散日拾遺

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西遊記のこと(1)

2018-10-08 15:11:36 | 日記

2018年10月8日(月・祝)

 『西遊記』

 日本の子どもなら、あるいは日本の子どもとして育った者なら、誰でも知っている超ベストセラー古典。しかし、実際に知っているのは三蔵法師に孫悟空・猪八戒・沙悟浄らの主要メンバーと、印象的ないくつかの場面ぐらいではないか。

 この物語は唐代の僧・玄奘三蔵がはるばるインドへ旅し、貴重な仏典を多数もち帰った史実を踏まえはするものの、史実はその設定までであとは想像自在のファンタジーワールド、物語の主人公も玄奘からシフトしてスーパーモンキー孫悟空に移っている。

 西遊記冒頭はその孫悟空の誕生から始まるのだが、誕生の仔細を正確に復唱できる読者はどれほどあるだろう?

 「石から生まれた石猿」という表現がくりかえし出てくる通り、石が弾けて生まれたことは間違いないが、問題はこの石の卵の由来である。その仔細が子供向けの『西遊記』にどの程度書かれているか、仮に省略され「石の卵ありき」で始まっていたとしても、あながち非難はできないようだ。原著のその部分は、たとえばこんな風に書かれている。

 暗やみに光がさした。天と地のはじまりだった。ひきつづいて世界ができる。

 東勝神州(とうしょうしんしゅう)

 西牛賀州(さいごがしゅう)

 南贍部州(なんせんぶしゅう)

 北倶蘆州(ほくぐろしゅう)

 これら四つの世界であった。はなしの発端は東勝神州だ。ここには傲来国(ごうらいこく)というくにがあった。まわりが海だ。海の中に山があった。花果山という。てっぺんに大石が転がっていた。高さが三丈六尺五寸、考えただけでも気が遠くなるような大石だ。あたりには陽をさえぎる立ち木は一本もなく、石の根っこに芝蘭が群生していただけである。

 石は開闢のはじめから、そこに転がっていた。何百万年、何千万年、何億万年、転がり続けていたかわかりはしない。そのあいだに日にさらされる - というのは太陽の精華を吸収したことである。そのあいだに月に照らされる - というのは月の太陰の精髄を吸収したことである。

 いつのまにか石の胎内に『たましい』が宿って、それがだんだん成長した。とうとうパーンと石が裂けた。卵がうまれた。おおきさがバレーの球ほどもあろうか、という石の卵である。まもなくこの石の卵が割れた。猿がうまれた。石猿である。

『完訳 西遊記』(上)村上知行訳 現代教養文庫(社会思想社)P.11-12

(続く)


超次元複合無限循環

2018-10-08 15:03:24 | 日記

振り返って、2018年10月1日(月)

  著作権ということが、自分には分かっていないのです。

 この展覧会の場合、作品の写真撮影自体はOKとされていて、みんなパチカシャ賑やかにやっている。んじゃ、そうして撮ったものを見せることがどこまで許されるか。スマホ画面を知り合いに見せるぐらいは当然良いものとして、これをブログにあげるのは、セーフ?アウト?

  誰でも見られる空間に公開するのだからアウトか、訪問者200人内外の泡沫ブログなら「スマホ画面を知り合いに見せる」のと変わらないし、宣伝になって良いと考えてセーフか。

  自信がないので、どれを撮ったんだかわからないような中途半端なものを掲げてごまかしたが、これは誰のためにもならず実は最悪かもしれない。あ~めんどい。

  フーちゃんことS画伯については以前書いただろうか、名古屋市立汐路中学校の同級生で、当時からの好きの延長で今も描き続ける純粋人である。毎年そこかしこに出展し、こまめに案内をくれるのに応じて時々出かけるが、今年は立て続けの喪のことなどあり、ここまでチャンスがなかった。ふとボードに貼り付けた絵ハガキを見れば、10月1日が「新制作展」の最終日とある。暑くもあり疲労もあって余事返上の休養日ながら、フーちゃんの絵なら元気をもらえそうで、新国立美術館へお初にでかけてみた。

