散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

困難の性質

2020-04-15 08:17:01 | 日記
2020年4月14日(火)
 イースターの翌日は横なぐりの烈しい風雨が終日続き、そのさなかにS姉が急逝された。新型コロナとは無関係の、古くて新しい病気によるものだった。
 まだ70代で溌剌とした立ち居振る舞いはそれよりずっと若く、前週にはいつも通り当番の仕事にあたっておられたのだから、聞いて絶句したことは言うまでもない。夜に入っての訃報になかなか寝つかれず、他から知らせを受けた次男は夜中にメールをよこし、家人は明け方から起き出すという具合で、皆が皆「安寝しなさぬ」狼狽ぶり。まして御家族の悲嘆は想像すべくもない。
 今日が前夜式、明日が告別式、常ならば教会員一同がこぞって参集するところ、現状ではそれが許されない。御家族の側からいち早く会葬は固辞するとの伝達があった。
 現在われわれが直面している困難は、要するにこういう性質のものである。
 人が社会的動物であるということは、何かにつけて寄り集まり、言葉を交わし、身体的に接触したがるものであるというに他ならない。そのようにして泣くものとともに泣き、喜ぶものとともに喜ぶのである。
 三密を避けよ、ソーシャルディスタンスをとれというのは、社会的動物としての自然な欲動に蓋をせよということだ。この時とばかりSNSを活用する者はするだろうが、それにも限界のあることが端的に示された形である。
 起床後にたどたどしく手紙を書き、人気のない教会のメールボックスに届けた。がらんとした会堂で、牧師と奏楽者、出入りの葬儀屋らがマスク姿で黙々と準備を進めている。せめて出棺の際に遠くからでも見送りたいと考えたが、明日は本務先のweb会議で一日モニターの前にいなければならない。
 この種の落胆とフラストレーションが国中に満ちているのが、まさしく現状というわけである。
***
 また別の意味で、今回考えさせられているのがウィルスという存在についてである。いわゆる病原体の中に細菌、リケッチア、プリオン、ウィルスなどがある、そういう図式で理解していたが、これではウィルスというものをいささか矮小化していることになるかもしれない。少なくとも、これまで縦に見ていたものを横に見直す必要がありそうだ。
 つまり・・・
 ウィルスというのは「核酸分子」という単純にして強力な巨大ファミリーの一亜型に他ならない。低分子の小ユニットが延々と連結して巨大高分子を作り上げるという点で、核酸はタンパク質や炭水化物と類似している。ただ一つ異なるのが、自己と同じものを無際限に複製できるという希有の特性で、それを支えるのが核酸塩基の相補結合というエレガントなカラクリである。
 僕らの発想は「核酸=遺伝子」というところから出発し、細胞核の中に「箱入り娘」のように秘蔵されているDNAがRNAを介して御簾の外へ情報を発信する標準型を知ったうえで、それとは違って広い世間を自在に跳梁するウィルスという存在を学び、こいつはそれ自体の箱物をもたず他人様の細胞の軒を借りて母屋を乗っ取る式の、ゲリラ的な戦術が身上なのだと教わって仰天する。
 その順序で教わるので、それが標準であり逸脱であるかのように(少なくとも僕は)思い込んでいたのだが、教わる順序(あるいは発見の順序)とものごとの道理との間に必然的な一致が期待できるわけではない。核酸という分子ファミリーの存在から出発する方が、理論的にも歴史的にも正しそうである。
 自己複製という希有の特性を有する核酸分子ファミリーが、いつの頃からか地球上に存在していた。やがてそれがアミノ酸/タンパク分子ファミリーと運命的な出会いを遂げる。核酸は自己複製によって情報伝達を担うことができるが、それ自体にエネルギーを変換し物質を分解生成する力はない。後者を担うのがタンパク質で、酵素タンパクとの連携によって核酸の自己複製効率が飛躍的に増大する一方、タンパクの側では核酸との連携によって自己複製という夢のような特性が獲得された。まさに win-win である。
 タンパクとのこの出会いを本格的に活用し、タンパクの箱の中に入って可動性を失う代償としてエネルギーを永続的に支配する力を得たのが「遺伝子」という名の核酸。これに対して、タンパクとのつきあいを随時的・不即不離のレベルに止め、身軽さと自在な変異性を維持する方向性を守ったのが「ウィルス」という名の核酸。
 「遺伝子」という標準型のゲリラ的な亜型として「ウィルス」があるのではなく、核酸分子ファミリーの二つの存在様式が「遺伝子」と「ウィルス」なのであり、両者は対照的であると同時に相互移行的でもある・・・

 「ウィルスを克服することはできない、共存することができるだけだ」という趣旨の有名生物学者の指摘や、「ウイルス共生の歴史」と題された新聞の特集記事(2020年4月6日、朝日新聞朝刊19面)から学んだところを自分の言葉でまとめ直すと、ざっとこんな具合である。いま直面している困難は、背後でこういう文脈につながっているわけだ。小さすぎて見えない敵は、大きすぎて見えない歴史を背後に負っている。
 エンゲルスが今の世に再来したら、「生命はタンパク質の存在様式である」(『反デューリング論』)という有名な言明に、修正を加えたことだろう。

 「生命は核酸の存在様式である」
  あるいは
 「生命は核酸とタンパク質の相互作用の諸様式である」
  と。

https://www.biophys.jp/highschool/B-03.html 

Ω

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。