桜が満開の時にいつも想うことがあります。 新聞などで小学校や中学校で入学式が行われた記事を読むと私自身の学生時代を思い出します。 特に中学校時代は楽しき青春時代をENJOYしていた頃です。 修学旅行も様変わりしてきましたが、一番変わったと感じるのは荷物がトラックで運ばれてきて、生徒たちは携帯品だけでお越しになる光景です。 私達の時代と変わった物だと感心します。 そんな修学旅行も最近は教育旅行と呼び名も変わり、ここ京都へは毎年お越しいただき近年総人数も約110万人もの数を数えます。 いつも思うのですが、生徒さんの笑顔を見るとついこちらもうれしくなる事が多く、お出迎えの心得を思い出してしまいます。 短い学生生活の中で最高の思い出になるように私達は一生懸命お手伝いを致しております、その分私達も出来るだけ楽しかった思い出を詰め込んで無事にお帰り頂きたいと強く思います。 春のシーズンもこれから始まります、どうぞご出発の時からお家にお帰りになるまで、怪我や病気の無きよう心よりお祈り申し上げます。 松井でした。(^_-)-☆
その中でも修学旅行の思い出は多く私の記憶にはっきりと残っています。
最近は少子化の影響で段々と減少傾向にあるようですが、いしちょうでは四季を通じてお越しいただいており、本当にありがたいことだと感謝しています。
近年世界規模で地球を大切にと呼びかけあってCO2を減らそうと自国の様々な都合はあるものの、各国、国を挙げて真剣に取り組んでいます。
それぞれの国でも様々な業界間で自分達の出来る事を目標に掲げて会社を挙げて創意工夫研究を重ねておられます。
自動車業界もハイブリッド車からガソリン不要の電気自動車へと大きく移行して各社が大々的に取り組んでおられます。
その中で地球温暖化につながる二酸化炭素(CO2)の排出を削減できる電気自動車(EV)や、プラグインハイブリッド車(PHV)を導入する動きが京都府内で広がってきています。
京都にも数あるTAXIの中でも都タクシーで導入され試行錯誤の中努力を重ねておられると報道があり、感激をしています。
企業としてのイメージアップもあるでしょうが、率先しての導入などやはり勇気がいる事と考えると、みんなが当たり前になるように今後各方面で取り組まれることを期待しています。
それにしても漫画の世界だけかと思っていたことが現実になってゆくことが不思議で仕方ありません。
乗り遅れないようにしないといけませんね。
上野でした <(`^´)>
今日お宿いしちょうの屋上に上がってこれから夏に予定している「風のガーデン」のために、掃除をしてきました。
上がって見て目に飛び込んできたのは、冷泉通りの疏水べりに並ぶ桜並木の美しさでした。
この時期に初めてこんなに桜の木があるのだと改めて分かりました。
そして、比叡山と大文字山そして清水寺などがくっきりと東山の山並に浮かび、景色の良さは確かに説明されている通りだと思い、みんなであれはどこだろう、とかきっと南禅寺だなんて言って、しばし手がとまったままで、こんなところで一度は食事してみたいものだと、思いました。
普段の仕事柄なかなか屋上に上がる事はないので、たまには見学に行く事にします。
発見が多いのも感動の積み重ねと思います。
皆様もぜひこの感動を味わって下さい。
お待ち申しております。
代表者ホール担当鷲見(ホール担当全員)
「日本は一つにまとまらなければならない」
江戸時代末期、永く続いてきた徳川幕府の封建政治、鎖国政策が行き詰まりを見せ、海の向こうからは開国を求めて黒船がやって来たりと、世は動乱期。
「このままでは日本は外国の植民地になってしまう」
危機感を覚えながらも、どうしたら良いのか分からず悶々としていた一介の志士、龍馬の懊悩を一瞬で解決に導いた江戸幕臣、勝海舟による、
「島国である日本に、これから必要なのは、海軍である」
の一言で、龍馬の思想は開眼したと言われています。
彼の魅力は、犬猿の仲であった「薩・長の連合」と、
血を流さない無血開城の政権交代劇「大政奉還」
そのどちらにも深く尽力し関係した、稀有どころか唯一無二の存在、と語られる点も、ひとつに挙げられます。
時代を変えるべく疾走した龍馬は、残念ながら明治維新を見ることなく近江屋暗殺に倒れました。
