あしあと

愛悠館動物慰霊センター12年の歩み。趣味のマラソン、俳句のことや愛犬花ちゃんのこと。好きな小説や映画の話し。

ドキュメント膵臓癌15~看護師

2011-01-31 20:11:08 | Weblog
1/31(月曜日)

医療現場における看護師の存在が、いかに重要なものであるかということを、今回の入院で改めて認識させられた。
医師の補助に始まり、患者の体調管理、患者の介助、注射や点滴などの施術、医師と患者のパイプ役、等々数え上げればきりがないが、中でも一番大きな役割は、患者の不安や苦痛を取り除き、患者の心の支えとなっていることである。
実に崇高な職業であり、しかもこの能力は、本人の持って生まれた資質に負うところが多いのではないだろうか。


昨夜の睡眠導入剤は、恐ろしく効いた。10:00に眠るつもりで9:00にのんだら、9:01に眠ってしまった。3時半頃一度目が覚めたが、朦朧としていたので再び目をつむり、5時ごろ起床。
昼前に夜勤明けの四女来る。勿論、足浴。
午後、排尿ドレーンが外される。 喝采!
何気なく、欠伸成功!
昨夜同様、レンドルミン一錠服用。


<今日の俳句>
当直のナース囁く夜半の冬
ロビーにも眠れぬ患者冬燈
春隣足湯に癒す病の苦


ドキュメント膵臓癌14~MY膵臓

2011-01-30 09:28:04 | Weblog


1/30(日曜日)
手術前に医師の許可を得て、次女が撮影した摘出直後のMY 膵臓(尾部)である。
予想以上に大きい。我々の目には、どの部分が腫瘍なのか識別はできない。
憎むべきと言うべきか、愛おしきと言うべきか、授かったものを謹んで天に還す。

大阪国際女子マラソンが終わった頃、次男夫婦が来てくれたので足浴を強請る。
体調安定。
傷口の痛みや胃の痛みは全く無くなったが、2本挿入されているドレーンの痛みは消えず、術後初めて出かかった、くしゃみと欠伸も止まってしまった。
鎮痛剤に替えて、睡眠導入剤を処方してもらい、9:00就寝。

今日の俳句
寒鶯や去年ナースになりしてう
マフラーを肩にナースの夜勤明け
点滴を引きずり歩く寒廊下


ドキュメント膵臓癌13~発症の要因

2011-01-30 00:49:45 | Weblog
1/29(土)
2004年の前立腺癌、今回の膵臓癌、7年の間に二度も癌が発症した要因について自分なりに考えてみた。勿論、医学的な根拠はなにもない。

1.遺伝子=50%
父(喫煙者)が肺癌、叔父(非喫煙者)が膵臓癌で、それぞれ亡くなっている。
2.ストレス =30%
現在の会社を立ち上げ今日に至るまでの、12年間のストレスが尋常ではなかった。
25年間ランニングを続けていなかったら、もっと早くに潰れていたであろう。
3.喫煙=20%
半世紀に亘り喫煙を続けている。現在はパイプ煙草で、紙巻タバコに換算して約10本程度。
大反発を喰うのは必至であるが、私の場合は喫煙と癌との因果関係は、あまり緊密ではないと感じている。

兎も角、細心の注意を払い、最善の努力をしたところで、全ての人はやがて老い、病み、苦しみの中で死んでいく。
つまりは一日一日を、一瞬一瞬を大切にして、己に与えられた能力と己に与えられた時間を充分に使い切って、死んでゆくことではないだろうか。
そんなことが少しずつ、分かってきたような気がする。

三日ぶりに便通あり。やや軟便、褐色。
時折、左の肋骨の下あたりに、激痛が走る。
体温、血圧は安定しているが、膵液瘻のドレーンの色がまた濃くなっている?
午後、長女と長男が、昨日以来病みつきになってしまった足浴用のバケツを買って来てくれた。
足浴の後、一時間ほど眠る。
主治医回診
膵液瘻は順調に回復しているとの所見に、ほっと胸をなで下ろす。
夕方、妻と次女が着替えを持って来る。
三女は拙宅で、二人の孫と花の子守。
排便あり。やや軟便、濃い茶色。
サッカー・アジアカップに備え、早目に眠る。


ドキュメント膵臓癌12~最初の自覚症状?

2011-01-28 15:14:26 | Weblog
1/28(金)
夜中に自分の放屁の音で目を覚ます。ガスは順調に出ていたが、大きな音が出たのは初めて。
大事をとって、あまり動かないようにしている。というよりも、あまり動く気がしない。
今になって思えば昨年四月頃にはすでに、膵臓癌の兆候と思われるものが微かにあったのかも知れない。それは、左背筋に筋肉痛とは少し違う、30年ほど前に経験した尿管結石のときの痙攣を伴うような痛みを覚えたことである。
暫く間が開いていた前立腺癌の検査を兼ねて、多根総合病院を訪れ、エコー、CT、レントゲン、血液検査などの詳しい検査を受ける。
その場で直ちに諸検査の分析が行われ、尿管結石も癌の再発もないことが判明した。
次回は半年後位を目処に検査を行い、その時にはさらに範囲を胃や肺まで拡大して検査するよう指示を受け、それが今回の発見に繋がった。
その後、背筋の痛みは湿布やマッサージを行うことで苦にならなくなり、げっぷが多くなったことも、あれほど好きだった揚げ物やステーキが欲しくなくなったことも、加齢現象として片付けて今日に至ったのである。
しかし膵臓とは、まことに厄介な臓器である。

