2016年3月14日(月)
コメントありがとう。
鈴木霞さん、そうでしたね。あの場で名前を思い出せなかったけれど、薄情者と思わないでください。沙羅の会のスタッフの中にいた元・院生さんたちも、顔は覚えておりどんな学生だったかも思い出せるのに、名前が出なくて教えてもらわなければならかったんですから。
つい最近、わが家で良寛さんの手まり歌が話題になり、「手まりつきつつ、この日暮らしつ」の結句は分かるのに、発句が出ないでもどかしい思いをしました。答はあなたと同じ「霞」です。
霞立つ長き春日に子どもらと手まりつきつつこの日暮らしつ
いいお名前ですね、そう思うでしょう?キラキラネームとは違う、のどかに和やかでいて、決して古びない名前です。
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良寛さん(宝暦8〔1758〕年 - 天保2〔1831〕年は万葉集に傾倒していたらしく、この歌も万葉風の長歌/反歌セットだったようです。かつ、「霞立つ 長き春日」は万葉の歌の本歌取りなんですって。
霞立つながき春日をかざせれど いやなつかしき梅の花かも (巻5の846)
作者は小野氏淡理(おのうじのたもり)、タモリさんですね。
良寛さんの長歌/反歌を転記しておきましょう。
『手毬をよめる』
冬ごもり/春さりくれば 飯(いひ)乞ふと/草のいほりを 立ち出でて
里にい行(ゆ)けば たまほこの/道のちまたに 子どもらが/今を春べと 手まりつく
一二三四五六七(ひふみよいむな)汝(な)がつけば/我(あ)はうたひ あがつけば なはうたひ
つきて歌ひて 霞立つ/長き春日を 暮らしつるかも
【反歌】
霞立つながき春日に子供らと てまりつきつつこの日暮らしつ
http://blogs.yahoo.co.jp/kurashiki_prince/18908935.html より拝借