散日拾遺

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STAP細胞のこと(続き)

2014-04-14 10:30:01 | 日記
4月9日(水)、小保方晴子博士、記者会見。

 弁護士の話が理研の調査手続きや結果の批判に集中するのは、それが仕事なのだから当然だ。その視点からは、確かに理研は拙速の愚を犯している。勘ぐるのが商売の週刊誌は、それを「スキャンダル」と結びつけて一儲けを企む。
 核心的な部分に大穴が空いたままなのは、誰もが指摘する通りだ。
 200回成功したというなら、200枚の写真を見せてほしい。仮に毎回は写真を保存しないとしても(僕には考えられないことだが)、10回に1枚として20枚は出せるだろう。決定的なものであれば、2枚だって良いのだ。それですべて解決する。それをしないのは、できないからだと思われても仕方がない。

 それでもなお、僕にはSTAP現象が「ある」と信じたい気持ちがあり、「確かにある」と証言する副センター長・笹井氏の説明(14日からの週に会見が予定されている)を心待ちにしている。その笹井氏が「撤回」を適切とすることが、今は最も理解に苦しむ点だ。以前にも書いたとおり、ウソでないなら撤回はすべきでない。「本当に存在する現象だが、今回は引っ込める」はおかしいし、誰の得にもなりはしない。「信頼を失ったから撤回する」(笹井氏)は話が逆で、撤回などするから信頼を失うのだ。査読結果を踏まえて論文を受理した Nature 誌の面目を潰すことにもなる。本当に「ある」のなら、だけれど。

 自分が少し感情的になっていると思う。なのでここは、新聞紙上から二つのコメントを抜粋して自分への抑えとしておく。

***

朝日新聞4月10日(木)朝刊23面

 つくづく感じるのは、論文を書く前の手続きが不十分だったということだ。
 通常は、論文を書く前には未発表のデータを見せ合って、徹底的に議論する。この時点では性悪説でいかないといけない。うちの研究室では、第三者からは嫌みにしか聞こえないようなことを言い合うミーティングを毎週やる。反論できなければ実験をやり直す。それを繰り返し、ようやく論文投稿に至る。
 論文として出たら、性善説で考える。論文に改ざんや捏造(ねつぞう)があるかもしれないなどとは考えない。そこは信頼に基づく世界になる。
 今回の件は、性悪説にのっとって議論するところが非常に不十分だった。なぜそうなったのかは、ちょっとわからない。
(森郁恵・名古屋大学教授)

 科学研究の現場で「知の退廃」が起きていると感じる。若い研究者の実力が落ちてきているのではないか。コピペも普通の感覚でやっていて、罪の意識がうかがえない。
 かつては先生の背中を見て、研究者の基本や「これはしてはいけない」という倫理を知らず知らずに身につけた。今、指導者は資金の獲得や運営、各種の審査など多くの仕事を抱え、落ち着いた雰囲気で研究者教育をできない。研究費申請の書類書きの背中を見せても、「実験の詳細も知らず、結果だけで論文を書くのだな」と思うだろう。
(池内了・総合研究大学院大名誉教授)

「性悪説と性善説」「(良いことも悪いことも)背中を見て学ぶ(同一化!)」、いちいちもっともすぎる。

***

 昼のNHKニュースで「研究ノートを一部でも開示する」ことが必要と指摘し、そうした行動を取らないと「科学者は誰も信用しない」と語った中山敬一・九大教授、医科歯科の同級生だ。夫人は中山啓子・東北大教授、学生時代から微笑ましいような仲良しカップルで、二人が二人とも研究者として大成したのは素晴らしい。
 夫人は震災後の研究室維持と大学運営に骨身を削り、その経験をクラス会で語ってくれた。敬一氏が仙台を見舞ったのは5月に入ってからだそうで、「お前の愛情はその程度か!」と悪友連にとっちめられて嬉しそうにしていた。
 
 この件、彼の言うとおりである。

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