玉の輿。
西洋風にいえば、シンデレラストーリー?
そう、それは女性の憧れのライフプラン……なのか?
さて、玉の輿に乗りたい女性諸君。
今宮神社へ行こう。
なぜならそこに「玉の輿守」というお守りがあるのだ。
今宮神社は大徳寺の北にある。
ひっそりとある。
規模としては、さほど大きくない。
なぜここに「玉の輿守」なるものがあるのか。
事の始まりは江戸時代初期。
江戸幕府第三代将軍、家光の時代である。
その頃、今宮神社の近辺、西陣にお玉という女性がいた。
なんと言うこともない、町人の娘である。
その娘が、大奥に仕えることとなり、そしてやがて、家光の側室となった、というのだ。
家光の側室になったお玉は、やがて子供を産むが、これが後の第五代将軍、綱吉である。
世に言う犬公方、生類憐みの令を出した将軍様だ。
お玉は、家光の死後、仏門に入り、桂昌院と呼ばれるようになった
桂昌院は、地元愛からか、この今宮神社の修復に力を注いだ。
そういった事跡にちなみ、今宮神社が「玉の輿守」の授与を始めたというわけだ。
まあ、桂昌院が修復に力を注いだのは今宮神社だけではないけども。
さて、今宮神社といえば「玉の輿守」だけではない。
他に名物が二つある。
もっとあるかもしれないが、大きなものは二つ。
一つはあぶり餅。
門前の参道に、向かい合って二軒、あぶり餅のお店がある。
きな粉をまぶした餅をあぶり、白味噌ベースのたれを塗ったものである。
二軒の店は、どちらも歴史がある。
一軒においては、創業1000年を誇るというから 恐るべし京都、である。
もう一軒の方も、創業600年と、歴史は充分で、まあ、どちらに入るかは好みである。
さて、もう一つの名物は、やすらい祭。
鞍馬の火祭、太秦の牛祭とならんで、京都三大奇祭に数えられている。
始まりは1000年前に遡る、伝統あるお祭りである。
盛衰を繰り返し、応仁の乱後は一時途絶えもした。
それを復活させる契機となったのが、先の桂昌院による社殿の修復である。
今では神社の最大名物なのだから、桂昌院様様である。
さて、この祭の主役は、風流傘と呼ばれるもの。
傘のふちに暖簾を下げたようなもので、これが練り歩く。
いや、もちろん練り歩くのはそれを持っている人だが。
このやすらい祭、現在は4月の第2日曜日が祭礼日となっている。
桜の季節である。
風流を楽しむのにもってこいである。
春の魁の祭りでもあるやすらい祭。
ぜひともご覧あれ。
”あいらんど”