先日、雨上がりの大徳寺塔頭の高桐院へ行って来ました。
真正面から望む唐門は、自然石の敷石道であり、夏の青葉を天蓋に頂く、
一直線の参道は、幽玄の気に満ちていました。
楓樹を主とした野趣に富む庭で、青葉の清冽に心を洗われました。
茶室・鳳来には朝鮮から礎石を持ち帰ったと云われる、豪壮な手水鉢が置かれています。
建造物には、客殿・書院・庫裡などがあり、書院は千利休居士の邸宅を移築したもので、
書院に続いて、二帖台目の名茶室「松向軒」があります。
松向軒は、寛永5年に、三斎公の手で建立されたものだそうです。
清巌和尚によるその由来には、
「常に松声を聞き、且つ趙州無舌の茶味を嗜む、因って松向と名づく云々」とあり、
珍しい黒壁は瞑想の場の感があって、簡素な中にも幽玄の雅味をたたえた名席です。
三斎公及びガラシャ夫人の墓石は、生前に愛好された石灯篭をそれにあてたそうです。
鎌倉時代の美しい灯篭墓石は、苔を褥に静かに据わっています。
これはもともと、利休秘蔵の天下一の称ある灯篭でしたが、
豊太閤と三斎公の両雄から請われて、利休はわざと裏面三分の一を欠き、
疵ものと称して、秀吉の請を退けたそうです。
のちに利休割腹の際、あらためて三斎公に遺贈したもので、無双という銘を持ち、
また、別名を欠灯篭ともいうそうです。さらに、蕨手、灯口、横が欠けているのは、
後日、完全を忌む公自身が欠いた、と云われ、三斎公の面影が偲ばれる逸話です。
高桐院には、清厳・大心両和尚のお墓があり、また、歌舞伎の始祖として名高い、
出雲の阿国、名古屋山三郎、興津弥五右衛門などのお墓もありました。
静かに永眠する英雄豪傑、才女の歴史を偲んで参りました。
<マンマ・ミーア>