品。

ドキュメント膵臓癌68~第二回目の放射線治療

2011-03-29 05:39:28 | Weblog
3/28(月曜日)
起き抜けに牛乳とバナナ半分食し、歯磨き、髭剃りを済ます。

院長回診あり。

仕事の指示を二、三メールで送り、「ONE PIECE-7」を読んで市大付属病院への出発時間を待つ。
座薬を注入、10:20過ぎに出発し40分程で到着し、四女と落ち合う。
待ち時間を入れて約30分で治療、診察を終える。
四女と別れて帰院、昼過ぎに到着。

暫く横になるが気分が悪くむかつく。薬を飲んで少し楽になる、

夕方、妻と三女が孫を連れて来たる。
デイルームに行くも腰が痛く、直ぐにベッドに戻り座薬を注入。

矢張り治療を受けた直後はダメージがあり、QOLが多少下がるようである。

胃の嘔吐感、食欲不振を改善するために、担当医と看護師がチームを組み、今までの経過や症状を再検討して原因を推測して新たに薬が処方された。
早速飲んでみたが薬の量もうんと減って飲み易くなり、暫くすると症状も良くなった。
スタッフの献身的な努力に感謝する。

<今日の一句>
春麗運河に舫う作業船

<本日のお休みDVD>
「トラフィック/TRAFFIC」(2000年アメリカ)
マイケル・ダグラス  キャサリン・ゼダ・ジョーンズ  ベニチオ・デル・トロ他

ドキュメント膵臓癌67~デイルーム

2011-03-28 00:14:09 | Weblog
3/27(日曜日)朝、デイルームに行って、牛乳、パイナップルの角切りを少々を食べる。
俳句を作って投稿す。

昼前に次男夫婦、K女史来たりデイルームへ。
三人が昼食に行ったあと、少し横になる。
再びデイルームに出かけ、三人が買ってきたマクドのアイスを
少し食べる。

入れ替わりに長女、長男が揃って来る。

17:00、座薬を注入、一眠りする。
相変わらず嘔吐感があって、食事は殆ど喉を通らないが、幻覚や激しい腰痛が無く一日を過ごせたことに感謝!

DVD「奇跡のロングショット/THE LONG SHOT」(2008米国)を見て眠る。

ドキュメント膵臓癌66~平穏な一日

2011-03-27 06:12:14 | Weblog
3/26(土曜日)
午前中、浣腸をして漸く排便、今回は大事に至らずに済む。
昼頃長男来たり、入浴。

筆の書き味を楽しめるアプリ「ZEN BRUSH」を購入しDL。
般若心経を写経したり、花ちゃんの似顔絵を書いたりして時を過ごす。

夕方、入学式を控えた孫の陽奈子、妻、次女夫婦来たり、デイルームに行くも直ぐに疲れる。

夜はデンゼルの「ペリカン文書」を一気に見る。

相変わらず食欲は全くないが、痛み、幻覚もなく、言わば平穏な一日を過ごす。

ドキュメント膵臓癌65~放射線治療開始!

2011-03-26 05:56:45 | Weblog
3/25(金曜日)
今日からいよいよ放射線治療が始まる。
10:30に多根総合病院を出発、1時過ぎに市大付属病院到し、前回と同様先ず検査室に入ってCT検査台でマーカーの位置を再確認した上で、照射用マーカーを仕上げていく。
暫く待ったあといよいよ治療室に運ばれ、治療台の上に移って放射線の照射を受ける。
痛くも痒くもなく、約10分程で治療が終わる。
朝から微熱と吐き気、それに加えて幻覚があったが、多根総合病院に帰った途端、一度に吐いてしまった。
その後も吐き気、幻覚、腰痛の三重苦にどうにもならなくなり、アイスノンで頭部を冷やし暫らく横になる。
主治医に症状を詳しく伝え、副作用の根源であるオキシコンチンの見直しと点滴の増量をお願いする。
その結果、オキシコンチンに変わる鎮痛剤としてデュロテップパッチと、レスキューの座薬を処方され、栄養補給の点滴も大幅に増量される。
20:00頃座薬を注入、23:00頃、幻覚が治まるも、吐き気だけはとうとう治らない。
DVD「L.A.confidential」の続きを見たあと、やっと思考力が戻って来たようなので、ブログを書き終えて眠る。

ドキュメント膵臓癌64~オキシコンチン

2011-03-25 01:38:05 | Weblog
3/24(木曜日)
昨日、今日と痛みのコントロールが効かず、ブログの更新も手が付けられない。
昨夜からオキシコンチンが、一日30mgから50mgに増量され、それに伴いレスキューも一回一袋から二袋になった。
当然副作用も大きくなり、猛烈な睡魔に襲われ思考力が低下し、幻覚も見え始める。
これ以上増量することは絶対に避けたく、明日から始まる放射線治療の効果にすがるような思いで期待している。

夕方、十日振りほどに浴槽に浸かる。

ドキュメント膵臓癌63~大阪市立大学付属病院

2011-03-23 06:47:31 | Weblog
3/22(火曜日)
放射線治療の予備検査のため、ストレッチャーで病院の搬送車に乗り込み、10:30に多根総合病院を出発して大阪市立大学付属病院へ向かう。
四女が付き添って、すべて対応してくれた。
医師から治療の内容や副作用についての説明を受け、一時間余りベッドに横たわり、CT検査を待つ。
CTで放射線を照射する正確な位置を決め、身体にマーカーで十字の印を付ける。
治療の開始が3/25(金曜日)に決定する。
治療時間は約10分、治療回数は10回で終了が4/8(金曜日)の予定となる。
15:00前に多根総合病院に帰り着く。

