その後順調に健康を取り戻し、体力は、発病前よりもむしろ充実してきた感がありました。
俳句は一日三句を日課として投句を続け、「水煙」との関わりも一般会員から同人となり、2003年の暮れに大阪で行われたオフ句会にも参加、先生や句友の皆さんとも一層親交を深めていきました。
小さなコンテストで選を得ることもあり、まさに有頂天でありました。
「体操の輪の真ん中の大夏木」
「ぶらんこを揺するいつしか大胆に」
ところが、2006年の年が明け、俳句を始めて4度目の春を迎えようという頃から、次第に俳句が思うように作れなくなってきました。
俳句が浮かんでこないというか、自分の想いを俳句に表せないというような状態がしばらく続き、ついには俳句を作ることが重荷にさえなってしまいました。
会社の経営が大変だったことと、フルマラソンに再挑戦するために月間200キロの走り込みを始めたことで、時間的にも精神的にも余裕が無くなったこともありましたが、なによりも俳句に対する私の心の中に、邪心が芽生え始めたことが大きな原因であることに気がつきました。
つまり、先生や同人の人たちから高い評価を得たい、文学的にレベルの高い俳句を作りたいなどという、身の程知らずの考えに囚われ始めていたのです。
無論俳句というのは読者あってのものですから、自分の見たこと感じたことを如何に読者に伝えるかという意識は常に持たなければなりませんが、全く間違った方向に意識が向いていたわけです。
そんな気持ちを抱いた自分自身が嫌になり、無心に俳句を楽しめる時がくるまで、しばらくは筆を置くことに決心しました。
2年半経った今、未だに俳句を詠む事がありません。やはり俳句というのは、常に歳時記を読み、自然を注意深く見つめ、作ろうという意欲を持たなければ作れるものではないのですね。完
俳句に興味のある方は下記をクリックしてみてください。
水煙
俳句は一日三句を日課として投句を続け、「水煙」との関わりも一般会員から同人となり、2003年の暮れに大阪で行われたオフ句会にも参加、先生や句友の皆さんとも一層親交を深めていきました。
小さなコンテストで選を得ることもあり、まさに有頂天でありました。
「体操の輪の真ん中の大夏木」
「ぶらんこを揺するいつしか大胆に」
ところが、2006年の年が明け、俳句を始めて4度目の春を迎えようという頃から、次第に俳句が思うように作れなくなってきました。
俳句が浮かんでこないというか、自分の想いを俳句に表せないというような状態がしばらく続き、ついには俳句を作ることが重荷にさえなってしまいました。
会社の経営が大変だったことと、フルマラソンに再挑戦するために月間200キロの走り込みを始めたことで、時間的にも精神的にも余裕が無くなったこともありましたが、なによりも俳句に対する私の心の中に、邪心が芽生え始めたことが大きな原因であることに気がつきました。
つまり、先生や同人の人たちから高い評価を得たい、文学的にレベルの高い俳句を作りたいなどという、身の程知らずの考えに囚われ始めていたのです。
無論俳句というのは読者あってのものですから、自分の見たこと感じたことを如何に読者に伝えるかという意識は常に持たなければなりませんが、全く間違った方向に意識が向いていたわけです。
そんな気持ちを抱いた自分自身が嫌になり、無心に俳句を楽しめる時がくるまで、しばらくは筆を置くことに決心しました。
2年半経った今、未だに俳句を詠む事がありません。やはり俳句というのは、常に歳時記を読み、自然を注意深く見つめ、作ろうという意欲を持たなければ作れるものではないのですね。完
俳句に興味のある方は下記をクリックしてみてください。
水煙
俳句にのめり込んで1年目の春頃、排尿に異常を感じて近くの泌尿器科で診察を受け念のために血液検査した結果、ガンマークの数値が異常に高く専門病院での精密検査を勧められました。
半信半疑で一泊入院をして検査を受け、数日後間違いなく前立腺癌であることを宣告されました。
他人ごとと思っていた「癌」という病名を聞かされ、俄かには信じがたい思いがしました。
さまざまな事情から、すぐには手術することができず、ホルモン療法で癌の成長を抑えるという手段をとりました。
しかし、女性の更年期障害がこうであろうと思われるような激しい副作用が続き、1年目の3月に全摘手術に踏み切りました。
術後、麻酔が醒めて激痛で朦朧とする意識の中で、懸命に俳句の推敲をし、翌日娘に携帯メールを送り、それを水煙に投稿してもらうという有様でありました。
お蔭さまで12日目に退院、心配した尿洩れも全くなく術後2週間で職場復帰を果たし、さらに2週間後にはジョギングも再開できるようになりました。
発病から手術、退院までの1年余り、その苦悩と痛みを紛らすことができたのは、俳句を作りたい、走りたいという意欲があったからだと思います。(続く)
「臓器一つ天に返して雛祭り」
半信半疑で一泊入院をして検査を受け、数日後間違いなく前立腺癌であることを宣告されました。
他人ごとと思っていた「癌」という病名を聞かされ、俄かには信じがたい思いがしました。
さまざまな事情から、すぐには手術することができず、ホルモン療法で癌の成長を抑えるという手段をとりました。
しかし、女性の更年期障害がこうであろうと思われるような激しい副作用が続き、1年目の3月に全摘手術に踏み切りました。
術後、麻酔が醒めて激痛で朦朧とする意識の中で、懸命に俳句の推敲をし、翌日娘に携帯メールを送り、それを水煙に投稿してもらうという有様でありました。
お蔭さまで12日目に退院、心配した尿洩れも全くなく術後2週間で職場復帰を果たし、さらに2週間後にはジョギングも再開できるようになりました。
発病から手術、退院までの1年余り、その苦悩と痛みを紛らすことができたのは、俳句を作りたい、走りたいという意欲があったからだと思います。(続く)
「臓器一つ天に返して雛祭り」