散日拾遺

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今週のこと ~ 戦責告白と水害

2014-08-22 08:03:35 | 日記
 5日間もブログを更新しないって、初めてかもしれない。
 無事でいるんですが、帰京後に締切過ぎの推敲作業があり、これに入り込むと他のことができなくなってしまういつもの弊である。ざっと振り返ると・・・

2014年8月17日(日)
 関西に晴れ間が戻り、午前中は駅4つ向こうのK教会の礼拝に出てみた。映画『阪急電車』の舞台になった今津線である。あれは僕の周囲では概ね不評だったが、ただ熱血院生のOさんは「えらい感動しました」「オレ、しっかりしよ思いました」と、涙目して言ったっけ。
 説教はゲストスピーカーで、同教会出身の女性宣教師がアメリカから戻り、体験を交えて語っておられる。
 アメリカで催されたメソジストの集まりにフィリピン人の牧師がいて、A先生の出自を知るや「父は私の目の前で、日本兵に斬り殺された」と声高に語った。騒然、しかし誰も言葉がない。A先生はその晩、日本の教団本部にファックスを入れ、日本基督教団戦責告白の英文を送ってもらい、そのコピーを会う人ごとに配った。
 数日後、件の牧師が自分から近寄って来て、抱きしめんばかりに詫び、和解を求めてきた。「私の言葉が、あなたを傷つけたことを、赦してほしい」と。

***

 出かける前に確認したら、「床下浸水」が実は継続進行中である。さっそく工務店に連絡し、午後には技術者がやってきた。奈良の現場から回ってきたのだそうで、盆の連休に彼らも大変である。
 
 しかしこれを書いている時点で、この件を「災難」などとは言えなくなった。
 広島市の死者・行方不明者が90人に増えた。それこそ言葉がないが、なぜ今こんなことが起きるのか。
 気象の根本的なありようが、大きくゆっくりと変化しつつあるということ?
 だとしたら、その対策にこそ叡智と資源を結集するのでないと。

 あとは後で。「戦責告白」の邦語原文を転載しておく。

***

○ 第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白

 わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。
 まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて白覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。
 わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。
 明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。
 わたくしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。
 「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すぺきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。
 しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。
 まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。
 終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。

1967年3月26日復活主日

日本基督教団 総会議長 鈴木正久

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