癌と闘ったという意識が希薄なため、敢えて「闘病記」とせずに病状の記録に止めました。
2003年1月9日
軽い頻尿と排尿困難を覚え泌尿器科専門の開業医で受診。前立腺肥大と診断、念のために血液検査を受ける。
2003年1月16日
PSA数値14.8
2003年4月16日
再検査。PSA数値15.6。癌の疑いがあるため、生体検査を勧められる。
2003年5月19日
多根総合病院で針生検の結果、初期の前立腺癌の診断が下る。
「青葉風胸に落ちゆく癌告知」
手術を勧められるも諸般の事情がありホルモン療法(注射と投薬で脳下垂体と副腎からの男性ホルモンの分泌を100%抑制)で先延ばしすることを選択。治療開始。
2003年7月2日
PSA数値1.0。
2003年9月10日
PSA数値0.1以下
極度の倦怠感、悪寒、発汗、湿疹、かぶれなど、激しい副作用に抗しきれず、年明けに手術を受けることを決断。医師の勧めもあり、最も実績のある全摘手術を選択。
2004年1月9日
大阪府立病院泌尿器科受診。今後種々の検査を経て、問題がなければ3月に手術を受けることに決定。
「癌摘出決めて繰り出す宵戎」
2004年1月17日
RI<ラジオアイソトープ>検査。
2004年1月23日
MRI検査。
2004年1月27日
主治医所見。外部への浸潤及び骨組織への転移なし。
2004年2月13日
手術用自己血400cc採血。
2004年2月20日
再度自己血400cc採血。麻酔医問診。
2004年3月2日
入院。同夜執刀医とのカンファレンス。勃起神経の温存を懇願するも、受け付けられず。医師は患者の病気とは向き合っているが、患者の人生には冷酷なほど無関心。
2004年3月3日
8:00過ぎ妻に送られ手術室へ。”厄介ごとを早く片付けたい”という気持ちが強く、手術に対する恐怖感は全くない。
8:30手術開始。
14:00集中治療室へ。麻酔から覚醒、医師や妻の呼びかけに応えるも、朦朧として別段の感動もない。
夜になって腹部にガスが充満、激痛に襲われる。
「臓器一つ天に返して雛祭り」
2004年3月4日
執刀医に痛みを訴えると、「山中さんは痛がりですね。」と一笑に付される。外科医とは、切られた者の苦痛などは全く忖度しないものなのか。排便を促すために、ゾンビの如く病棟の廊下を歩き回り、痛みを紛らわすために、メールで俳句を投稿。
2004年3月5日
排便。やっと痛みが和らぐ。
2004年3月9日
体中に纏わり付いていた管が外される。ドレーンを外されて暫くすると、あっという間もなく失禁。しかしその後は尿洩れや失禁もなく、トイレで排尿することができ、看護士も驚く。ランニングや水泳で、括約筋が発達しているのかも知れない。
2004年3月10日
抜糸、入浴許可。快適!
2004年3月12日
退院。早速万代池公園を散歩。
2004年3月15日
零細企業の経営者の哀しさ、早々に職場復帰。
2004年4月2日
ランニング再開。ランニング中ほとんど痛みはないが、ストレッチングの際、股関節にかなりの硬化を感じる。
2004年4月10日
水泳再開。縫合部分に引っ張られるような痛みがあり、意外にもランニングよりも厳しい。
2007年2月18日
泉州国際市民マラソン完走。タイム4時間28分。
2008年3月2日
篠山ABCマラソン出場、33km地点でリタイヤ。
2008年10月5日
2009年泉州国際市民マラソンにエントリー。
現在、若干の頻尿と勃起不能の後遺症あり。
2003年1月9日
軽い頻尿と排尿困難を覚え泌尿器科専門の開業医で受診。前立腺肥大と診断、念のために血液検査を受ける。
2003年1月16日
PSA数値14.8
2003年4月16日
再検査。PSA数値15.6。癌の疑いがあるため、生体検査を勧められる。
2003年5月19日
多根総合病院で針生検の結果、初期の前立腺癌の診断が下る。
「青葉風胸に落ちゆく癌告知」
手術を勧められるも諸般の事情がありホルモン療法(注射と投薬で脳下垂体と副腎からの男性ホルモンの分泌を100%抑制)で先延ばしすることを選択。治療開始。
2003年7月2日
PSA数値1.0。
2003年9月10日
PSA数値0.1以下
極度の倦怠感、悪寒、発汗、湿疹、かぶれなど、激しい副作用に抗しきれず、年明けに手術を受けることを決断。医師の勧めもあり、最も実績のある全摘手術を選択。
2004年1月9日
大阪府立病院泌尿器科受診。今後種々の検査を経て、問題がなければ3月に手術を受けることに決定。
「癌摘出決めて繰り出す宵戎」
2004年1月17日
RI<ラジオアイソトープ>検査。
2004年1月23日
MRI検査。
2004年1月27日
主治医所見。外部への浸潤及び骨組織への転移なし。
2004年2月13日
手術用自己血400cc採血。
2004年2月20日
再度自己血400cc採血。麻酔医問診。
2004年3月2日
入院。同夜執刀医とのカンファレンス。勃起神経の温存を懇願するも、受け付けられず。医師は患者の病気とは向き合っているが、患者の人生には冷酷なほど無関心。
2004年3月3日
8:00過ぎ妻に送られ手術室へ。”厄介ごとを早く片付けたい”という気持ちが強く、手術に対する恐怖感は全くない。
8:30手術開始。
14:00集中治療室へ。麻酔から覚醒、医師や妻の呼びかけに応えるも、朦朧として別段の感動もない。
夜になって腹部にガスが充満、激痛に襲われる。
「臓器一つ天に返して雛祭り」
2004年3月4日
執刀医に痛みを訴えると、「山中さんは痛がりですね。」と一笑に付される。外科医とは、切られた者の苦痛などは全く忖度しないものなのか。排便を促すために、ゾンビの如く病棟の廊下を歩き回り、痛みを紛らわすために、メールで俳句を投稿。
2004年3月5日
排便。やっと痛みが和らぐ。
2004年3月9日
体中に纏わり付いていた管が外される。ドレーンを外されて暫くすると、あっという間もなく失禁。しかしその後は尿洩れや失禁もなく、トイレで排尿することができ、看護士も驚く。ランニングや水泳で、括約筋が発達しているのかも知れない。
2004年3月10日
抜糸、入浴許可。快適!
2004年3月12日
退院。早速万代池公園を散歩。
2004年3月15日
零細企業の経営者の哀しさ、早々に職場復帰。
2004年4月2日
ランニング再開。ランニング中ほとんど痛みはないが、ストレッチングの際、股関節にかなりの硬化を感じる。
2004年4月10日
水泳再開。縫合部分に引っ張られるような痛みがあり、意外にもランニングよりも厳しい。
2007年2月18日
泉州国際市民マラソン完走。タイム4時間28分。
2008年3月2日
篠山ABCマラソン出場、33km地点でリタイヤ。
2008年10月5日
2009年泉州国際市民マラソンにエントリー。
現在、若干の頻尿と勃起不能の後遺症あり。