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天賞文庫(大多喜町立図書館)と江澤金五郎 ・いすみ鉄道

2008年07月20日 | いすみ鉄道沿線の文学・歴史

天賞文庫(大多喜町立図書館)を知っていますか?

 天賞文庫        図書館内

いすみ鉄道・大多喜駅から大多喜城方向に歩いて15分ほどのところにあります。

図書館はたくさんありますが、天賞文庫は、県内最初の公立図書館です。

 

この大多喜町立大多喜図書館天賞文庫は、明治30年(1897年)10月、東京銀座天賞堂店主、初代江澤金五郎の遺志「我若し幸に成功せば郷里は勿論国家教育上に対し公益事業を起こさん」に基づき、弟江澤富吉及び二代目江澤金五郎が、郷里大多喜町に図書館を寄贈、天賞文庫と命名された。

千葉県最初の公立図書館であり、当初は二階建てのレンガ造りのモダンな建物であったが、関東大震災で崩壊寸前となり、使用不能となった。
その後幾多の変遷を経て、平成元年(1989年)8月、大多喜町により、鉄筋コンクリート造りで新築オープンし、文化の殿堂として現在に至る。

 記念碑    江澤金五郎氏

江澤金五郎氏は『近代商業のパイオニア』と称され、功績については市原充氏(北斎の源流・波の伊八で知られる行元寺住職 市原淳田氏)が、『夢を売った男』(崙書房)の中で、紹介しています。

江澤金五郎氏の功績は、企業の社会貢献の先駆けとなりました。
 

かの文豪・夏目漱石は天賞堂(東京・銀座)のイルミネーションにひかれ、ダイヤモンドの広告に魅せられ、著書『虞美人草』のなかで、しきりと天賞堂を登場させ、「ダイヤは人の心を奪い・・・・・」「イルミネーションをみて、あっと驚かざるべからず」と表現しています。

 
*資料は『あそうあきこさん』からお借りしました。


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4 コメント

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もしや☆ (ビアズリー)
2008-07-21 02:35:05
大多喜町というのは、すごいですよ~
私が無知なのか? PR不足だったのか?やっぱりお城があるところには歴史がありますね。ザクザク出てきそう。
銀座天賞堂は聞いたことがあります。立派な方ですね。
リンク先の本家?図書館のHPには歴史が載っていないのはもったいないです(>_<) 
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歴史にのっかっている事物。 (北海道)
2008-07-21 12:49:58
少しさかのぼれば、結構、みんなが知っている歴史に重なり合っているモノが、自分の身近にあるんですね!
北海道には、せいぜい、函館の五稜郭くらいでしょうか・・?

まして、図書館や他の建物に関して、聞いた事はないなぁ~・・・。

千葉には、そういう施設?がまだ隠れていそうですね!

また、こんな記事が発見されたら、是非読みたいですぅ~♪
宜しくお願いしますね♪
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大多喜だけじゃないですよ (ジャンヌ)
2008-07-21 23:45:03
この図書館の歴史には感動しますよね。
普通に利用している方、また大多喜城に行かれる観光客が、時代を超えて何かを感じてくれたら嬉しいです。

この天賞文庫だけじゃなくて、いすみ鉄道沿線には、いっぱいあるんですよ。

例えば、画家のゴッホや作曲家のドビッシーなどの芸術家たちに多大なる影響を与えたといわれている、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の源は・・・

中国の革命家・孫文を支えた、日本映画界の風雲児梅屋庄吉・・・

黒柳徹子さんを育てた自由学園とは・・・

大多喜城に関係する女優は・・・

『あるある・いすみ』です。
『いすみ鉄道ファン』にUPするつもりです。
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参考までに (ジャンヌ)
2008-08-11 02:10:02
☆日本で始めて本格的にダイヤモンドを販売し、そのダイヤモンドの存在を尾崎紅葉が『金色夜叉』の中で登場人物をとおして紹介した。
☆夏目漱石も『虞美人草』の中で、天賞堂のダイヤモンドとイルミネーションを紹介した。
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金五郎はアイディアマンと賞される。彼のアイディアはある日突如ひらめいた
のではない。上総の大多喜に在住していた若き日々からの、連日連夜の努力の
生活環境から生まれた。そのために、彼は読書を怠たらなかった。
時代を先どりする読書によって啓発され奮起した。
『西国立志編』がそれであって、これからの時代を予想するに敏感であった。

新しい時代は外国語を理解することから始まる。こう考えた彼は蘭語はもちろん、
英語から独・仏語にいたる辞典を集めて研究した。
ここからアイディアが閃いている。絵を加えたわかり易い『外来語辞典』の編纂
は画期的といえよう。西南戦争以降、中央集権的な考えは俄かに高まりをみせた。

地方での出版を断念して、彼は東京に出る。
裸一貫で当時の中心であった日本橋で出版をはじめた。
そして、これからの商業の中心は銀座にあるとして、不人気であったレンガ街に
店を構える。
事実、欧米の風の吹く銀座であり、文明開化の先端を歩む場所であった。
国内はもちろん、海外の情報もいち早く届く情報基地でもあった。

◎出典:『夢を売った男 近代商業のパイオニア天賞堂・江澤金五郎』
                        市原充著(崙書房)
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