昨夜あれだけ便が出たのに、相変わらずというか、一層食欲がない。

長女、K女史来たる。

ドキュメント膵臓癌62~フン闘記

2011-03-22 09:03:29 | Weblog
今朝は10時間近く熟睡して、7時頃目覚める。
疼痛あり、レスキューを飲む。

ブログ「あしあと」を開くと、「花冠」同人で千葉在住のAさんから、激励のコメントが入っている。
先日の大地震で、少なからず被害を受けられたにも拘らず、逆にお見舞いを頂いてしまった。

二時頃長男来たる。薬の副作用に便秘が重なり全く食欲がないので、マクドでハンバーガーとカフェオレ、それにハーゲンダッツのアイスクリームを買って来てもらったが、結局アイスだけしか喉を通らなかった。

夕方、まるで宅配便のように、DVDやら本やらを持って、妻が来てくれる。

妻が帰ったあと早速、「THE LONGEST DAY~史上最大の作戦」を見る。
1962年にアカデミー賞撮影賞/特殊効果賞を取った作品で、英・米・独・仏四ヶ国のスタッフと、ジョン・ウェイン、ロバート・ミッチャム、リチャード・バートンなど48名の当時の大スターを集結すると言う、今では考えられないスケールで作られた作品である。第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦、いわゆるDデイを描いたもので、「プライベート・ライアン」の冒頭シーンはこの映画を下敷きに作られたものであろうと思われる。

半分見終わったところで、妻の持って来た寿司を六貫食べる。
不思議なことに、寿司だけはなんとか食べることができる。
しかし、一緒にリクエストしたキリン・フリーは、残念ながら苦くて飲めなかった。

食後、「徳川家康」の第一巻を読み始める。もし今回26巻を読破できれば、六度目と言うことになる。

木曜日以来四日間便秘が続いているので、明日の市大付属病院の受診のことを考えて、車椅子でトイレに行ってみる。
何回か息んであと少しというところまで来て止まってしまい、それからは妊婦のように、深呼吸をしては息み、深呼吸をしては息みを繰り返すもまるで"石"でも詰まっているかのように動かない。
腰痛の方も気になるの、取り敢えずでナースコールを押す。
看護師から、その状態であれば浣腸が有効かも知れないと言われ、試みてみる。
しかし、便意は激しくなるものの、尚も頑として"石"は動かない。
そうこうするうちに、息は乱れ吐き気を催し脂汗まで出始め、腰も痛くなり出す始末。
ギブアップして一旦ベッドに戻り、便器を当ててもらうも出るわけもなく、おむつをして様子をみるが、ますます状態が悪くなる一方である。
最後の手段として、便を軟化させる薬を飲み、入り口を塞いでいる"石"は指で掻き出すという荒療治をすることになる。
横向きに寝て、看護師に見を委ねる。
指を差し込みぐりぐりと、"石"を砕いて掻き出しているのが分かる。しばらく苦痛に耐えて見てみると、いくつかの"石ころ"が掻き出されていた。
それからすぐにトイレに行きしばらく息むと、突然猛烈な便意が襲って来て下腹部に激痛が走り、思わず両側のパイプを握って腰を浮かせる。
すると、劇画風に言えば「ずっこ~んっ!という感じで便が出た。
立ち上がって見てみると、象の糞とも思えるほどの巨大便が、便器の底に沈んでいた。
一度に脂汗も引き、目の前の霧が晴れて、地獄から天国に戻されたような気持ちになる。
そのままシャワー室に行って下半身を洗ってもらいながら、思わず看護士の肩を叩いて「助けてくれてありがとう!命の恩人やっ!」と叫んでしまった。
薬剤の副作用の恐ろしさ、便秘の恐ろしさを初めて思い知らされた。

ドキュメント膵臓癌61~慰霊祭

2011-03-21 05:34:44 | Weblog
今日は午後から愛悠館動物慰霊センターで月例慰霊祭が行われる予定で、二ヶ月ぶりに参加者の皆さんとも顔を合わせるつもりでいたが、残念ながら今回は諦めざるを得なくなってしまった。
妻と長男と三女、それに店長が力を合わせて、慰霊祭を無事滞りなく勤めてくれることであろう。

俳誌「花冠」の同人の先輩からブログに激励のコメントをいただいたので、二十日ぶりに三句詠んで投稿する。
正岡子規のように、病苦に喘ぎながら俳句を詠み続けるということは、凡人にはそうそうできるものではない。

14:00、看護士の介助で車椅子に乗り、約1週間ぶりにシャワーを浴びる。
浴室の鏡に映った、自分の姿を見てぞっとする。
ナースセンターの体重計で計ってみると、やはりまた1kgほど減っていた。

夕方、慰霊祭が無事に終わり、会食している旨のメールが届く。
その席に私がいないことが淋しいと、一言認められてあるが、その淋しさやもどかしさ は私とて同じである。

その淋しさを慰めるように、7時頃長女と次女来たる。
手作りのオムライスを三人で食べ、缶コーヒーを飲んで9時近くまで談笑する。