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2024年11月25日 20時03分10秒 | 日々の出来事
すでに、冬の気温になりますね🍀


10・22・2022
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「死神」と批判されても―― 750人以上の安楽死を手助けしたスイスの女性医師 強い信念と重たい負担

2024年11月25日 15時05分00秒 | 医療のこと



「死神」と批判されても―― 750人以上の安楽死を手助けしたスイスの医師 強い信念と重たい負担

11/23(土) 18:04配信




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TBS NEWS DIG Powered by JNN
エリカ・プライシック医師 スイス・バーゼル


「日本で安楽死できたらいいのに」


スイスの安楽死団体「ライフサークル」代表で医師のエリカ・プライシックさん(66)は、まもなく安楽死を遂げようとしている日本人女性(64)の顔をじっと見つめて言った。


致死薬入りの点滴をつけたその女性は「その通りね」と笑みを浮かべたあと、自ら点滴のバルブを開けた。


安楽死を遂げる日本人女性とプライシックさん


女性の肩や頬を優しく撫でて、旅立ちを見送ったプライシックさん。750人以上の安楽死を手助けし、「死神」と非難されることもある彼女だが、実はかつて「自殺を手助けしてはならない」という強い思いを持っていた。


(TBSテレビ 西村匡史)


「安楽死は人権の1つ」医師が望む世界での法制化
筆者とプライシックさん スイス・バーゼル


プライシックさんは、様々な病気をもつ人たちの自宅を訪問して診察するホームドクターだ。軽症・中等症患者の治療を行うほか、終末期の患者に自宅で最期を迎えてもらうようサポートすることも少なくない。


その一方で、自らが代表を務める安楽死団体「ライフサークル」を2011年に設立し、患者の死期を積極的に早める安楽死の手助けをしてきた。


2021年8月、ロンドン特派員として安楽死の取材を続けていた私は、スイス・バーゼルのホテルで初めてプライシックさんと会った。


待ち合わせ場所のホテルのロビーには、ソファに座ってノートパソコンで慌ただしくし仕事をしているプライシックさんの姿があった。身長160センチほどで細身の彼女は、「死神」と揶揄されることもあるイメージとは程遠かった。


インタビューの冒頭で、私は日本を含む海外からの安楽死希望者を受け入れる理由について尋ねた。


「安楽死は人権の1つだからです。人は誰でも、いつ、どこで、どのように死にたいのかを決めることができるはずです。重い病気を患ってスイスを訪れる人は、渡航が困難な人たちです。母国で死を迎えることができれば、スイスまで来る必要はありません。安楽死は世界中で合法化されるべきです」


病に苦しむ父を見て 望んだ「尊厳ある死」
プライシックさん


プライシックさんが安楽死に携わるようになった背景には、彼女自身が経験した辛い過去がある。


スイス・バーゼルで生まれた彼女は、6歳の時に母親を脳卒中で失った。写真家の父親は7人の子どもをシングルファザーとして育て上げた。「体を張って家族を守り抜く強い人」。プライシックさんにとって、自慢の父親だったという。


そんな父親は78歳の時に脳卒中を患って右半身の自由を失い、その5年後に2度目の脳卒中で失語症に。それ以来、寝たきりの生活を余儀なくされる。絶望に陥り、家の中にある全ての錠剤をかき集めて、ワイン2本とともに流し込んで自殺を図った。


「父は一命を取り留めたものの、現場を目撃した私は激しいショックを受けました。しかし20年以上、緩和ケア専門の医師を務めてきた私には『自殺を手助けしてはならない』という強い思いがありました。『お願いだから死なないで』と泣いて頼むしかありませんでした」


「生きてほしい」と父親に懇願してきたプライシックさんに、大きな転機が訪れる。ある日、父親が機関車の写真をプライシックさんに渡し、左手で自身の首を絞めるしぐさを見せたのだ。電車に飛び込んで自殺するつもりであることを理解したプライシックさんは、体の震えが止まらず、父親の顔を見ることができなくなったという。


「人はここまで苦しい思いをして、生きる必要があるのでしょうか。最悪の事態になるのであれば、尊厳ある死で看取りたいと思うようになりました」


プライシックさんがスイス国内の安楽死団体に問い合わせたのち、父親は自ら団体に安楽死の希望を伝え、認められた。


父が安楽死 涙止まらずとも「納得」
プライシックさん


安楽死を遂げる日を迎えた。プライシックさんは「もう旅立ちたい」という父親の願いを受け入れたとき、涙が止まらなかったという。当日の朝は涙を隠して「今日は大切な日よ。自分で決めたんだものね」と声をかけると、父親はその手を優しく握ってくれた。


