散日拾遺

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素人通訳

2015-04-14 06:51:17 | 日記

2015年4月14日(火)

 

 「99パーセント負けると思っていたけど、百パーセントじゃない。その1パーセントに何が起こるかわからないのがボクシングだと、自分に言い聞かせていました」

 それを日系人らしい若い男が英語に言い直した。

 「百パーセント負けると思っていたが、幸運にも勝つことができた」

 広岡は、まったくニュアンスの違う言葉になっていることを、ナカニシのために残念に思った。彼の言葉を正確に会場の観客とテレビの視聴者に伝えてあげたかった。

(中略)

 「ミラーの試合を録画で何十回も見て、攻撃も防御も完璧なボクサーだということはわかっていました。僕なんかとレベルが違う。でも、相手を追いつめてラッシュをかけているとき、頭からボディー、特に脇腹に右で決めのフックを叩き込もうとするとき、左のガードが一瞬だけ大きく下がることがあるのに気がついたんです。ミラーのディフェンスに穴が空くのは、そのときだけです。だから……」

 ところが、そこで、通訳はナカニシの話の腰を折り、勝手に「通訳」しはじめた。

 「ミラーはエクセレントなボクサーです。自分とは比べものにならない。あのパンチはラッキーパンチでした」

 広岡は、話をまったく異なる方向に要約してしまう通訳に腹を立てたが、一方で、ナカニシというボクサーの頭のよさに驚いていた。

(『春に散る』沢木耕太郎 ルート1 12・13回目)

 

***

 

 今週の日・月曜の朝刊から。筆者はもうずいぶん前に『一瞬の夏』を同じ朝日に連載していた。記事はろくに読まず、そこだけ追っていた自分が何歳だったのかな。単行本の出版が1981年だから、その直前の連載だったはずだ。

 

 ここに出てくる「通訳」は、たまたま会場にいた日本語の分かる者を臨時起用した素人らしく、でたらめな要約もあながち責められない事情がある。現実世界では、それで金を取る玄人が似たようなでたらめをするから、始末が悪い。映画の字幕など、驚きあきれることが珍しくない。

 他人事じゃないのだ、僕らの翻訳も時間不足で追いつめられている。同様の仕儀になったら、申し訳が立たない。


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