みちのくレースのおたのしみ

岩手競馬にまつわるあれこれ。とか。

ハルウララはどこへいく

2004年10月09日 | 岩手競馬
※2週間くらい書きかけで置いておいたものです。最新の状況とは違うかもしれませんが、そこはご容赦下さい。

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 突然の放牧で様々な憶測を呼ぶことになったハルウララ。ネット上ではいろいろとありすぎるくらいですが、現時点でのまとめというか客観的な「読み方」という意味ではこちらが一番わかりやすいのではないでしょうか。

 そういう部分はお任せしておくとして、自分はもう少し違った見方を主張してみましょう。

 2月に高知競馬の取材をした時、その時はいわゆる『高知方式』について、四半期ごとに採算を合わせていくやり方の事がメインでしたから、ハルウララについては特別取材をしなかったのですが、関係者の方々にお話を伺っていくなかで、自然とその話も出ることになりました。
 その中で一番印象深かったのが、高知の実況アナウンサーである橋口さんのお話でした。「結局ハルウララは、“ネヴァーギブアップ”“ハルウララがんばれ”という言葉は、馬にではなくて自分自身に投げかけているのだ」と。
 高知県という所はまともな地場産業もなく、いつも国内最貧県の座を争うようなぱっとしない県です。ひどい言い方と言われるかもしれませんが、私自身が高知の人間ですので、これは自分の実感として感じます。
 かつては「遠流の国」であり、四国統一を目指した長曽我部氏はあっさり秀吉にしてやられ、明治維新の時には多少なりと維新に貢献しながら、明治政府の重要ポストからは体よく追い出される。そしてつい最近までは、隣の県に行くだけで1日がかりという「陸の孤島」でもありました。
 そんな、常に「負け組」の地にある高知競馬。ここもいつ廃止になってもおかしくない瀬戸際を漂い続けている。

 そこに現れたハルウララ。負けても負けても走り続けるハルウララ。そこに自分自身の姿を投影してしまうのは当然の成り行きなのです。馬が「負けてもがんばる」ということに、自分も「負けてもがんばろう」と重ね合わせる。負けることがムーブメントになり得たことで、「勝たなくてもいい、負けていいんだ」という“赦し”のようなものも感じることが出来た。
 そしてもう一つ。負け組であったが故に生まれた「メジャーでなければマイナーを目指す」ような県民性。他が白というなら自分は黒と言い張るような“いごっそう”的志向は、「負ける馬を応援して何がいけない?」という発想すら生み出します。
 どうやっても勝ち組になれない土地柄に、そういう感覚がぴったりとはまったわけです。

 「負ける馬を応援するなんて、競馬の意味に反する」という批判はたくさんありました。勝つために全力を尽くす事は競馬法にも定められた基本です。『勝てない事を売りにするのは茶番だ』というのは、それは正しい。正しいのですが、地方競馬の、それも底辺において「優勝劣敗」という言葉がどれだけ現実味を持てるのか。「負けるイコール劣る」とは決めつけ難い世界が、そこには広がっている。
 負けても負けても、消え去る事は許されず、存在し続けなくてはならない(それ自体も相当なプレッシャーになる事なんですが)。どんなに負けても立ち直らざるを得ない、そういう事がごくごく日常的にあるからこそ、「負け続ける馬を応援する」ことも受け入れられてしまうと思うのです。

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 ハルウララ並の馬というのは地方競馬の底辺にはいくらでもいるわけで、普通は100連敗とかする前に処分されてしまうから目につかないだけです。
 そんな馬がいる事自体を問題と見るか、そんな馬でもいなければならない事を問題と見るか。ハルウララの目線の高さにおいては、何が誠実で何が不誠実なんでしょうか、ね?