昼食では大好きなチーズを目を細めながら口にした父親。ソファに腰を掛けて、安楽死団体が処方した致死薬を一気に飲み込んだ。直後にテーブルを叩いて「ワイン」と大声を上げ、用意されていた好物の南フランス産の赤ワインを口にする。その数分後、安らかに息を引き取った。


「父が亡くなってしばらくは、心の整理がつきませんでした。しかし、時間とともに幸せな死の迎え方だったなと感じることができ、家族も納得できるのであれば安楽死は間違ってなかったなと思うようになりました」


欧州などで広がる「安楽死の合法化」
プラシックさんと安楽死したフランス人男性


プライシックさんは父親の安楽死を手助けした団体で6年間、スタッフとして働いたのち、2011年にライフサークルを設立した。海外からの安楽死希望者も受け入れていて、会員数1500人のうち62人が日本人だ。13年間で7人の日本人を含む750人以上の安楽死を手助けしてきた。


安楽死は2002年に世界で初めてオランダで合法化されたのを皮切りに、ベルギー、スペインなどヨーロッパの国が続いた。次第にカナダ、コロンビア、ニュージーランドなどにも広がりを見せ、法制化されずとも事実上、安楽死が認められる国や地域は世界で10か国以上に上る。


スイスでは、国内の主要な3つの安楽死団体が発表した年間の死亡者数は1500人超。医師が患者に薬物を投与して死に至らせる行為は禁止されているため、処方された致死薬を患者本人が体内に取り込んで死亡する。


「死神」と批判され 心折れかかった過去
フランス人男性の安楽死を手助けするプライシックさん


プライシックさんは、安楽死に反対する団体から「死神」と批判されることも少なくない。また、外国人の安楽死希望者を受け入れているため、スイスが「自殺ツーリズム」を助長しているとの指摘もある。死のビジネスが横行する懸念をもたれているのだ。


スイスの安楽死団体はいずれも非営利団体が実施していて、財源は会費と寄付で賄われている。ライフサークルでは1回の安楽死にあたり、患者が支払う費用のうち団体に残るのは1000スイスフラン(日本円約17万円)ほど。残った資金は老人ホームへの寄付金に充てているという。財団法人であるため、年に2回、政府による帳簿のチェックも受けている。


「お金のために安楽死を手助けしていると、私たちは何度も批判されてきました。しかし、お金を儲けたいのであれば、こんな辛い仕事は割に合わないでしょう」


2016年には精神疾患がある患者の安楽死を手助けしたとして殺人などの罪で起訴されている。1審では執行猶予付きの有罪判決を受けたが、2審で死の直前のやりとりを撮影した映像で患者に判断能力があったと認定され、無罪が確定した。


「法廷の証言台に立ったとき、『なんでこんな目に遭わなければならないのか』と心が折れました。この仕事を辞めてしまおうかとまで思いました」

以下はリンクで





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大河ドラマ化が切望される、「東京」の地盤を作った武将とは?

2024年11月25日 08時05分09秒 | 歴史的なできごと
東京の町は、徳川家康がこの地に都を開いた際、参謀であった僧・天海の助言もあって守りに風水の理念が取り入れられた。



江戸城の鬼門・裏鬼門・北辰を神社やお寺で守護するように、建設や移転を命じたのである。もちろん神頼みだけでなく、道路や堀・川などを整備し、住みやすい内側と攻撃しにくい外側を物理的にも完成させていたのではあるが。 

 これを考えついたのは家康が最初ではない。江戸城はもともとあった城を拡張したものであるし、今も残る江戸城守護の寺社のいくつかは家康入府の前から鎮座するものだ。これら地盤を作ったのが、戦国時代の武将・太田道灌である。 


●東京の基礎を作った道灌とは  

東京の神社仏閣をめぐっていると、この道灌の名前をよく耳にする。創建者や開基であったり、伽藍や社殿の修復をしていたり、別の神さまを他所から勧請していたりとかなりの数の寺社の歴史にかかわっている人である。

