2/27(日曜日)
間もなく、長く苦しかった入院生活が終わろうとしている。
つまりは闘いの緒戦を、なんとか凌ぎ切ったというところであろうか。
九年前、前立腺癌の告知を受けた際には、それほど大きな衝撃を受けなかったことを記憶している。
告知後一年間続けたホルモン療法の副作用には些か悩まされたが、術前の諸検査からも大きなストレスを受けるようなことは無く、淡々と手術の日を迎えた。
手術直後、ガスが出るまでの二三日は強い痛みに悲鳴をあげたが、その後はみるみるうちに回復し、術後十三日目に退院、更に二日後には仕事に復帰することができた。
従って、「癌と闘った」とか、「闘病生活を送った」という実感はまるで無かった。
しかし、今回はまるで違う。
告知から今日までの凡そ二ヶ月間、それはまさに病魔との闘いであった。
昨年末に膵臓癌の疑いありと告げられ、妻と二人して言葉もなく抱き合った、あの時の絶望感。
入院を待つ間も、次々行われる検査のストレス。
手術直後のICUで、声も出せず、身動きもできない状態で必死に耐えた、痛みと渇きと不安。
三週間に及ぶ絶食で体重が激減し、枯れ木のようになってしまった自分自身の姿を、鏡の中に見た時の大きな衝撃。
ようやく絶食を解かれてほっとする間もなく、十二指腸潰瘍を発症、さらには退院が決まりかけたその矢先、腰椎骨折で身動きできなくなり、一週間の絶対安静を強いられるなど、まるで伏兵のように次々と襲って来る合併症の恐怖。
改めて振り返ってみれば、実に手強い敵であり、苦しい闘いの連続であった。
そして、心身共にずたずたになってようやく、支え続けてくれた家族の元へ帰ることができる。
ゆっくりと静養に努め、いずれまた襲って来る敵に備えて、体力と気力を回復しなければならない。
間もなく、長く苦しかった入院生活が終わろうとしている。
つまりは闘いの緒戦を、なんとか凌ぎ切ったというところであろうか。
九年前、前立腺癌の告知を受けた際には、それほど大きな衝撃を受けなかったことを記憶している。
告知後一年間続けたホルモン療法の副作用には些か悩まされたが、術前の諸検査からも大きなストレスを受けるようなことは無く、淡々と手術の日を迎えた。
手術直後、ガスが出るまでの二三日は強い痛みに悲鳴をあげたが、その後はみるみるうちに回復し、術後十三日目に退院、更に二日後には仕事に復帰することができた。
従って、「癌と闘った」とか、「闘病生活を送った」という実感はまるで無かった。
しかし、今回はまるで違う。
告知から今日までの凡そ二ヶ月間、それはまさに病魔との闘いであった。
昨年末に膵臓癌の疑いありと告げられ、妻と二人して言葉もなく抱き合った、あの時の絶望感。
入院を待つ間も、次々行われる検査のストレス。
手術直後のICUで、声も出せず、身動きもできない状態で必死に耐えた、痛みと渇きと不安。
三週間に及ぶ絶食で体重が激減し、枯れ木のようになってしまった自分自身の姿を、鏡の中に見た時の大きな衝撃。
ようやく絶食を解かれてほっとする間もなく、十二指腸潰瘍を発症、さらには退院が決まりかけたその矢先、腰椎骨折で身動きできなくなり、一週間の絶対安静を強いられるなど、まるで伏兵のように次々と襲って来る合併症の恐怖。
改めて振り返ってみれば、実に手強い敵であり、苦しい闘いの連続であった。
そして、心身共にずたずたになってようやく、支え続けてくれた家族の元へ帰ることができる。
ゆっくりと静養に努め、いずれまた襲って来る敵に備えて、体力と気力を回復しなければならない。