鴨太郎さんから【いすみ鉄道に関して(長文失礼)】
ジャンヌさんの奮闘により、(吉田社長も大変そうですがお二方ともお身体にお気をつけて)大原や岬近辺の情報もだいぶ集まって来ました。ブログの性質上、時系列の面白さの反面地域情報を整理しての閲覧が難しいかも知れません。WIKI等も検討されると宜しいのでは無いでしょうか。いすみ鉄道周辺の観光情報を簡単に印刷出来れば、実際に行かれる方が増えると思います。
さて、皆様が盛り上がる中を水を差す発言が多いカモ知れませんが。いすみ鉄道を取り巻く環境は、銚子電鉄ほど単純では有りません。
一つには、文化、民俗性の異なる広い面積の自治体が関っていることです。主な出資者でも、千葉県、大多喜町、いすみ市(旧大原町、旧夷隅町、旧岬町 それぞれ分庁舎に割拠状態)、御宿町、勝浦市と旧夷隅郡市の各地域に跨っております。
海岸部には江戸時代から流入した紀州系の方々が多いのが銚子から白浜までの特徴です。しかし、一宮、大原近辺は従来の房総近辺の漁師だと言われています。
また、農村部は平将門以来の武家のバックボーンを支えた人々の末裔で源頼朝が三浦半島から逃げてきたのを助けた名族を生み出したエリアでも有ります。
方言や習俗が異なり、また千葉には珍しく交通の便の悪いエリアでも有って一体感の醸成が難しいのです。銚子のことで勝浦に援助を求めるのは容易ですが、大多喜のことで勝浦に援助を求めるのは難題です。
また、大多喜町は千葉県最大の町で有り、それと共に世が世ならの気分の強い所です。東北で言えば会津の様に明治維新負け組みなので不遇をカコッテ来た歴史と共に、それでも多くの県施設を誘致する強引さが有ります。良くも悪しくも大多喜の城(本丸)と大多喜高校(二の丸)が大きく価値体系に染み込んでいます。ドライブイン十万石の大名膳の張り紙に”家来共よ云々”のキャッチコピーが有って違和感を感じますがその精神性が他地域との連携を阻んでおります。
上下分離方式を県庁にゴリ押ししたのは私ですが、飽くまでもバス代替案との不公平性から無理押ししただけなので(バス転換か全額補助かの二択の間を作った)実際下部分の7000万円/年を周辺自治体が出資割合に応じて分担するのは先々無理が有ります。もっと、インフラ部分の不合理な出費を制限すると共に負担させられる自治体にメリットが有る様な鉄道で無いと、仮に4000万円/年を確保しても頓挫する可能性が有ります。財政の厳しいいすみ市がシャトルバスを増発して行きますが、本音として廃線による出費削減を狙っている可能性が有ります。
さりながら、逆から考えればこのエリアは山間部から海浜部、湾入している外海や多くの景勝地を抱えた一大観光地として捉える事が出来ます。文化性も多彩であり、ある意味日本の縮図なのです。本多忠勝公も宜しいですが、出世観音に見られるように頼朝がこのエリアを足がかりに全国を制覇した土地でも有ります。多くの文人が愛した温暖で景色の良い景勝地でありながら、いつか忘れられて人が足を向けなくなった場所です。一つには、甘えも有ったでしょう東京から近くホッテオイテモ客は来る。また、千葉県人特有の暢気な所や漁師町の荒い言葉も良くなかったのかも知れません。もう一度、磨きなおして宣伝をして都心や国際空港に最も近い観光エリアを活性化するのは如何でしょうか?
い鉄存続には利益を4000万円/年以上積む外に地域活性化への起爆剤として周辺自治体が潤う事が何よりも必要です。
大多喜の様に官が一生懸命後押ししてくれると、思わずそのペースに引き込まれますが。いすみ鉄道の最大のキーパーソンはいすみ市です。また、官主導で成功した街おこしは無いと言われるように民主導で考えないとコスト面でもその他の面でも上手くは行かない物です。
銚子電鉄関連で関東運輸局にネジ込んだ時に、国交省が発表してた上下分離をうまく使ったつもりが、インフラ部分は税金で出るんだからと関係者の多くが胡坐をかき出したのに自縄自縛な今日この頃です。
(写真:上)難攻不落を誇った万木城跡の展望台
=====銚子電鉄といすみ鉄道は違うのか?=======
(写真:下)前者は私鉄(貧乏)で後者は三セクですが。
どうも大多喜の方と話していて違和感を感じて居たのですが、前者は民間で後者は官営で偉いと思ってる節が有りますが。その時代錯誤は別にして。
”ぬれ煎餅買ってください電車修理代を稼がないといけないんです”の迷キャッチコピーを社員が苦し紛れにHPに書いたら。ネットで救援騒動が発生し、オンラインショップに1万件を超えるオーダー(=入金)が入りぬれ煎餅工場を終夜操業に、お菓子業者によっては休業に(疲労のため)、連日のTV報道でさらに加熱する中を国土交通省からの設備改善命令と絶対絶命の大ピンチを切り抜けた銚子電鉄が無ければいすみ鉄道も再生会議の方向どおりバス転換への道を辿ったでしょう。赤字ローカル線が補助を受けられなくなり廃線が立て続けに起きていたのが一昨年でした。結局利根川対岸の鹿島、日立は無くなったわけです。”鹿島さんも無くなったのに私どもは残れて申し訳無い”と感慨深げにおっしゃっていた専務のお言葉を覚えています。