研修会では、故人を弔ってある霊山護国神社へ赴き、往時を偲びました。
龍馬の隣には、同郷の友でもあり、散り際まで時、場所を同じくした、
中岡慎太郎。
盟友が / 並んで仰ぐ / 同じ空
満開の桜に、移ろいゆく古都の風に、二人は今、何を想うのでしょう。
関〇
先日、エージェントさんの研修会に参加してまいりました。
研修会といっても、堅苦しいものではなく、ちょっとした観光ツアーみたいなものです。
毎年行われるのですが、今年のテーマは、ずばり坂本龍馬。
今年は大河ドラマの主人公が龍馬ですので、そのゆかりの地も注目を浴びそうです。
京都は、龍馬が活躍した、主要な土地のひとつ。
京都のあちこちに彼の足跡が残っています。
そのうちで最も有名なものといえば、やはり寺田屋でしょうか。
寺田屋は京都市の南、伏見の地にあります。
市街地からは少しばかり離れていますが、ここは京都の重要な土地です。
京都の都市としての最大の欠点は、海に面していないこと。
電車や飛行機がなかった江戸時代、人や物の移動に、海運は大きな役割を果たしていました。
そんな時代に、海に面していないことは、デメリットだったわけです。
そのデメリットを補っていたのが、この伏見でした。
伏見と大坂とは、宇治川→淀川でつながっていて、その間を船が往来していたのです。
つまり、伏見は京都の玄関口だったわけです。
そして伏見からは高瀬川を通じて、京都へと物資が運搬されていました。
物資の中継地点である伏見は、大いに栄えたそうです。
幕末の重要舞台となったのには、そういう背景があったわけです。
寺田屋は、その伏見の船宿の一つでした。
この寺田屋を有名にしたのが、二つの寺田屋事件です。
一件目は、1862年に起きた、薩摩藩士同士の斬り合いなった事件。
そしてもう一件が、1866年の、伏見奉行所による、坂本龍馬襲撃事件です。
襲撃事件、といってしまうと、奉行所が完全に悪役な感じですが。
それはともかく、この事件は龍馬にまつわるエピソードの中でも、最も有名なものです。
風呂に入っていたお龍が、いち早く奉行所の存在に気づき、裸のまま階段を駆け上がって龍馬に危険を知らせる。
そんなドラマが繰り広げられたのが、この寺田屋というわけです。
とはいえ、当時の建物がそのまま残っているわけではありませんが。
それでも、復元された寺田屋からは、十分想像力をかきたてられます。
そのほかにも、伏見には古い建物が多く残されています。
よく知られている通り、伏見は酒造の町で、酒蔵が多く、その古い蔵が残っています。
運河沿いに見える、茶色の板張りに白壁、という構図は絵になり、春の散歩には最適。
また、お酒を飲ませてくれる酒蔵も多いので、日本酒好きにはたまらないでしょう。
大小いろいろな蔵がありますから、好みのお酒を探してみるのも良いかもしれません。
市街地から離れているので、観光ルートに組み込みにくいところではあるのですが。
だからこそ、落ち着いた風情も味わえる、というメリットもあります。
龍馬も伏見の酒を飲み、この風景の中を歩いたのだな、と想像してみるのは、楽しいものだと思います。
ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
”あいらんど”
今年の春の高校野球も熱戦のうちに終わりましたが、私はプロスポーツより一般のスポーツのほうが純粋に勝ちたいと思う意思が表に現れて好きです。
(もちろん給料や契約金などお金には関係ないと言う意味ですが)
当館には春と夏に高校野球の関係のご宿泊があり遠く各地からはるばる何時間もかけてやって来て頂けるのですが、疲れも見せずに一所懸命に応援しておられる姿を見ると感動を致します。
ご利用の生徒様や父兄の方々又応援団の方々は礼儀も正しく時間も正確で本当にチームワークが取れて素晴らしい応援をされているだけでなく、応援行程中も応援に来たんだ、必勝!!の意気込みで、皆様素晴らしいなと感じます。
そんな姿を拝見していると、ぜひ勝ってほしいとこちらも応援に力が入ります。
野球に関心のない方も一度甲子園球場に足を運んでこんな感動を肌で感じていただければと思います。
今度は夏、高校球児の皆さん頑張って下さい。
そして今度の夏もお待ち致しております。
松井でした。(^_-)-☆