散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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地下鉄ダブル遅れ

2014-11-20 07:44:55 | 日記

2014年11月20日(木)

 戻って昨日のこと。

 階段を降りきって驚いた。朝の目黒線ホームに人が溢れている。並んだ人々の最後尾がホームの反対側まで伸びて、その背後にぎりぎり一人が歩ける幅しか残っていない。さすがに珍しいほどの混雑である。三田線の列車故障の影響だとアナウンスが言い訳している。

 10分遅れで到着した電車は駅ごとに発車遅れを加算して、溜池山王では25分遅れである。この間、身動きままならぬ車内で30分余りの棒立ちを強いられ、降りた時には膝が固まっていた。こういう時に年齢を感じるのだ。歩いてほぐしながら千代田線のホームに移動したら、千代田線がこれまた遅れだという。こんなことは珍しいが、遅れ自体は毎日頻繁に起きているし、実感として確かに頻度が増している。増す理由があるのだ。

 以前は鉄道会社ごとに分離されていた私鉄・地下鉄が、ここ10年ほどで(?)飛躍的に相互乗り入れを進めた。便利なようで大きな不便を生じるのは、前にも書いたとおり。埼玉で起きた小さな事故が、規模を増幅しつつ東京を跨いで神奈川まで波及する。局地的な乱れを吸収するどころか、拡大・発散する厄介な特性 ~ ポジティヴ・フィードバック ~ をこのシステムは必然的に備えている。情報理論の専門家ならたちどころに指摘したはずのことだが、そうした検討は事前に為されただろうか?おおかた、相互乗り入れ促進による利便性の向上と経済効果が強調され、副作用は(不当に)軽視されたのだろう。

 この主の「波及的混乱」は、現場の鉄道マン達には相当の負荷になっているはずである。対応に追われる物理的・経済的費用ばかりでなく、精神的ストレスが耐えがたいのではないかしら。そのことをトップは予測したか、配慮したか、それを問いたい。いずれ見直さねばならない時が来るはずだ。

 僕にとってもストレスフルである。満員電車の棒立ちなどはエクササイズと割り切るけれど、ちゃんと定刻に家を出たのに、着いた先では最初の患者さんを30分待たすことになった。

 これは、不快きわまりない。


神田紅 ⇒ 塙保己一 ⇒ ヘレン・ケラー

2014-11-20 06:02:42 | 日記

2014年11月20日(木)

 先週の土曜日は久しぶりに仕事のない土曜日で(!)、家で過ごした後、夜には Coro sono の定演を聞きに行った。4年生の次男の最後の機会だというんだが、家族は誰も信用していない。来年は大学院生として歌ってるんだろう。

 若者の歌声で良い心持ちに腹が減り、往路に見つけておいた台湾料理屋で夕飯にした。店名に「客家(はっか)」の語が入っている。そうか、台湾には客家の人々が多く入っているのだった。広々としつらえた壁にお決まりのごとく有名人の色紙、その中に講談の神田紅(かんだ・くれない)の名前がある。「荻窪講談紅の会」というのを10年近くも続けており、この店を贔屓にしているんだそうだ。

 おばちゃんのくれたチラシで演題を見ていたら、中に『塙保己一』というのがある。

 「あのヘレン・ケラーにも影響を与えた江戸時代の偉人。たった一人で上京した少年辰之助の時代から総検校に登りつめる迄の出世物語」・・・ん?

 

 総検校は江戸時代の盲人官職の最高位、この時代に盲人が一定のあり方で尊重され、重用もされたことについては、一度ふりかえっておかないといけない。明治維新以降、そうした側面はいったん後退したのではないかと思われる。制度を詳しく調べるまでもなく、盲目の偉人の名がいくつも僕らのところまで伝わっている。八橋検校をはじめとする邦楽で特に顕著だが、面白いところでは石田流三間飛車を編み出した将棋指しの石田検校がある。(囲碁にはいない。さすがに難しそうだが、黒白を触って弁別できる道具を使えば、案外わからないと思う。うん、わからないよ。)