さて、何故銚子電鉄には救援の手が差し伸べられたのでしょうか。一つは、鯛焼き売って空いた餡子の缶詰までチリトリにして売ると言われる銚子電鉄の体質。薄給どころか給料出てないのに電車を走らせるために苦闘している職員(未だにボーナスも残業代も出ません)。ヨタヨタの電車(新車買ったことは無いし)。そのとき世論が逆転劇を支援したのです。
どこかの鉄道会社の事は、ここでは羅列しません。
銚子電鉄の職員は皆地元で、入社してから車掌も整備も運転士もその他の仕事もこなせる電鉄マンです。本社業務(?)の人間も運転資格を持っています。よく言えば臨機応変にお客が増えれば持ち場を離れて電車の増結とポイント操作に走ります。ぬれ煎餅の機械にしても自分達で整備して街の業者に部品頼んで直します。苦手と言えば事務仕事位でしょうか。
銚子電鉄の廃線は、ある意味普通の流れでも有ったでしょう。
少子化による通学客の減少。
銚子駅前の商店街の衰退。
観光客の減少。
しかし、それを促進する事件も背景に有ったのも現実です。銚子電鉄を買収した工務店の自己破産に引き続き、前社長の横領。更に追い込みをかける行政。孤立無援で、罪の無い鉄道を守ろうとしていたのは24名の社員さんと同数のパートさん(ぬれ煎餅製造販売等)。一気に廃線にたたみ掛けようと、シャトルバス運行(銚子の話ですよ どっかの市では意図は判りません)、国土交通省への垂れ込み。厳しい冬の時代でした。
市からも国からも叩かれて青息吐息の鉄道は、一般の方の善意と身を粉にして働く社員さんの汗で走り続ける事が出来ました。
さて、い鉄に不足している要素は何でしょうか。
銚子電鉄は、観光面では恵まれています。電車は30分に一本往復で運転しているし。各駅から歩いていける所にいろいろな名所が有ります。千葉DCという神風も吹きました。
私は、思うのですが。今一歩社員さんが踏み込んでお客さんと接したら、また変わって行くのかもしれません。
写真:下は、昭和30年代の車両を使う小湊鉄道といすみ鉄道(上総中野)
ジャンヌさんの奮闘により、(吉田社長も大変そうですがお二方ともお身体にお気をつけて)大原や岬近辺の情報もだいぶ集まって来ました。ブログの性質上、時系列の面白さの反面地域情報を整理しての閲覧が難しいかも知れません。WIKI等も検討されると宜しいのでは無いでしょうか。いすみ鉄道周辺の観光情報を簡単に印刷出来れば、実際に行かれる方が増えると思います。
さて、皆様が盛り上がる中を水を差す発言が多いカモ知れませんが。いすみ鉄道を取り巻く環境は、銚子電鉄ほど単純では有りません。
一つには、文化、民俗性の異なる広い面積の自治体が関っていることです。主な出資者でも、千葉県、大多喜町、いすみ市(旧大原町、旧夷隅町、旧岬町 それぞれ分庁舎に割拠状態)、御宿町、勝浦市と旧夷隅郡市の各地域に跨っております。
海岸部には江戸時代から流入した紀州系の方々が多いのが銚子から白浜までの特徴です。しかし、一宮、大原近辺は従来の房総近辺の漁師だと言われています。
また、農村部は平将門以来の武家のバックボーンを支えた人々の末裔で源頼朝が三浦半島から逃げてきたのを助けた名族を生み出したエリアでも有ります。
方言や習俗が異なり、また千葉には珍しく交通の便の悪いエリアでも有って一体感の醸成が難しいのです。銚子のことで勝浦に援助を求めるのは容易ですが、大多喜のことで勝浦に援助を求めるのは難題です。
また、大多喜町は千葉県最大の町で有り、それと共に世が世ならの気分の強い所です。東北で言えば会津の様に明治維新負け組みなので不遇をカコッテ来た歴史と共に、それでも多くの県施設を誘致する強引さが有ります。良くも悪しくも大多喜の城(本丸)と大多喜高校(二の丸)が大きく価値体系に染み込んでいます。ドライブイン十万石の大名膳の張り紙に”家来共よ云々”のキャッチコピーが有って違和感を感じますがその精神性が他地域との連携を阻んでおります。
上下分離方式を県庁にゴリ押ししたのは私ですが、飽くまでもバス代替案との不公平性から無理押ししただけなので(バス転換か全額補助かの二択の間を作った)実際下部分の7000万円/年を周辺自治体が出資割合に応じて分担するのは先々無理が有ります。もっと、インフラ部分の不合理な出費を制限すると共に負担させられる自治体にメリットが有る様な鉄道で無いと、仮に4000万円/年を確保しても頓挫する可能性が有ります。財政の厳しいいすみ市がシャトルバスを増発して行きますが、本音として廃線による出費削減を狙っている可能性が有ります。
さりながら、逆から考えればこのエリアは山間部から海浜部、湾入している外海や多くの景勝地を抱えた一大観光地として捉える事が出来ます。文化性も多彩であり、ある意味日本の縮図なのです。本多忠勝公も宜しいですが、出世観音に見られるように頼朝がこのエリアを足がかりに全国を制覇した土地でも有ります。多くの文人が愛した温暖で景色の良い景勝地でありながら、いつか忘れられて人が足を向けなくなった場所です。一つには、甘えも有ったでしょう東京から近くホッテオイテモ客は来る。また、千葉県人特有の暢気な所や漁師町の荒い言葉も良くなかったのかも知れません。もう一度、磨きなおして宣伝をして都心や国際空港に最も近い観光エリアを活性化するのは如何でしょうか?
