ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)2日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日) |
一つめの「またか」。
「また、テロか」
本当に腹立たしく、悲しい。どんな目的があるにしても、罪のない人の命を奪う行為は絶対に許されない。新たな悲しみと憎しみの連鎖が始まるだけだ。
二つめの「またか」。
「また、イスラム過激派の反抗か」
犯人も手口もはっきりしていないが、イスラム過激派の可能性は高いと思う。対話の機会を確保したIRAがこんな愚行に出るとは思えないし。
同じイスラム教徒として悲しいし、腹立たしい。預言者(彼の上に平安あれ)は、非戦闘員を無差別に殺害するようなことはしなかったはずだ。
クルアーン第2章・雌牛章(アル・バカラ)の第192節にも「だがかれらが(戦いを)止めたならば、本当にアッラーは、寛大にして慈悲深くあられる」とある。
そもそもロンドン市民は、イスラームに対して戦っていたというのか? 違うだろ。政府や軍隊はどうであれ、一般市民の多くは、イラク情勢に心傷める人たちだったのではないか?
三つめの「またか」。
どのテレビ局にも、テロが起こると毎度おなじみのセンセイたちが登場している。保坂さん、大野さん(同僚の知人であることを最近知った)、水口さん、青山さん…軍事系では神浦さん、小川さんも相変わらず出ているな。
まだ、はっきりしたことは言えないが、もしイスラム過激派の犯行だとしたら、テレビ局には、日本にあるモスクに来て、一般の信者がどう感じているのか取材してほしい。
評論家の方たちの意見だけでなく、当のイスラム教徒の意見も聞いてほしいものだ。
ただ、イスラム教徒にもいろいろな人がいる。もしかしたら、モスクの隣で礼拝している誰かが日本でテロを起こさないとも限らないのかもしれない。
同じイスラム教徒に対して、そう感じざるを得ない現状がますます悲しい。
もうこれ以上「またか」と感じることがないことを祈るのみ。
それを商売のように群がる人達・・・
なんだか悲しいですね。自分を大切に
生きるしかないですね。
今回の事件には、さすがにショックでした。ショックから体調も崩してしまいました。
自分自身はあまりに無力だけど、それでもできることはゼロではありません。
微力だけど、なにもやらないよりはマシかなあ…と思いながらいろいろやっていくつもりです。
ロンドンで悲しい事件が起きてしまいましたね。
ああいった無差別の暴力に走る人たちは一部の狂信的・教条的な信条を掲げる人たちであって、普通のイスラーム教徒の方々は決して彼らを支持していないんです。
グローバル化による貧困の拡大、超大国の世界を二極化する身勝手な論理と矛盾、各国の抱える社会的問題、それらに対する不満を持ったごく一部の人々が「不満」を表明する為、アッラーの名のもとに暴力に走るのは許されないことではあるけど、何故彼らが暴力に走るのか?その理由にも焦点を当てて報道すれば良いのにとつくづく思います。
このような時代の今だからこそ、イスハークさんのような普通のイスラム教徒の方々は声をあげるべきです。
私に出来る事は物事を単純化せず、何故そうなるか?という疑問を常に持ち、互いの立場から考えていくこと、互いの違いを認め合い、寛容の精神を忘れず、乗り越えていく事、そして自分の子供やその子供たちの時代に伝えていく事だと思います。
ともあれ、元気出して下さい。
暴力を生み出すのも人ですが、それを乗り越えていくのも人です。
アホたれオヤジの私も今回はさすがに参りましたが、今は心身共に大丈夫です。アルハムドゥリッラー。
世界がやるべきこと自体は簡単です。
「せーの」で一緒に暴力をやめよう…というだけのことです。
しかし、その「簡単なこと」をするためには、世界はあまりに複雑にこじれてしまったなあと感じます。
人類は歴史に学んでいるとはとても思えない。
それでもアラブ諸国も、テロを非難する声明を出したのが、せめてもの救いです。
少なくとも今のところ、「文明の対立」にはなっていないようですから。