 そして塙保己一だ。延享3(1746)年~文政4(1821)年、江戸時代の盲目の国学者。『群書類従』『続群書類従う』の編纂で知られる。短期ながら賀茂真淵に教えを受け、門人に平田篤胤や頼山陽がいる。『群書類従』の版木を20字×20行に統一したのが原稿用紙の起源になったとか、『源氏物語』の講義中に風でロウソクの火が消え、弟子達があわてたところ、「目あきとは不自由なものじゃ」と笑ったとか、逸話も多い。

 偉人に違いないが、ヘレン・ケラーだって?もちろん、あのヘレン・ケラー(1880-1968)だ。

 半信半疑で検索してみたら、あったよ・・・

 

【ヘレン・ケラー温故学会を訪問】

 三重苦のヘレン・ケラーが塙保己一を顕彰する社団法人温故学会を訪れたのは、昭和12年4月26日のことだった。

 午後4時すこし前、2台の自動車が玄関に横づけされ、トムソン嬢に介添えされたケラーは静かに敷石の上に降り立った。

 温故女学院の生徒や関係者一同が歓迎するなか、理事長斎藤茂三郎が先導し、通訳森岡正陽、関西大学教授岩橋武夫夫妻らと共に、版木倉庫から講堂へと進んだ。

 講堂に入ると、「塙保己一像」や「塙保己一愛用の机」に触れ、トムソン嬢とケラーの指とがしきりに動いて会話している。満員の参加者は何事も見逃すまいとこの光景を眺めていた。

 かくして、心ゆくまで保己一の偉業に接したケラーはトムソン嬢から森岡通訳を経て、次のように感想を述べた。

 「私は子どものころ、母から塙先生をお手本にしなさいと励まされた育ちました。今日、先生の像に触れることができたことは、日本訪問における最も有意義なことと思います。先生の手垢の染みたお机と頭を傾けておられる敬虔なお姿とには、心からの尊敬を覚えました。先生のお名前は流れる水のように永遠に伝わることでしょう」

 (塙保己一資料館: http://www.onkogakkai.com/hellen_keller.htm)

 

  驚いた。そして嬉しいことだ。しかし、ヘレンの母は、誰から塙のことを聞いたのだろう?そしてその人物はまた、どこからどうやって?

   


福島へ往来

2014-11-19 07:30:24 | 日記

2014年11月18日(火)

 一週間前の火曜日は7時渋谷集合で、相馬まで日帰りの取材。福島出身で震災後も福島に留まり続けた臨床心理士Sさんに、じっくり話を聞きに行ったのだ。そのごく一部分を、放送教材の14回目で使うのだけれど、今は使えない部分がいつかきっと意味をもってくる。あるいは既に意味をもっている。

 今日は10回目の収録、前回より慣れてはきたが、どうもTVは好きになれない。というかTVに好かれていないらしい。スタッフに抱えられてどうにか運んでもらっているけれど、何だか性に合わないんだな。何が合わないか、あらまし見当はついているが、どうもしようがない。

***

 「カンガ、あの人は才女じゃないや、でもルーかわいさに何とかしちゃうんだろう」

石田桃子の名訳、ふと原文が気になった。

 There's Kanga. She isn't Clever. Kanga isn't, but she would be so anxious about Roo that she would do a Good Thing to Do without thinking about it.

 なつかしいな、受験必須の so ~ that の構文だ。

 do a good thing to do without thinking about it.

 なんて素敵なこと!

 E.H. Shepard の挿絵がいつ見ても良い。草地を渡るイングランドの風が薫るようで、行ったこともないのにひどく懐かしい心持ちがする。ディズニーの「プー」はまったく別のもので、このあたりからディズニーの「世俗化」が顕著になったのだ。

 「世俗化」って妙だな、でもそんな感じのことだ。

***

 夜、宅急便が届く。段ボール箱の様子が、田舎からのものと少し違っている。Sさんからだ。

 開けて最初に見えたのは、包む新聞紙の「福島民友」の文字。
 その下に次から次へと新鮮な野菜が現れ、歓声しきり。 数え上げれば・・・

 水菜、ほうれん草、ポエム(初めてだ!)、チンゲンサイ、白菜、ピーマン、 かぼちゃ、大根、長芋、ハヤトウリ(初めてだ!)、里芋、以上11 種類に、ずっしり重たい米までも。

 福島の誇りだ。

 Sさんが被災後の浜通りで臨床活動を続ける間、中通りの御実家では風評被害に耐えて作物を育て続けていた。そのひたむきが箱に一杯。

 後光がさしている。

 


