6月2日(火)に書き忘れたこと。
愛知SCで卒研指導を終え、地下鉄のホームに立ったところで、ふと妙な感じがした。壁に掛かった広告の絵が下のものである。
この画像ではイマイチだね。描かれた豆腐と厚揚げのリアルなことが、言ってみればフェルメールが中世フランドルの生活風景を活写したのと同質のものを見るような、そんな気がしたのだ。とんでもない勘違いかも知れないけれど。
で、その絵がどこで見られるかというと、「あべのハルカス美術館」だというので、ひとつは名古屋の地下鉄で大阪の美術館の広告を見る面白さがある。
かててくわえて、そこでやっているのが「開館1周年記念特別展覧会」すなわち、『昔も今も、こんぴらさん ─ 金刀比羅宮のたからもの ─ 』だという。
そこで僕は江戸時代後期あたりの日本に、卑俗な対象を精密に写実する絵画といったものが自生していたのかと早合点して、心が右往左往おちつかなくなっていたのであるらしい。だって金比羅さんと言えば、下記で有名だったりするんだから。
重要文化財《遊虎図(東面)》(部分)
円山応挙 天明7年(1787) 金刀比羅宮蔵
そんなわけないよね。『豆腐』は高橋由一(たかはし・ゆいち 1828-1894)の代表作の一つで、さらに超有名な『鮭』と同時期、つまり1876-77年に描かれている。もの知らないのは私でしたという次第。
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6月6日(土)
忙しい週の終わり、土曜日閉店間際の八重洲ブックセンターに足を運んだのは、吉田碁盤店の個展案内をもらっていたからである。2年前になるか、石倉先生のお口添えでわが家の碁盤を見事に再生してもらった、その御礼かたがた目の保養をしたかったからである。
囲碁関係者で賑わうかとは思いのほか、会場には好事家らしい一組の男女だけで、これに碁盤師の仕事着(正しくはなんというのだろう?)に身を包んだ30代半ばの男性があれこれ説明している。やがて、この人が吉田家の跡取り ~ 将来の四代目であることが分かった。僕と同年代の三代目は、「申し訳ありません、先ほど棋士の先生 ~ 福井先生がおいでになって、一杯やろうとおっしゃるので出かけまして。」福井先生とは、古碁の発掘に尽力し、囲碁史に関する執筆が多数ある福井正明九段のことか。残念、会って挨拶したかった。
やがて男女連れも去って行き、「四代目」からじっくり話を訊けたのは楽しかった。カヤ材や蛤の現状のことなどは、楽しい話題。中国の碁盤展に出品を誘われ、準備万端整えたところで先方の事情で中止になったこと、これに出品するため搬送途上であった卓上盤などがなかなか戻ってこないことなどは、難儀な話題である。これなどは日本の文化保護に関することで、政府が動いてくれても良いはずのものだ。
いずれまた買い物をと思いますが、今日はこれでと懇ろに挨拶して店を出たら、エレベーターホールのあたりで「四代目」が駆けてきた。「どうぞお使いください」とおみやげにくれた小物が、下記の小さなひょうたんである。色の濃い小ぶりなもの(左)は槐(エンジュ)、色の薄い大きな方(右)は桑だそうである。
ひょうたんは中から知恵が出そうでいかにも縁起が良いが、実用的にはどう使うのかと訊いたら、「対局中に手先の静電気をおさえるため」なのだそうだ。盤に向かうと緊張もあって、指先が湿ることが多いような気がする。静電気が生じる場面が僕には想像しにくいけれど、何はともあれよくできた細工物である。
締まりかかったエレベーターの中から、あらためて礼を言った。