あしあと

愛悠館動物慰霊センター12年の歩み。趣味のマラソン、俳句のことや愛犬花ちゃんのこと。好きな小説や映画の話し。

前立腺癌発病から現在<術後4年8ヶ月>までの記録

2008-10-31 14:57:18 | Weblog
癌と闘ったという意識が希薄なため、敢えて「闘病記」とせずに病状の記録に止めました。
2003年1月9日
 軽い頻尿と排尿困難を覚え泌尿器科専門の開業医で受診。前立腺肥大と診断、念のために血液検査を受ける。
2003年1月16日
 PSA数値14.8
2003年4月16日
 再検査。PSA数値15.6。癌の疑いがあるため、生体検査を勧められる。
2003年5月19日
 多根総合病院で針生検の結果、初期の前立腺癌の診断が下る。
「青葉風胸に落ちゆく癌告知」
 手術を勧められるも諸般の事情がありホルモン療法(注射と投薬で脳下垂体と副腎からの男性ホルモンの分泌を100%抑制)で先延ばしすることを選択。治療開始。
2003年7月2日
 PSA数値1.0。
2003年9月10日
 PSA数値0.1以下
極度の倦怠感、悪寒、発汗、湿疹、かぶれなど、激しい副作用に抗しきれず、年明けに手術を受けることを決断。医師の勧めもあり、最も実績のある全摘手術を選択。
2004年1月9日
大阪府立病院泌尿器科受診。今後種々の検査を経て、問題がなければ3月に手術を受けることに決定。
「癌摘出決めて繰り出す宵戎」
2004年1月17日
 RI<ラジオアイソトープ>検査。
2004年1月23日
 MRI検査。
2004年1月27日
 主治医所見。外部への浸潤及び骨組織への転移なし。
2004年2月13日
 手術用自己血400cc採血。
2004年2月20日
 再度自己血400cc採血。麻酔医問診。
2004年3月2日
 入院。同夜執刀医とのカンファレンス。勃起神経の温存を懇願するも、受け付けられず。医師は患者の病気とは向き合っているが、患者の人生には冷酷なほど無関心。
2004年3月3日
 8:00過ぎ妻に送られ手術室へ。”厄介ごとを早く片付けたい”という気持ちが強く、手術に対する恐怖感は全くない。
 8:30手術開始。
 14:00集中治療室へ。麻酔から覚醒、医師や妻の呼びかけに応えるも、朦朧として別段の感動もない。
 夜になって腹部にガスが充満、激痛に襲われる。
 「臓器一つ天に返して雛祭り」
2004年3月4日
 執刀医に痛みを訴えると、「山中さんは痛がりですね。」と一笑に付される。外科医とは、切られた者の苦痛などは全く忖度しないものなのか。排便を促すために、ゾンビの如く病棟の廊下を歩き回り、痛みを紛らわすために、メールで俳句を投稿。
2004年3月5日
 排便。やっと痛みが和らぐ。
2004年3月9日
 体中に纏わり付いていた管が外される。ドレーンを外されて暫くすると、あっという間もなく失禁。しかしその後は尿洩れや失禁もなく、トイレで排尿することができ、看護士も驚く。ランニングや水泳で、括約筋が発達しているのかも知れない。
2004年3月10日
 抜糸、入浴許可。快適!
2004年3月12日
 退院。早速万代池公園を散歩。
2004年3月15日
 零細企業の経営者の哀しさ、早々に職場復帰。
2004年4月2日
 ランニング再開。ランニング中ほとんど痛みはないが、ストレッチングの際、股関節にかなりの硬化を感じる。
2004年4月10日
 水泳再開。縫合部分に引っ張られるような痛みがあり、意外にもランニングよりも厳しい。
2007年2月18日
 泉州国際市民マラソン完走。タイム4時間28分。
2008年3月2日
 篠山ABCマラソン出場、33km地点でリタイヤ。
2008年10月5日
 2009年泉州国際市民マラソンにエントリー。
現在、若干の頻尿と勃起不能の後遺症あり。

泉州マラソンと「だんじり会館」

2008-10-10 17:06:13 | Weblog
 泉州国際市民マラソンのコースの中ほど、蛸地蔵駅下がりの少し北寄りに岸和田だんじり会館というのがあり、その前で毎年地元の人たちが、だんじり囃子でランナーを元気付けてくれます。
 昨年私はスタートから飛ばしすぎて、20km付近で早くもガス欠状態になり、”リタイヤ”という言葉が脳裏を過ぎりかけたとき、だんじり囃子が聞こえてきました。魂を揺さぶられるような太鼓と鐘の音に、目覚めたように元気を取り戻し、無事完走することができました。
 私以外にも、たくさんの人たちが勇気付けられたことと思います。スタッフの皆様、来年もよろしくお願いいたします。

「フルマラソンは誰でも完走できる」

2008-10-03 17:42:54 | Weblog
【序章】
 私は高校(夕陽丘高校第14期生)に入学すると同時に、スイマーに憧れて水泳部に入部しました。しかし厳しい練習についてゆけず、たった三ヶ月で敢え無く退部、その年の秋に汚名挽回のために入ったラグビー部も、真夏の練習に耐えきれず、合宿を前に逃げるようにして退部してしまいました。
 周囲からは、根性の無いやつ、意志の弱いやつとさんざん言われ、極端な自己嫌悪に陥り、全てに自信を失ってしまい、今で言う”落ちこぼれ”に成り果て、無為な高校生活を送り、目的の無いまま入学した大学も二回生の時に中途退学、社会に出てからもその負い目は心の底に澱のように淀んだまま、消えることはありませんでした。
 そんな私が四十代の半ばにさしかかった頃、あることをきっかけに一念発起してランニングを始め、ようやく五年後に、当時通っていたジムのインストラクターに強引に勧められて千亀利マラソン(現在の泉州国際マラソン)にエントリー、何度もリタイヤしそうになりながらも制限時間の15秒前に、ゴールに転がり込むようにして完走することができました。
 レース後時間が経つにつれて、今までに味わったことない感動が体の奥底から湧き上がって来たことを、今でも昨日の事のように覚えています。
 そしてその日から、私の人生が変わりました。
 人より三十年遅れた代わりに、人の数倍の時間を与えられて、”青春”が訪れたのです。
 この感動と喜びを、一人でも多くの人に味わっていただきたく、私なりの「マラソン完走法」を少しずつお話しして行きたいと思います。
 マラソンに興味のない方も、何かお役に立つことがあるかも知れませんので、どうかお付き合い下さい。できればコメントなどもお寄せいただけますよう、お願い申し上げます。