散日拾遺

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尊攘論の感覚的根拠/二期作見たか

2018-08-02 08:04:05 | 日記

2018年8月1日(水)

 

 南国の海岸線を見下ろしながら、ちょうど読んでいたくだり:

 「小説を書き進めながら私は、尊王攘夷論という社会思想を頭で理解しているにすぎないことに気づきはじめていた。それは歴史書に書かれている抽象的な知識の範囲にかぎられていて、通り一遍の認識だけで書いているという思いが胸にきざし、たしかな実態をつかんでもいないのに書き進めているという、鬱陶しい後ろめたさが日増しにつのるようになっていた。

  私の筆は、次第ににぶりかちになった。私は、あらためて尊王攘夷論の基本について先入見にとらわれることなく考え直してみた。

  私の胸に、尊王攘夷論を初めに唱えた水戸藩の学者会沢正志斎、藤田東湖の書いた論文の内容が、不意に浮かび上がった。かれらが尊王攘夷論を唱えたのは、水戸藩領に面した海を強く意識したことによるものであるということを。

 当時、世界的に捕鯨業が最高潮に達していて、鯨の群れる日本近海には各国の捕鯨船が集まり、ことにアメリカの捕鯨船がハワイを基地にして殺到していた。

  水戸藩領に面した海の沖には、アメリカの捕鯨船が二百艘も操業していると言われ、船員の上陸騒ぎも起きていた。沖に出た藩領の漁師が捕鯨船と接触して、それに乗って仕事を手伝ったり、物品を謝礼として受け取ったりもしていた。それを知った会沢らは深く憂慮し、さらに藩領の海岸線の状態に激しい危機感をいだいた。海岸はゆるやかな線をえがいていて平坦で、外国の兵力が上陸するのに適している。

  しかも藩領から江戸は近く、その海岸線に上陸した外国の軍勢が江戸に進軍して占領すれば、容易に日本を支配下におさめることがてきる。

  そのような事態になることを危惧した会沢らは、尊王攘夷論を唱えて有志たちに鋭く警告し、それは水戸のものだけではなく諸藩の人々に大きな刺激をあたえ、ままたたく間に全国に浸透していったのだ。

  尊王攘夷論の根底にあるのは水戸藩領の海岸線だということを知った私は、初めてその社会思想を具体的に理解し、確実に手につかむことができた。

  それに気づかず文字をつらねてきた私の小説は、なんの意味もないのを知った。

  私は、252枚の原稿を手に書斎から庭に出た。」

吉村昭『史実を歩く』文春新書 P.166-8

***

 空港から市内に向かう窓から南国の水田を眺めていて、ふと腰が浮いた。この写真ではない、うまく写真に撮れなかったのだが、早くも黄金色に頭を垂れる一枚と並んで、新たに水を張った泥田が見えたような気がしたのである。二期作?まさか。

 確かにこの地域は嘗て二期作の本場だったが、労働のきつい割に生産性が上がらない等の理由で ~ "生産性"はこういう文脈で使う言葉である ~ 既に行われなくなったと聞いた。目的地のT病院に着き、打ち合わせの合間にS先生に伺っても、「今は行われません」ときっぱり否定なさる。

 それでもネットには「一部で試験的に行われている」とも書かれてある。自分の見たのは、その珍しい一部の風景、そういうことにしておこう。

Ω


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