 ところが

 目当ての作品が見つからないのである。長年通って、彼女の作品は遠目にも瞬時に見つけ出せるはずが、2階にも3階にもない。我を折って壁に貼られた出展作品リストを探してみたが、姓も名もひっかからない。途方にくれて眺めていたら、ふとひとつの姓が目に留まった。フーちゃんの結婚後の姓は確かこれ、おつれあいは彫刻家と聞いている。そういうことでしたか、仲良きことは美しきかな。

 で、1階の彫刻フロアに戻った。

 『超次元複合無限循環』というたいへんなタイトルで、どう反応したら良いか見当もつかないが、自然木を素材にした遊び心が、軽く胸をなでていくようである。韓国は済州島の木石苑(モクソクウォン)を思い出す。

 その隣には別の作家による黒い巨大なトンボが一対、上下に絡まって交合の姿勢をとっている。「秋津洲」の故事 ~ 大和を平定した神武天皇が国見をして「内木綿の真迮き国といへども、猶し蜻蛉の臀占(となめ)の如くにあるかな」とのたもうたこと(『日本書紀』巻三 岩波文庫版(一)P.242)に取材したこと明らかと思われるが、そのタイトルが「黄泉平坂(よもつひらさか)」すなわち、伊邪那岐がからくも伊邪那美と黄泉の軍勢を振り切り、大石をもって地上と冥界を隠した場所の名である。

 オブジェそのものは生殖と繁栄を表し、タイトルは死と滅びを彷彿させるというイメージのねじれが奇妙だが、解くカギがあるとすれば千引きの石越しの夫婦神の呪詛合戦だろうか。

伊邪那美 「愛しき我が汝夫(なせ)の命、かく為ば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」

伊邪那岐 「愛しき我が汝妹(なにも)の命、汝然為ば、吾一日に千五百の産屋立てむ」

(『古事記』岩波文庫版 P.28)

 死の起源譚が同時に死に対する生の勝利宣言でもあるわけだが、これは要するに数的優位の確認でしかなく、伊邪那美に絞り殺される民草一本一本の運命は全く意に介されていない。かつ、死に対抗する原理はもっぱら「産めよ増えよ」であって、21世紀の日本にはどうにもおさまりが悪いと思うが、「蜻蛉の臀占」に「黄泉平坂」と名づけた心は奈辺にあったものか。

 意味など問わずにただ眺めるには、力強くて好きな作品である。

***

 帰宅後、シャルル・アズナブールの他界を知る。声も声だが、いい顔をしていた。この人も1924年生まれの94歳。母親がアルメニア人で、当然ながらアルメニア共和国は大いに彼を誇りとした。いっぽう、父親がグルジア生まれのロシア人であることにも注意を惹かれる。グルジア(どうもジョージアとは言いづらい)は、ロシアの抑圧に苦しむ時間が他の少数民族同様に長かった。そこから出た歴史的人物ジュガシヴィリことスターリン(1878-1953)の存在は、グルジアの名誉を高めたとは言い難い。

***

 夜に入って、本庶佑氏へのノーベル賞授与が伝わった。免疫系を強化することは誰でも考えるが、免疫系を抑制するものに注目してこれを取り除くという発想の転換がエレガントで喜ばしい。これからさぞ多くの言葉や示唆を語られることだろうが、「自分のできることに終始するのでなく、自分が本当に知りたいことを追求する」という今夜のコメントは、それだけで甚大な価値がありそうである。これほどにも「言うに易く行うに難い」ことは、滅多にないようだ。「自分にできることを愚直に繰り返すのも、これまた貴い業であるのが厄介なのである。とはいえ、とはいえ、だ。

 何もなかったようで、実は長い今日の一日。

Ω