散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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穴の空いたレンコンさん

2019-06-13 13:59:34 | 日記

2019年6月13日(木)


 レンコン専門店で会食歓談。素朴にして滋味豊か、至って好ましい食材だが、気をつけないと、びっくりするようなものが穴から飛び出してくるかもしれない。

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 今昔、帝釈の御妻は舎脂夫人と云ふ。羅睺(らご)阿修羅王の娘也。父の阿修羅王、舎脂夫人を取らむが為に、常に帝釈と合戦す。
 或時に、帝釈既に負て返り給ふ時に、阿修羅王追て行く。須弥山の北面より帝釈逃げ給ふ。其の道に多の蟻遙に這出たり。帝釈其蟻を見て云く、「我れ今日譬ひ阿修羅に負て罰(うた)るる事は有りとも、戒を破る事は非じ。我れ尚を逃て行かば、多の蟻は踏殺れなむとす。戒を破(やぶり)つるは善所に不生(しょうぜ)ず。何況(いかにいわん)や、仏道を成ずる事をや」と云て返り給ふ。
 其の時に、阿修羅王責め来ると云ども、帝釈の返り給ふを見て、「軍を多く添て、又返て我れを責め追也けり」と思て、逃げ返て蓮(はちす)の穴に籠(こもり)ぬ。帝釈負て逃げ給ひしかども、蟻を不殺(ころさ)じと思ひ給ひし故に、勝て返り給ひにき。されば、「戒を持(たも)つは三悪道に不落(おち)ず、急難を遁(のが)るる道也」と仏の説き給ふ也けりとなむ語り伝へたるとや。
『今昔物語集(天竺・震旦部)』 帝釈、修羅と合戦(こうせん)せる語(こと) 第三十

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 「とんだ早とちりしちゃって恥ずかしいです。穴があったら入りたい」(阿修羅)

https://4travel.jp/travelogue/11267664 より拝借

Ω

三里塚の幼稚園にて

2019-06-13 05:30:42 | 日記
2019年6月2日(日)
 遡って、この週はなかなか多事だった。その初めは三里塚教会付属幼稚園で、保護者を対象とした小講演。
 「何しろ三里塚ですので、といえば、役所も大目に見てくれるところがあったらしいのですが、最近は三里塚といってもピンとこない人たちが役所にも増えまして」
 N先生が笑って語られる、その三里塚である。毎年この時期にお招きいただき、こちらは梅雨入り前の成田遠足といった呑気さで御歓待に甘えているが、訪れるたびに有形無形の何かが少しずつ整えられていくのを目撃する。
 今年は園舎の内外が明るいサーモンピンクに塗りあげられ、子どもたちの頬の色までいちだんと朗らかに見える。藤棚の緑が例年通り細やかに濃い。

 

 話のテーマは「子どもの心を育む言葉」というのである。そこで伝えた七箇条:

 1. 日々の言葉を交わせる幸せ ~ 「おはよう」「いただきます」「いってらっしゃい」
 2. 言葉は食べもの ~ 「人はパンだけで生きるものではない」
 3. 語ることと聴くこと/聞き惚れること ~ 「その話は何のことですか、とイエスは言われた」
 4. 言葉は刃物である ~ 「神の言には命あり力あり両刃の剣よりも利し」
 5. ことばだけが語る道具ではない ~ 体と行動が語ること
 6. 子どもと一緒に言葉を探そう ~ 「読み聞かせ」の効用
 7. 好きな言葉を味わう・ためる・贈る ~ 友人から贈られた言葉のあれこれ
 
 これでは判じ物である。いずれ丁寧に書いてみたいと思っていたら、聞き手のお母さんたちが早々に話をまとめてくれた。皆おくゆかしくて当日は質問も出なかったが、目が語っていた通り、しっかり聞き取ってくれたようである。
  冒頭に伝えたかったのは、たとえばかつて戦災孤児と呼ばれる子どもたちが全国至るところに存在し、この子らは親に「おはよう」「いってらっしゃい」と言葉をかけてもらえぬままに成長したということである。

 存命の喜び、日々に楽しまざらんや。

Ω