2015年5月27日(水)
在学中に事故で一人。卒業後まもなく一人病没したが、彼は幼児期から心疾患を抱えていた。
彼らを別とすれば、同期生中、初の物故者である。僕ら他大学卒業組は入学時から少々オジサンであったわけで、Y君は現役合格のいちばん若い組だった。
こういう時、僕はどこかしら「自分の運命であったはずのところを、彼が肩代わりしてくれた」と感じるところがある。必ずしも年齢差の故ではないが、若い相手に対してはなおさらそうである。
survivor's guilt と分析家なら言うだろうが、そう言ってみたところで何が解決するわけでもない。「survivor's guilt に過ぎないのだから、そんな心理は気にかけなくてよい」というのは、過剰な罪悪感に悩む者を慰めるためならいざ知らず、一般には良心の鈍さに対する言い訳というものである。叡智とは何の関係もない、心理学なり分析なりの誤用・悪用だが、「専門家」にはこの手合いが多いことを繰り返し見てきている。
いったい何の「専門家」なんでしょうね?
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何しろ、いつになく右往左往している。
タスクはいろいろあるが、何から手をつけたらいいかわからない。タスクが多すぎて収拾がつかないというのではないのである。自分でもうすうす見当はついている。アイデンティティの揺らぎなどというと大げさなようだが、これはべつだん大げさなことでもない。だれでもたえず経験していることで、それを表す言葉がカタカナ言葉で少々けたたましいだけである。
いつも持つものを持たずに出かけ、急行に乗るところを各駅停車にしてみたりする。案外効かないでもないが、むろん解決にはならない。性根の問題である。
性根というのは、なかなかすごい言葉ではないか。それこそ言葉の性根が座った感じがする。ひっくり返せば根性か。
「性(しょう/さが)」に次いで、今度は性根。「性」の字のインパクトがいよいよ強い。「性理学」というものが確かあったな。儒教史の世界だ。
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結局、ここに戻ってくるよりない。行き迷ったとき、いつも言葉を頼りにしてきたのである。
水曜日は一つ会議があり、これに関連して夕方から4人ほどで会合することがあった。その席でのこと。
K先生はその分野では広く知られた人であるが、本当に優秀な人の常として少しも偉ぶるところがない。ただ、議論になると若々しい。いつでもどこでも歯に衣着せず直言するが、私心や嫌味がないから広く慕われている。
そのK先生が、関西のある有名大学で仕事をした時は大いに苦労したという。大学同士の競り合いに加え、大学内部で学部間のイガミ合いがあり、「ほとほと困った、仕事にならなかった」という。
この大学はノーベル賞受賞者を何人も出している名門だが(って言ったら一つしかないのか)、以前にも別の人から似たような話を聞いたことがあった。
それで、
「A大、案外な了見ですね」
と合いの手を入れたら、すかさず
「石丸先生は、ほんとに」と横合いからお褒めをいただいた。
「案外な了見」という言葉が良い、センスが秀逸だというのである。
自慢してら、とバカにしないでほしいですね。
そのわずか3分後、同じN先生から「石丸先生、今のはアウトです」と、しっかりとっちめられたのでした。
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以下は、今週出会った印象的な言葉たちである。
「道に外れる」
・・・この表現自体がどうというのではなく、家人がうっかり「道を外れる」と言ったことが面白かったのだ。助詞一つで意味・含蓄がまるきり変わる。
まことに、神は細部に宿り給う。
「思うツボ」
考えもせずに使っているが、この「ツボ」って、どの「ツボ」なのかな?
経絡のツボかと思ったら、原義は違って「壺」なのである。博打でサイコロを入れて振る例の器を「壺」という、そこから出た言葉だそうな。
ただし、これをパロって『思うツボ』という経絡の本を書いた人は、あるようだ。
「声が眩しい」
我が家は三男が通った区立中学校のグラウンドに面しており、土曜日の運動会に備えて朝から生徒らの声が囂しい。
これを迷惑がるマンション住人は了見違いで、中学校は半世紀も前からあったのだから、移ってくる人間がそれを諒とするのがスジである。超高齢化時代の希望の風景でもあるわけだが、それにしてもたいへんなエネルギーである。
5月末の猛々しいような陽光の中で、風に乗って歓声やらため息やらが押し寄せてくるのをこめかみに受け止めて、思わず「声が眩しい」と呟いた。
刺激と知覚の対応をわざと外すのはレトリックで、「甘い囁き」なども同じカラクリである。
それにしても言い得て妙、座布団一枚だ。
最後は翻訳物から。
アメリカの朝の風景、慌ただしく出かけようとする夫が、見送りの妻にお決まりの挨拶をしようとして。あんまりバタバタしていたもんだから、唇を外して小鼻のあたりに命チューした。
そのまま駆け出す夫、奥さんがため息をつき、
「中らずと雖も遠からず、ね。」
だって!
翻訳の妙、原文は何て書いてあったんだろう?