「おらぶ」

2014-11-17 20:17:35 | 日記

2014年11月17日(月)

 早くも一昨週の土曜日になるが、都内の学習センターで修論ゼミを開催した。北海道と青森、福岡と広島、遠隔地から院生が集まってきて、いつもながら熱気が室内に充満する。

 福岡のSさんは「聞き書き」の分析が大詰めを迎えている。自分の人生など語るに値しないと、事実つらいことの連続であった70年、80年を語って聞かせた高齢者たちが、できあがった記録を贈呈され目を細めて喜び、これは自分の宝だと異口同音に愛おしむ。

 言葉の力、人間の不思議である。当然のこととして、ある宿題が僕に降ってくる。

 

 パワーポイントで示された聞き書き記録の一部に、「おらぶ」という言葉が出てきた。

 「博多でも『おらぶ』と言うんですね」

 「言います、普通です。」

 「広島は?」

 「ありますけど、若い人、特に女の子などは言いません。」

 「Perfume は?」

 「いわない、いわない」と笑いが起きる。

 「『おらぶ』って、何ですか?」と千葉出身者。

 「さけぶ」「わめく」と口々に答える。そういうことだ。

***

 辞書で確かめてみる。

【喚(おら)ぶ】〔四国・九州方言〕さけぶ。「子どもが ー 」

【叫ぶ・哭ぶ】 大声でさけぶ。わめく。「後れたる菟原壮士(うないおとこ)い天仰ぎ ー び」(万葉集1809)

 上はサンコク、下は大辞林、またしても特徴がくっきり分かれた。今度は痛み分け、足して一人前というところかな。方言のことも、古典の用例も、ともに捨てがたいからね。古語が中央で消え、方言に残るのは例のごとくだけれど、もともと西日本の言葉ではあったのかもしれない。

 菟原壮士は固有名詞、菟原処女(うないおとめ)伝説に登場する。津の国(摂津)生田川あたりに住んでいた菟原処女が菟原壮士と血沼壮士(ちぬおとこ)の二人に求婚され、どちらとも決めかねて川に身を投げる。真間手児奈(ままのてこな)の関西版だ。ともに万葉集に詠まれている。というか、高橋虫麻呂らが双方を詠んだのだ。心やさしい乙女の同型の物語が、西にも東にもあったんだね。

 手児奈のほうは千葉・市川の市川真間がその舞台で、手児奈堂という小さな祠のようなものがあったのを、大学教養部の帰りに訪ねてみたりした。二人の求婚者の描き分け、その社会的背景の対照などは、菟原処女伝説の方がシンプルですっきりしている。墓と称するものが、神戸市の灘区・東灘区などに数箇所あるようだ。

 行ってみようかな。

 


「みだりにとなえる」(続き)

2014-11-17 07:37:17 | 日記

2014年11月15日(日)

 例によって、各国語がどう訳しているかを見てみる。各国語といったって、いろんなバージョンがあるわけだから、その国語を代表する訳とは言えないわけだけれど。

 You shall not make wrongful use of the name of the LORD your God, for the LORD will not acquit anyone who misuses his name.

(NRSV)

 

 Mißbrauche nicht den Namen des Herrn, deinesGottes, denn der Herr wird heden bestrafen, der das tut.

(Die Bibel in heutigem Deutsch)

 

 Tu ne prendras pas le nom de l'Éternel, ton Dieu, en vain; car l'Éternnel ne tiendra pas pour innocent celui qui prendra son nom en vain.

(La Sainte Bible, Société Biblique Francaise)

 

 う~ん、そうなの?

 misuse(英)、mißbrauchen(独)、prendre en vain(仏)、話はかみ合っている。「間違った使い方をしてはならない」というのだ。「間違った使い方をする」は、さしあたり感情や避難の色合いを含まない冷静な表現だろう。「みだりに」もその系列にきれいに収まっている。

 slander はどこへ行った?熱情的とも言いたいような激しい難詰の調子は?

 

 ひょっとして七十人訳からの転訳の影響かとも思うが、仏聖書協会版は表紙にわざわざ「ヘブル語・ギリシア語原典から(直接)訳出」と注記してある。

 う~ん・・・