東京の基礎を作った人としてもっと有名になってもいいのではないかと思っているが、実際は都民にさえもほとんど知られていないのが実情だ。歴史は強者によって作られるとはよく言ったもので、太田道灌があまり知られていない理由は、最期があまりに悲惨だったからかもしれない。 

●関東における戦国時代の幕開けとは  

太田道灌は室町時代の中期、鎌倉公方(室町朝廷が関東支配の長として任じた職)の補佐役一族の子として生まれた。戦国時代の幕開けとなった応仁の乱が1467年に起こるが、関東ではすでに1438年に永享の乱が発生、鎌倉公方と補佐役との間で争いが起こっており、各地の勢力が戦さを重ねていた。

やがて、利根川を挟んだ2つの勢力が、約30年弱にも及ぶ戦いを続けるのだが、そんな中、道灌は室町幕府の後ろ盾を得ていた扇谷上杉家の筆頭家臣・太田家の家督を24歳の若さで継ぐのである。 

●江戸城のはじまり  この頃は品川付近に居宅があったようだが、対立勢力が拡大していく中で、河越城、岩槻城などとともに江戸城も築城する。

もともと江戸城は、すでに衰退気味であった江戸氏のものだったが、房総の勢力へ対抗するためにどうしてもこの地へ拠点がほしかった道灌は、江戸氏を口説くためいくつかの奇跡話を用いたとの逸話が残っている。

江戸城を手に入れた道灌は、堅固な城として作り直すのだが、この時鬼門側(北東)に柳森神社、湯島天神などを、裏鬼門側(南西)に日枝神社、平河天満宮、品川神社などを創建・整備・社殿の寄進などをした。

 ●全戦全勝で主家を助ける  

お寺についても鬼門側に、江戸城から出た金印を本尊にした吉祥寺、南西側に道灌が禅の師と仰いでいた雲岡舜徳を招き青松寺を開基している。道灌が成人した時、すでに関東は戦国時代に入っていたわけだが、彼は30年間に戦った30数戦ものいくさを独力で全勝したと言われている。

道灌が参戦するまでの主家(扇谷上杉家)はかなり不利な状況だったらしいのだが、戦況は一転した。戦さ上手だった道灌が戦いの前に必ず戦勝祈願をしたと言われているのが、江戸城の北辰に位置する妙義神社で、創建者である日本武尊とともに社に名前を残している。

また、道灌が唯一負けかけたと言われる文明3(1471)年の戦いの際、一時退避したお寺・自性院(新宿区)には、彼を助けた猫が、「招き猫」の発祥の地として道灌伝説とともに伝わる。この逸話にちなんだ猫像は新宿住友ビル前にも飾られてもいる。


●道灌、54歳の最期  このほかにも関東には道灌についての逸話が各地に残っているが、皇居内の道灌掘、江戸城の出城跡とも言われる道灌山、山吹伝説など挙げればきりがない。日暮里駅前や東京国際フォーラム内、日枝神社内などに太田道灌の銅像が建てられているが、どれほどの人が認知しているだろうか。  

結局、道灌は54歳で主君・扇谷定正の自宅に呼ばれ、風呂から出たところで暗殺されてその一生を終える。

扇谷定正とは、戦さで命を落とした主君の代わりに道灌らが急遽仕立てた後継だった人物だ。この時、道灌の活躍もあって扇谷家は関東一の勢力になっていた。

定正にとって唯一の恐れは道灌だけだったのかもしれない。だまし討ちの末に絶命直前に道灌が放った言葉は「当方滅亡(これで扇谷家は終わりだ)」だったという。 

●道灌の墓は遠く伊勢原の地に  

道灌暗殺の話が伝わると扇谷家に付いていたものたちの多くが対立勢力へと寝返った。収まりかけていた関東の戦国時代は一層泥沼化し、結局、扇谷家だけでなく関東は後北条氏によって駆逐されるという歴史を待つことになる。気の毒な道灌の墓所はなじみのある江戸城や河越城付近でなく、暗殺された伊勢原の地にある。

しかも、大慈寺には首塚が、洞昌院には胴塚と首と胴体が別々に葬られているのである。道灌の死に方を考えれば、しっかりとしたお墓があることだけでも貴重なことなのかもしれない。むしろ、怨霊となって暴れてもよかったくらいの仕打ちなのなだから。  

