2015年10月14日(水)
Facebook はよく分からないし、得体の知れない「友だち」がお化けか何かのように顔を出すのが薄気味悪いので手を出さずにいる。ただ、名古屋の友人らが集っているところにだけは登録らしきことをしたので、そのコアメンバーが登校する写真だの何だのは見ることができ、300kmの隔たりを感じずに済むということがある。以上が伏線。
今日はコース教員総出の作業で、長い一日になる。往時の稲刈りみたいなもんかな。京葉線を降りる寸前にスマホに着信の気配あり、チェックして「おっ」と小さく言い、それからニンマリ笑った。誓い通り「ながらスマホ」はしない。震災直後は公衆電話のボックスがねじ曲げられたように傾いていたのが、跡形もなく修復された海浜幕張駅前を横切り、コンビニと駐輪場の間を抜けて道を渡る。ホテルの本館と新館の間を抜けてもう一本道を渡り、海浜公園に入ればちょっとした別天地。ヤマモモの林から、広い芝生道に出てぐるりを見渡す。うろこ雲を浮かせた青空の下、半径100m以内に人影はない。これなら許されるだろうとスマホを取り出し、電話番号に触れる。トゥルルル・・・
「はい、もしもし」
「石丸です、東京の」
「あれ石君、久しぶりだがね、あんた元気にしとるの?」
「ケイちゃん、誕生日おめでとう」
「えー覚えとってくれたの、嬉しいわあ!」
「よう覚えとったがね、ケイちゃんの誕生日は忘れんわ」
フェイスブックにメッセージが出たからとか、そういう野暮なことはもちろん言わない。こっちの言葉も瞬時に名古屋弁に切り替わるのが、自分でも可笑しくて仕方がない。
ケイちゃんは汐路中学校時代の仲良しである。斉木画伯は3年B組の同級生で、ケイちゃんは2年G組の時だ。仲良しといっても彼女のBFみたいなのは別にいて、僕はその少年の親友だった。そんな位置取りが案外長続きするのは、どこでもあるんだろうと思う。
高校で上京した後ケイちゃんが手紙をくれて、そこに制服姿の写真が同封してあった。それを見た東京の級友が「可愛い!」と目を丸くし、石丸は名古屋に可愛い彼女がいると囃したりしたが、残念ながらそういう展開はなくて。
ケイちゃんはその後、酒屋のおかみさんになった。造り酒屋ではなく、町中の販売店である。彼女の人生は名古屋市瑞穂区で完結している。そこで生まれ育ち、学校に通い、嫁いだ。いつも朗らかで、ものすごくおしゃべりで、お節介なぐらい親切だが不思議に押しつけがましくなく、誰かを憎むということ ~ 少なくとも憎み続けるということが、たぶんできない。中高一貫の進学校などに行ったら、ケイちゃんのような友だちはどう逆立ちしたってできなかっただろう。
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それにしても、これがスマホの効用(SNSの、というべきか)であることは認めざるを得ない。僕は無精なので、名古屋の友人たちを心から懐かしいと思っても、手間ヒマかけて連絡するようなことが続かない。フェイスブックからお節介な誕生日リマインダーが入り、御丁寧にもケイちゃんのケータイ番号まで示されるのでなかったら、こんな電話はゼッタイにしていない。確かにすばらしく便利であり、僕のように生い立ち上全国に知り合いが散らばっているような人間には、とりわけありがたいのである。
だからこそ、あらためて思うんだが・・・
電車の中で見まわせば、乗客のまず8割はスマホをいじっている。ゲーム党が半分、ネットサーフィンだのメールだのラインだのが残り半分だろうか。僕の用途は全く違っていてメモや作文の機能が殊の外ありがたく、出先で書き留めたことをそのままオフィス作業の素材にできることで、今後どれだけ助かるか分からない。加えて今朝のケイちゃんとのコミュニケーションである。ゲームは全く要らない。インターネット検索はなるほど便利だが、なくても構わない。電子手帳の超進化版が僕にとってのスマホの効用なのである。
つまり何のことはない、スマホは要するにその人間を現すのだ。皆がスマホの使い方を通してそれぞれの正体を現している。考えてみれば相当に怖いことである。
もうひとつ、あるいはだからこそ、ながらスマホ・歩きスマホの危険性をあらためて実感する。法をもって規制することすら、仮にそれが実効性をもつなら考慮してよい。ただ、実効性はあまり期待できないかな。どうだろう。