散日拾遺

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5月14日 ジェンナー、種痘を試みる(1796年)

2024-05-14 03:06:59 | 日記
2024年5月14日(火)

> 1796年5月14日、イギリスの医師エドワード・ジェンナーは、当時人類にとって最も恐ろしい病気だった天然痘の新しい予防法を試みた。それは、今日種痘と言われる方法である。
 一度天然痘にかかった人は二度とかからない、というのは古来よく知られた事実だった。そのため、わざと天然痘の患者の膿を植え付けるといった、原始的な形での種痘は、すでに知られていた。しかし、この方法では実際に天然痘にかかってしまう確率が高く、予防法にはならない。
 ジェンナーは、農村で医者をしていて、乳搾りの女たちが天然痘にかかりにくいこと、天然痘に似た牛痘という家畜の病気に感染した人には天然痘が発症しないということを知った。これは数多くの患者を診て導き出された結論だった。
 ジェンナーは自分の考えが正しいことを証明するために、牛痘にかかった女性の膿を八歳の少年に植え付け、約6週間後天然痘を接種したが、少年は発病しなかった。
 その後も実験を重ねたジェンナーは自分の理論の正しさを確信し、王立協会に論文を送るが。「獣の病気を人にうつす」という行為が倫理的に認められず、無視されてしまう。
 しかし、彼は無料で人々に種痘をし続け、その方法を確立したのである。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.140

Edward Jenner
1749年5月17日 - 1823年1月26日

 「古来」は「昔から」、「従来」は「以前から今まで」の意だから、「古来から」「従来より」の類いはすべて誤用である。

 それはさておき種痘法。
 まず、先行の人痘法について補足:
> この時代、イギリスでは天然痘がしばしば流行した。オスマン帝国駐在大使夫人のメアリー・モンタギューは、天然痘患者の膿疱から抽出した液を健康な人間に接種する人痘接種法(人痘法)を現地で知り、1721年の帰国後まず自分の娘に接種を施したうえイギリスの上流階級に広めた。ただ、この予防法では接種を受けた者の2%ほどが重症化して死亡し、危険が避けられなかった。

 次に、最初の実験台となった少年について:
> ジェンナーは1778年から18年にわたって研究を続けた後、1796年5月14日に使用人の子であるジェームズ・フィップスという8歳の少年に牛痘を接種した。少年は若干の発熱と不快感を訴えたが、それ以上の深刻な症状は示さなかった。6週間後にジェンナーは少年に天然痘を接種した。少年は天然痘にはかからず、牛痘による天然痘予防法が成功した。

 もちろん、現在であれば倫理審査に通らない。とりわけ6週間後の天然痘接種は論外である。「使用人の子」というところがいっそう胡散臭いが、これについては下記:
> 一部の伝記や偉人伝等では「自分の息子に試した」「フィップスはジェンナーの実の息子」と記述されている場合があるが、自分の息子に試したのは、この牛痘接種の7年前の天然痘接種であり、文献などへの取材が不十分なまま混同して言い伝えられているものである。

 まるで落とし話で、要するに自分の息子にも試しているのだ。文面からは、より危険な人痘接種を息子に対して行ったものと推測される。華岡青洲の妻のことが思い出される。青洲が麻沸散による全身麻酔下に乳がんの手術を成功させたのは1804年(文化元年)で、ジェンナーとほぼ同時代である。
 paternalism という言葉の淵源と沿革について ~ 人痘法の移入が「母親」の判断であったことを含め ~ 考えさせられるが、それにしても「鬼気迫る」の感を禁じ得ない。どちらも、よくぞ続け得たものである。
資料と図版:https://ja.wikipedia.org/wiki/エドワード・ジェンナー

A physician inspects the growth of cowpox on a milking maid.

Ω

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