こんな道灌の一生をNHKの大河ドラマとして取り上げて欲しいという嘆願が出されている。実は、私も、とあるお寺で何度目かの嘆願の折の署名をしたことがある。戦国時代は関西付近の話だけでないし、東京の神社仏閣には道灌に関する資料が多く残されているので面白いドラマになる気がするのだが。  

さて明日、7月26日(旧暦/新暦では8月25日)は、そんな道灌が暗殺された日である。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)

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灘→東大理III→医師…エリート一直線の和田秀樹「人にバカにされても全然いい、むしろ誇り」と語る納得の理由

2024年11月25日 03時03分42秒 | メンタルヘルスのこと>心の健康



灘→東大理III→医師…エリート一直線の和田秀樹「人にバカにされても全然いい、むしろ誇り」と語る納得の理由 


1/14/2024



© PRESIDENT Online

これからの時代、一目置かれる存在はどんな人なのか。精神科医の和田秀樹さんは「知識の量=頭の良さの時代はとっくに去った。大切なのは、人を楽しませる面白さやユニークさ、豊かな経験知に基づく知の加工力だ」という――。
※本稿は、和田秀樹『脳と心が一瞬で整うシンプル習慣 60歳から頭はどんどんよくなる!』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。


大切なのは知識の量ではなく知識を応用する力
特に60歳以降の方々の「賢さ」について考えるとき、大切なのは「知識」ではなく「知恵」を身につけるということだと思います。


AIの時代が到来した今、昔と違って、博識であることに価値はなくなってきていると感じます。それよりも、得た知識をどう自分なりに咀嚼し、アレンジしていくか、つまり「知の運用力」が問われる時代がきているのです。


日本では、頭のよさ=知識の多さ、という空気が未だ色濃く残っていると思います。だからこそ「知らないと恥をかく○○」などといったテーマの本はよく売れますし、常識力や知識の有無を問うクイズ番組は根強い人気があります。


けれど、本当の頭のよさというのは、知識の量ではなく、知識をどう自分なりに加工して、自分にしかできない発想に展開していくか、ということに尽きると思います。



私たちの学生時代は、単語や史実、方程式などをひたすら頭に詰め込み、記憶することに重きを置く、インプット式の教育が行われていました。教科書や参考書を丸暗記すれば、ある程度はよい学業成績を収めることができたでしょう。


社会に出てからも、そういった面はまだまだあったと思います。上司の指示を素直に聞いたり、会社から与えられた目標をすんなりクリアできたりする人は、組織のなかで重用されたのではないでしょうか。


もちろん人生において、そういう時期もあったということは決して無駄ではありませんし、否定するつもりもありません。


私も「受験で結果を出すために必要なのは、地頭のよさではなく要領だ」と散々言っています。効率的にインプットをして志望校に合格できるのであれば、それに越したことはありませんし、会社でうまく立ち回れるのなら、それはそれで素晴らしいことだと思います。


ですが、せっかくシニア世代を迎えてさまざまな制約から解き放たれ、ある程度は自由に生きられるようになったなら、突飛でも奇抜でもよいから、「自分なりの発想や信念を持つ」ことの喜びを知っていただきたいと思うのです。


ちょっと手厳しい言い方になってしまうかもしれませんが、「知らないと恥をかく」と言われるようなことを懸命に勉強したところで、最終的に到達できるのは「恥をかかなくなる」だけのことであり、決して「頭がよい人」と思われたり、尊敬されたりすることはないでしょう。


誰もが知っていることを知るために時間を割くくらいであれば、ありきたりな考えから脱却し、オンリーワンの話を展開することに力を注いだほうが、人としての知性や魅力も増しますし、人生もはるかに楽しくなると思います。


もちろん、馬鹿にされるのは誰だって気分のよいものではありません。


けれど、「心ない人にどう思われてもいいや」と開き直り、自分だけのユニークな道を極められる人のほうが、結果的に人から一目置かれるようになるのだと思います。


私に関していえば、人から馬鹿にされても別にいいやと思っています。


馬鹿にされるということは、その人にはない発想を自分はできているということですから、その感性やアイディアをむしろ誇りに思うべきなのです。


なりたいのは、知の加工力を持つシニア
知識の多さではなく、知識をどのように自分なりに応用するか。その力が問われるなかで目指したいのは、「話が面白いシニア」だと思います。


