散日拾遺

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空谷傳聲 虛堂習聽 ~ 千字文 028 / a sound of sheer silence(列王記)

2014-02-25 09:00:10 | 日記
2014年2月25日(火)

◯ 空谷傳聲 虛堂習聽

 誰もいない谷に 声が響いて伝わり
 誰もいない堂に 声が響いてそれを学ぶ

 これは面白い。イメージを触発される。

 「人の善行・悪行の報いは、空谷・虚堂に声が響くがごとく速やか」
 「人のいない谷でも声が伝わる気持ちでふるまい、人のいない座敷でも教えをよく聞く気持ちで学習する」
 いずれもごもっともな注記だが、俗なこと。「ハイハイそうですね」で終わりだ。

[李注]
 奥深い谷の中では必ず声と反響がひびきあう。
 昔、陳思王(三国魏の曹植)が梁山に出かけたとき、とつぜん岩屋の中に誦経の声の清らかで、はなやかなひびきを聞いた。王は襟を正してゆき、誦経の声を聞いて学び、これを世間に伝えた云々・・・

 この方がいいや。

***

 想起するのは『列王記(上)』の以下のくだり。ただし、「声が岩屋の中、聞き手が外」ではなく、語る神が外にあって、岩屋に隠れたエリヤに呼びかける。対照的な布置が面白い。

 主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。
 見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。
 主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。
 風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。
 地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。
 火の後に、静かにささやく声が聞こえた。
 それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。
 そのとき、声はエリヤにこう告げた。
 「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
 (列王記 上 19:11-13)

 ああ、ヘブル語で読めたらな!
 前にも書いたが、ギリシア語と違ってヘブル語は多義的な翻訳を許す懐の深さが(あるいは曖昧さが)あるらしく、喚起される感動の質も量も訳によって一変する可能性があるようなのだ。

 「静かにささやく声」は、もしかすると misleading の可能性があるかもしれない(misreading とは言わないまでも)。というのも、NRSVはこの箇所を以下のように訳している。

 arter the fire a sound of sheer silence.

 サイモンとガーファンクル、Sound of Silence に似ているって?
 あたりまえだ、彼らユダヤ系でしょ。旧約聖書の言葉やイメージは彼らの血肉だもの。直接この箇所を踏まえたかどうかはともかく、同じ泉の水を汲んでいるに決まっている。
 "a sound of sheer silence"
 sheer とは「① <織物が>透き通る、ごく薄い、② 混ぜ物のない、生一本の、③ 切り立った、険しい、④ 全くの」といった訳を与えられる英単語である。全宇宙が沈黙したかのような、完全かつ峻厳な静けさ、その底を微かにふるわす、あるかなきかの声にもならない音、極限に近い透徹のニュアンスがそこにある。
 「静かにささやく声」、それならば僕にも出せる。旧約のテキストが伝えるのはもっと神的な、人の喉からは決して出ない音だ。

 翻訳の難しさは想像できる。それぞれ苦心の跡がある。
 手許のフランス語版は "apres le feu, un son deux et subtil." とする。
 un son deux et subtil なら、僕の喉から出ないでもない。
 同じくドイツ語版、"Zuletzt hoerte Elija einen ganz leisen Hauch."
 ein ganz leisen Hauch ・・・ そうですか。散文的だし、「エリヤは聞いた」と書いてしまっては身も蓋もないような。

 ここはNRSVの感性に敬意を表しておこう。
 "a sound of sheer silence"

 この沈黙、ただ事ではない。
 空谷傳聲、神の声がそこに響く。

・・・「谷」といえば、エゼキエルの37章も「谷」だったな・・・

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