ドキュメント膵臓癌11~術後二週目

2011-01-28 04:12:18 | Weblog
1/27(木)
術後二週目に入る。今は点滴だけで生かされている。不思議なことに酒や煙草は勿論、あれを食べたい、これを飲みたいという欲望が全くない。
背筋から腰にかけて痛みがあり、顔を洗うにも苦痛を伴う。。
8年前の前立腺全摘手術の時とは、比較にならないほどダメージが大きい。
昼前に妻、K女史、一時間ほど遅れてインフルエンザのため来られなかった四女が来る。
四女はこの四月から、看護学校に通い始める。
妻が帰った後、浴室を借りて二人に足浴をしてもらう。久しぶりに快適な気分になり、一時間ほど眠る。
今日から俳誌「花冠」へ投句を再開。
夕方回診あり。膵液瘻は少しずつ、治癒の方向へ。
入院以来初めて「レクイエム」をipodで聞き始めたが重すぎて、SUZAN BOYLEに変えた。
本日便通なし。体温は36.5°~37.5°の間を上下している。
9:00頃鎮痛剤の投与を受ける。


<今日の俳句>
1/20膵臓癌摘出手術~
二つばかり臓器還すや暮れの冬
敢然と癌を摘み取る医師はラガー
冬深む鎮痛剤と観世音


ドキュメント膵臓癌10~安堵

2011-01-27 06:46:03 | Weblog
1/26(水)
サッカーが終わった後排便。
硬さ良、黒色。
4:00排便。軟便、黒色。
6:00排便。軟便、黒色。
主治医から膵液瘻は小康状態を保っている旨を伝えられ安堵する。
昼前、長男に続いて妻、三女来る。今日は外は寒い様子。
皆が帰った後急に寒気がし、咳も出始めその度に激痛に襲われる。慌てて布団を二枚重ねにしてぐつしょりと汗を出し、二度ほど着替えをしてようやく悪寒、咳治まる。

ドキュメント膵臓癌9~膵液瘻(すいえきろう)

2011-01-26 10:03:04 | Weblog
今日は妻の誕生日。バースデーメールを送る。入院前に、今夕プレゼントが自宅に届くように手配しておいた。
長男に、お茶と紙コップと氷を持って来てもらう
主治医から胃腸薬が処方される。
12:00、六日ぶりに便通あり。量は正常だが色は真っ黒。兎も角、一歩前進?
午後からシャンプー、髭剃りをして体を拭く。
夕方、処方された薬を飲んだ途端に激しい嘔吐。
主治医が駆けつけドレーンを点検し、膵液瘻のあることを確認。
服薬から点滴に変更、安静を指示される。
食事の開始どころか最悪の場合、再手術も覚悟しなければならない。
サッカー・アジアカップの日韓戦に不安と痛みを紛らわせる。

ドキュメント膵臓癌8~一般病棟

2011-01-25 03:53:12 | Weblog
1/24(月)
昨夜入室して来た80才過ぎの女性が、誰にも看取られることなく今朝方亡くなられた。人の死とはかくも呆気ないものなのか。全ての苦しみから解き放たれて、最後は安らかであったように窺える。
一般病棟へ移る。主治医から無理のない程度の歩行と、水かお茶の摂取を許可される。洗面所まで自力で歩いて行き、歯磨きをする。
一旦部屋に帰り、看護師がいなくなったのを見届けてから、4Fまで行ってカップ式自販機のカルピスソーダを買う。
氷を齧りながらごくごく飲み干した。手術から72時間、涙が出そうになるほど嬉しい。
まだ起居の度に痛みが走るが、確実に状況は良くなっている。
夕方仕事を早めに切り上げて、妻が来る。ミネラルウォーター、ボカリ、アップルジュースを保冷バッグに入れて持って来てもらう。
不思議なことに、もうあまり飲みたいとは思わない。
妻が帰ったあと暫くまどろんだが、激しい腹痛に襲われて目を覚まし、鎮痛剤の点滴を受ける。
消灯後、ロビーのソファーで痛みの治まるのを待つ。病室のベッドを嫌ってか、ロビーで過ごす人を数人見かける。

冬深む鎮痛剤と観世音

ドキュメント膵臓癌~手術

2011-01-23 13:31:01 | Weblog
1/20(木)
6:40起床。昨夜の9:00の消灯以来食べ物は勿論、水すら口にすることを禁止されている。
9:30手術室へ入り、背中に局部麻酔をうち,痛み止めのクスリを注入するためのパイプを装着する。その直後、ガスマスクを顔に当てられた途端意識が無くなる。
1/23(土)
多分、1/21(金)の15:30頃麻酔から覚め始め、痛みと不快感、それに喉の渇きに苛まれる。眠ると幻覚が見え始める。かなり高度な、ポップアート的なプロモーションビデオを見せられているようで、目をつむると際限なくその映像が続き気が狂いそうになる。
以来48時間延々と苦しみが続く。
67年間生きてきて、これ程の苦しみを味わった記憶はない。あと何日この苦しみにたえればいいのか。
家族の力強い支えがあるからこそ、なんとか耐えていれる。
先ほど見舞いに来た次男にカルピスソーダを買って来てもらい、それで口を漱いだが、これ程うまい飲み物は飲んだことがない!