シニア世代の頭のよさ=面白さだと私は思っています。膨大な知識を持つことを聡明であるとするならば、人は到底、AIより聡くなることはできなくなってしまいます。


若い世代がシニア世代に求めるのは、ただ知識を教えてもらう、ということでは決してないでしょう。高齢者に必要とされるのは、豊かな経験知に基づく「知の加工力」だと思います。


つまり、若者たちがシニアと対峙するときに聞きたいのは、その人ならではのストーリーや人生観なのではないでしょうか。単純な知識しか得られないのだとしたら、わざわざ人に聞かなくても、ネットでサクッと調べれば十分です。


これまでの長い人生で培ってきた経験知は、シニア世代の最強の強みです。それを生かして、ユニークな考えや発想を生み出してみてください。いわば、思想家を目指すのです。


独創的な考え方ができたり、面白い話ができたりする人はいくつになっても魅力的ですし、人が集まってくるでしょう。


実際に認知心理学においても、「頭がよい」とは知識が多いことではなく、その知識を使って推論できることであるとされています。知識を持つことそれ自体でなく、その知識をどう自分なりに素敵に発展させていくのか、ということにその人の知性が表れるのです。


大きな夢を語れる人の脳は老化しない
前述のように、知りたいことは一瞬で調べられるこのAIの時代において、豊富な知識を持つことには、そこまで大きな意味はないと個人的には思います。


それよりも、周囲の人の想像の範疇を超えた、ユニークな夢や型破りなアイディアを語れることのほうが、ずっと人としての面白みや深みがあると思います。


型にはまらない発想ができるということは、知的冒険を叶えるということにつながります。枠にとらわれない自由な発想ができることこそ本当の知性です。そのような知性を持ち合わせた、話が面白く、独自性のある人は、いくつになってもモテるでしょう。


そして脳は新規のものを好みますから、自由な発想でのびのびと夢を語るときに、水を得た魚の状態になるのです。



「恥知らずだと思われたくない」「非常識な人間だとみなされたくない」という思いに縛られず、ぜひ知的な冒険を楽しんでみてください。


現状に足りないもの、実現したらよいものを見つけて提案できる人は、いつまでも脳の若さを保てますし、特にこれからの時代に輝いていくはずです。


皆さんも日常生活を送るなかで、シニア世代だからこそ感じるニーズや得られる発想が、きっとたくさんあるはずです。


たとえば、高齢者のおひとりさま向けのレストランがあったら居心地がよくて楽しそうだなとか、ずっと自分の行動を詳細に記録してくれるスマートウォッチがあったら、ものの置き忘れなどにも困らなそうだなとか。


あるいは交通量が多い横断歩道を渡るのはちょっと怖いから、シニアを乗せて運んでくれるドローンがあったらいいなとか、常にそういった課題やニーズを発見し、そのためのアイディアをのびのびと巡らせられる人は、脳や心の若々しさを保つとともに、生活に張りをもたらすことができるでしょう。


それだけでなく、この年齢になったからこそ得られた気づきが、そのままビジネスチャンスにつながり、人生が一変する可能性だって大いにあります。


まさに『ドラえもん』の世界ですが、「こんなことができたらいいな」とドラえもんに気軽に提案できる、のび太くん的な生き方を目指してみましょう。


そういう姿勢で過ごしていると、脳も思考もみるみる柔軟になっていくとともに、世の中を見渡すのが楽しくなっていくと思います。


ぜひ、大きな夢を描き、人に語ることを恐れないでください。「突拍子もないことを言って、人にどう思われるかな」などと気にする必要は、まったくありません。脳を元気にするのは、快活な積極性なのですから。












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4人で「死体ごっこ」

2024年11月25日 00時05分21秒 | 社会のことなど
4人で「死体ごっこ」

 バレンスエラ市パソデブラス地区で13日、布袋を道端に捨てて死体入りに見せかけようとした男4人が警察に逮捕された。

袋の中に入れられた人間を心配した市民がパトロール中の警官に通報。
1人が袋の中に入り、3人が隠れて、通行人が驚く様子をビデオで撮ろうとしていたことが分かった。「いたずらっ子」は1人が19歳で、残り3人は20歳。
「動画をソーシャルメディアにアップしたかっただけ」と自供。

騒動・不祥事を起こした容疑を問われ、外出許可証不携帯と社会的距離不保持という防疫条例違反の切符も渡された。(9日・テンポ)


9/2021

まにら新聞

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