い鉄存続には利益を4000万円/年以上積む外に地域活性化への起爆剤として周辺自治体が潤う事が何よりも必要です。
大多喜の様に官が一生懸命後押ししてくれると、思わずそのペースに引き込まれますが。いすみ鉄道の最大のキーパーソンはいすみ市です。また、官主導で成功した街おこしは無いと言われるように民主導で考えないとコスト面でもその他の面でも上手くは行かない物です。
銚子電鉄関連で関東運輸局にネジ込んだ時に、国交省が発表してた上下分離をうまく使ったつもりが、インフラ部分は税金で出るんだからと関係者の多くが胡坐をかき出したのに自縄自縛な今日この頃です。
(写真:上)難攻不落を誇った万木城跡の展望台
=====銚子電鉄といすみ鉄道は違うのか?=======
(写真:下)前者は私鉄(貧乏)で後者は三セクですが。
どうも大多喜の方と話していて違和感を感じて居たのですが、前者は民間で後者は官営で偉いと思ってる節が有りますが。その時代錯誤は別にして。
”ぬれ煎餅買ってください電車修理代を稼がないといけないんです”の迷キャッチコピーを社員が苦し紛れにHPに書いたら。ネットで救援騒動が発生し、オンラインショップに1万件を超えるオーダー(=入金)が入りぬれ煎餅工場を終夜操業に、お菓子業者によっては休業に(疲労のため)、連日のTV報道でさらに加熱する中を国土交通省からの設備改善命令と絶対絶命の大ピンチを切り抜けた銚子電鉄が無ければいすみ鉄道も再生会議の方向どおりバス転換への道を辿ったでしょう。赤字ローカル線が補助を受けられなくなり廃線が立て続けに起きていたのが一昨年でした。結局利根川対岸の鹿島、日立は無くなったわけです。”鹿島さんも無くなったのに私どもは残れて申し訳無い”と感慨深げにおっしゃっていた専務のお言葉を覚えています。
さて、何故銚子電鉄には救援の手が差し伸べられたのでしょうか。一つは、鯛焼き売って空いた餡子の缶詰までチリトリにして売ると言われる銚子電鉄の体質。薄給どころか給料出てないのに電車を走らせるために苦闘している職員(未だにボーナスも残業代も出ません)。ヨタヨタの電車(新車買ったことは無いし)。そのとき世論が逆転劇を支援したのです。
どこかの鉄道会社の事は、ここでは羅列しません。
銚子電鉄の職員は皆地元で、入社してから車掌も整備も運転士もその他の仕事もこなせる電鉄マンです。本社業務(?)の人間も運転資格を持っています。よく言えば臨機応変にお客が増えれば持ち場を離れて電車の増結とポイント操作に走ります。ぬれ煎餅の機械にしても自分達で整備して街の業者に部品頼んで直します。苦手と言えば事務仕事位でしょうか。
銚子電鉄の廃線は、ある意味普通の流れでも有ったでしょう。
少子化による通学客の減少。
銚子駅前の商店街の衰退。
観光客の減少。
しかし、それを促進する事件も背景に有ったのも現実です。銚子電鉄を買収した工務店の自己破産に引き続き、前社長の横領。更に追い込みをかける行政。孤立無援で、罪の無い鉄道を守ろうとしていたのは24名の社員さんと同数のパートさん(ぬれ煎餅製造販売等)。一気に廃線にたたみ掛けようと、シャトルバス運行(銚子の話ですよ どっかの市では意図は判りません)、国土交通省への垂れ込み。厳しい冬の時代でした。
市からも国からも叩かれて青息吐息の鉄道は、一般の方の善意と身を粉にして働く社員さんの汗で走り続ける事が出来ました。
さて、い鉄に不足している要素は何でしょうか。
銚子電鉄は、観光面では恵まれています。電車は30分に一本往復で運転しているし。各駅から歩いていける所にいろいろな名所が有ります。千葉DCという神風も吹きました。
私は、思うのですが。今一歩社員さんが踏み込んでお客さんと接したら、また変わって行くのかもしれません。
写真:下は、昭和30年代の車両を使う小湊鉄道といすみ鉄道(上総中野)