京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

ロッソネロ

2017-11-30 | 宿日記

 京都市に寄贈されたフランス文学者の故桑原武夫氏の蔵書が廃棄された。

 今年の四月にあったそんなニュースを覚えているだろうか。

 図書館の倉庫に蔵していたものを、目録を残して市の職員が処分してしまったというものだ。

 残念なニュースではあったが、幾許か同情の余地がないでもない。

 蔵書スペースの問題は、一般の読書家においても懸案事項だからだ。

 ただ、この一件で一番の問題となったのは、親族などに相談もなく処分した、という点だったようだ。

 

 ところで、当館、石長松菊園の南側の通りを突き当たったところにコインパーキングがある。

 通りを挟んだ向かいにある銅駝美術工芸高等学校の北側に接する場所だ。

 二、三年ほど前までそこは空き地で、そこに枝ぶりの良いモミジが植わっていた。

 初夏に新緑の葉を出し、今頃の季節にはそれを赤く色づかせて、季節を感じさせていた。

 それは、空き地になる数年前までそこにあった料理屋の庭木だったものだ。

 そして、そもそもその料理屋の建物はかつて、フランス文学者の生島遼一氏の邸宅だった。

 その頃のことは、残念ながら知らないのだが。

 

 そんな由来を知るきっかけとなったのは、実は某出版社から転送されてきた手紙であった。

 生島氏宛で、氏の著書の愛読者であろうか、出版社気付で出されていた。

 当館に届いたのは誤配で、本来はその料理屋へ配られるべきだったものであった。

 どうしてここへ転送されたのかが気になり、調べたところ、その料理屋がそういう由来のものだと知った。

 もちろん、それよりはるか昔に、生島氏は亡くなられていた。

 

 さて、桑原武夫氏と生島遼一氏とは、同じフラン文学者で、同時期に京大の教授を務めていた。

 スタンダールの『赤と黒』を二人で共訳もしている。

 件のニュースを聞いた時、そんな繋がりのことを思い出した。

 片や蔵書が処分され、片や邸宅はコインパーキングに……。

 何か時代の流れの哀しさを感じさせられるような話である。

 この紅葉の季節、そのコインパーキングの前を通ると、ついあのモミジのことを思い出してしまう。

 同じようにして、時の流れの中で失われてしまったものは、数多くある。

 一方で、この京都には、時代を超えて守られてきたものも、また数多くある。

 物を壊すのも人であり、守るのもまた人である。

 京都という町は、そのせめぎあいを繰り返し、今に至っている。

 

 そういえば、桑原氏や生島氏は、無頼派の作家、織田作之助とも関わりが深い。

 何しろ織田は三高(京大教養部の前身)に通い、スタンダールに影響を受けて作家を志したのだから。

 織田の小説『それでも私は行く』には、桑原氏の名前をもじった人物が登場してる。

 又、随筆『可能性の文学』の中には、生島氏の名前も登場する。

 ちなみに、『それでも私は行く』は、京都を舞台とした小説である。

 織田らしい時代の風俗を活き活きと書ききった作品となっている。

 現在入手可能な書籍があるかどうかは判らないが、青空文庫には収録されている。

 是非ご一読を。

 

 ”あいらんど”

 

 


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